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笑いに笑ってまた笑う


※エッセイのようなもの
※日記のようなもの

はじめにー


僕はお笑いが好きだ。

その昔、僕が小学生だった頃

『エンタの神様』という

お笑い芸人のネタ番組があった。

以下は『エンタの神様』の概要である。

日本テレビ系列、放送期間は

2003年4月19日〜2010年3月20日まで

毎週土曜日の22:00から約1時間程度

放送された。

略称は「エンタ」

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当時私の家族仲はあまり良好とはいえず、

マイルドな言い方をしても険悪という

表現でしか修飾できなかった。

「家族というよりは他人同士が

同じ家という名称の箱で暮らしている」

これは幼少期ながら僕が

感じたことの1つだった。

それでも「エンタの神様」が放送される日には

家族揃って同じ空間に居座り感情を共有した。

テレビが一つだけだったから

皆がそうしただけだったけれど。

(もちろんそういう時も気が立っている母も、

無関心な父も、無気力な姉も自堕落な僕も、

誰一人として会話はしなかった)

しかし、現在は家族の関係について

友人やパートナーから「仲が良いんだね」と

評されるくらいには良好的と言える。

またそれが今僕たち家族の

共通認識であり

あの時間も僕たち家族を

家族たらしめるような、

今に繋がっている

大切な時間だったんだろうと思う。

福澤郎さんの落ち着いた声質で


繰り出される抑揚のついた司会、

白石美帆さんのしなやかで澄んだ声質とは

裏腹に柔和な表情で出される開幕のコールは

子どもながらに大変楽しみにしていた。

いや、子どもだったからこそ

なのかもしれない。

社会というものにおいて

基本的に子どもは2つの場所しか知り得ない。

家と学校。

それぞれにある種の閉鎖的繋がりと

独立性を子どもにもたらしてしまう。

当然子どもは大人より出来ることは少ない。

そして勉強が苦手・スポーツが不得意なことは

子どもにとって大きく

自分への認識を改めるには十分すぎる要素だ。

何故なら評価という行為は

自分ひとりの存在では決して成し得ず、

人は他者との関わりの中で

自分が自分を認識していく

社会的な生き物だからだ。


「お前って頭良いよな」と誰かに言われれば

「俺って頭良いんだ」となるし、

「お前モテるよな」とこれも誰かに言われれば

「そうなんか?そうなんかも」と

なるのである。

人は人で育つ。良くも悪くも。

結局、家と学校という2つの場所に軸を

置きながら何一つとして自身の価値を他者から

評価されない自身を「無価値な人」、

「生きていてもこの先どうしようもない」と

自分を定めてしまっていた。

僕にとっては尚更、

抑圧的な環境だったからこそ

心から笑えたり頭を少しでも

空っぽに出来るエンタが

週末の楽しみになってしまったのは

必然だったのかもしれない。


かくして、

私はそこからお笑いが好きになった。

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ネカフェで衝撃


中学生になった僕は相変わらずだった。

勉強もスポーツも人より劣り、

何をとっても平均以下。

身長は伸びず、なんならクラスの女子

数人に勝るかどうか。


家の中も、変わらなかった。

環境変わるも状況変わらず。

もう訳がわからない。

前世に何か悪いことをしたんだろうか?

そんなことを大真面目に考えたことが

何回もある。

そんなこんなを繰り返したある日、


近所のネカフェに行った。

その当時、私が小学生だった頃

パソコンが家にある環境を持つ家庭は珍しく

幼馴染・近所付き合いの友達で

5世帯いたのだがそのうちの1世帯しか

家にパソコンはなかった。

もちろんスマホなんか影も形もなかったし

(厳密にはこの段階で開発に取り組んでいたかもしれないがまだ世に出ていないので私たちの認識としてこの表現を使う)

ガラケーしかみんな持っていなかった。

それは小学生から中学1年生になってからも

変わらず唯一中1の時点でクラスに

自分の携帯を持っている人が

2〜3人いたかどうかだ。

そんな感じでまだまだネット環境は各家庭に

普及するほど高くはなく、

パソコンは私にとっても

触りたくても触れない代物だったのだ。

ネカフェに行くも

「検索する・動画を見れる」くらいしか

自分の認識はなかったのでひたすら自分の

知りたいことを検索し、

YouTubeで動画を時間いっぱいまで

見まくった。

これが中学1年生の時

部活動にも入らなかった私の

休日だった。

そしてお笑い動画をひたすら再生した。


そのなかに「なんだこの3人!?」と

衝撃を受けたトリオのコントがいた。

めちゃくちゃおもろい。

個室だが当然天井は吹き抜けなので

音が筒抜けになる。

笑いを堪えるのに必死だった。

その芸人は3人によるコントだった。

東京03。


僕は1つのコントを見終わると

次々東京03のコントを見まくった。


面白い。なんだこれ。

誰もが思わず「あ〜あるよね」と

共通する状況に、「分かるわぁ〜」と

共感する心情。

2〜3年ほど前だったかもしれないが

東京03が情熱大陸にて特集された時


すぐにチェックしたものだ。


そうこうしてる内に

ふつふつと思いが湧いてきた。

実際に見てみたい。

お笑いライブに行ってみたい。

もう10年以上も

前のことなのにいまだに

その衝撃と思いを覚えている。

そして晴れて(?)僕は初めてお笑いライブ、

初めて東京03のライブを

去年の公演で観に行った。

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「五十歩ひゃっほう」と文字が

プリントされた下にはレッサーパンダと

思しき獣が二足歩行で直立し手を広げている、

いわゆる威嚇のポーズを取ったもの。

下はタイトなジーンズを履いて意気揚々。

初めて取ったチケットは2階の

1番後ろ側だったため正直表情については

見えないが、普段テレビや

スマホで見ている人が実際目の前に

存在していることに謎の安心感と

高揚をもたらしたことも記憶に残った。

およそ2時間ほどのライブだが

その時間は笑いで満たされていた。

クスッとくるようなものもあれば

思わず声を上げてしまうように

畳み掛けてくるのも緩急つけて。

当時コロナが流行していたので

握手会ではなく

最後に東京03の3人が手を振って観客を

お見送りという形で終わった。

(以前は握手会があったらしいので
正直少し残念!仕方ないけど)


そんなこんなで初お笑いライブ、

初東京03との邂逅は幕が降りたのである。

めちゃくちゃおもろい。


お見送り会の時に思った第一印象としては

「3人とも背、高っ!」だった。

そしてにっこりと3人とも笑顔だった。

なんというか笑顔にも

プロ根性を感じたものだ。



やっぱ実際に見ると

分かることがあるんだなと思う。


そして今年の7月にまた2度目のライブへ。


前回と同じく、

五十歩ひゃっほうのレッサーパンダを着て

出陣。

ちなみにこれ。一目惚れして買った。ずっと着てる


来年もまた、

東京03のライブに行くつもりだ。

子どもの頃見たいと思ったものを

今の僕に見せてあげたい。

過去の自分に約束したことを

今と未来で果たしていきたい。

そんな感じのお気持ち表明して

ここらで終わりたいと思う。

言葉だとめちゃくちゃ

カッコつけてる感あるけどそういうことよね


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