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【頭の整理】情報との付き合い方

 社会に大きなインパクトを与える出来事が起こると、世に流れる情報量が急激に増えます。ましてSNS隆盛の現代では、玉石混淆のままで次から次に新情報が出てくる。まさに奔流です。
 だから、「情報を疑う」心構えは絶対に必要です。
 必要ですが、疑うべきは「情報ソースがどこか」とか「フェイクかどうか」だけではないと思うのです。
 一番疑うべきは「その情報は正しい」「この人のことは信頼できる」と判断している自分自身の基準なのではないでしょうか。
 真偽不明の情報が溢れれば溢れるほど、自分自身でその良し悪しを判断しなければなりません。その時、自分では「真偽」を基準にしているつもりでも、実際は「自分の思いに適うかどうか」が最大の関門になっているはずです。
 世にはいわゆる「トンデモ」が溢れています。
 なぜ溢れるかというと、それを信じる人がいるからです。
 なぜ信じるかというと、その情報が「自分が構築したい世界」に適合しているからです。
 だから、地球が平らだろうが、世界を牛耳る闇の組織だろうが、ワクチンで脳を支配だろうが、なんでも信じられる。
 では、そういう人の「構築したい世界」とはなんでしょうか。
 それは「知的に怠惰でいられる世界」なのだと思います。
 世界は複雑で、人間は一様ではありません。すべてのピースが綺麗に収まる世界観を自分の中に構築するのは、まず不可能です。
 だからこそ、疲れてしまう。自動的かつ単純に外界の出来事を切り分け、その中で生きていられるなら、それが一番ラクなのです。世界の真実に目覚めた自分が認める事実だけが真実という世界は、とっても魅力的です。
 けれども、グローバル化した現代社会でそれをやると、必ずどこかで地雷を踏みます。
 私達は世界の複雑さに耐えて生きていかなければならない。それに耐えうる強靭な精神と知性を持たなくてはならない。

 情報に触れた時、それが自分の思い描く世界の色と同じであれば、批判なく受け入れてしまいます。まして、自分の違和感を代弁してくれるように感じてしまったら、何も考えずに飛びつきたくなる。
 でも、それはとっても危険です。
 目の前の情報を信じようとしている自分は、一体何を信じようとしているのだろう。そういう自己点検を常にやっていかなければならないのだと思います。
 これはとてもしんどいことです。しかし、それが21世紀の情報化社会に生きることを余儀なくされる私達の責務なのでしょう。人はどうやっても生きている土地と時代の制約からは逃れられないのですから。逃げようとしても、逃げきれるものではありません。

 ひとまず、私は“対自分の情報戦”をがんばっていきたいと思っています。
 
 なお、「複雑さに耐えて生きていかなければならない」というセンテンスは、上皇后美智子様のお言葉から学んだことをここに明記します。全文は下記から読めますので、ぜひご一読ください。この演説は私の「基準」のひとつになっています。


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