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家族問題の私なりの向き合い方

先日Aさんから家族について相談を受けました。

ここでは詳しい事は書けないけれど

家族の中に心の病を抱えている人がいるとの事。

心療内科に長く通院しているがなかなか症状が改善せず

家族間で常に緊張感と閉塞感を感じているのだそう。

何とか改善したくてもどこから手を付ければよいのか分からないと

不安を吐露されていました。

Aさんのお話を聞いて父が躁鬱になった頃の事を思い出しました。

今振り返ると、当時の私はまだ十代で

父の病気を受け入れられない気持ちが強かったです。

それまでの父は自分勝手だけど子供にとっては楽しく面白い人だったから。

別人のようになってしまった父を受け入れるのに

とーっても長い時間が掛かりました。

父が躁鬱になって以来,

私は物事や人を俯瞰して見るという癖がつきました。

長年そうやってきて発見したのは人は誰でも多面体だという事です。

この人はこういう人だという周囲の人間が認知している

一面だけでなく未知の部分が沢山隠されているのだと。

自分もしかりでダメダメな私も、調子の良い時の私も多面体の一部です。

どの面が欠けてしまっても今の私は存在しません。

自分自身にもまだまだ知らない面があるのに

家族や他人の事など全て把握できるはずがない。

ましてや「こういうあなた以外全て認めない!」なんて

他人に勝手に決めつけられたりしたら

もうそれこそ逃げ出したくなったり暴れたくなっちゃう。

この事に気が付いたら以前の父に戻ってほしいという

変な拘りがいつの間にか消えていました。


拘りって適度に持つと良い作用が有るのですが

それが過剰になると執着になってしまうんですよね。

前のめりになって居た気持ちを手放す事でとても楽になりました。

言葉を変えると良い意味で諦めがついたともいえるかもしれません。


なので、Aさんにはまずは気持ちだけでも問題から距離を取り

病を抱えている人の変化を徐々に受け入れられると良いですねと

伝えました。

それから自分が楽しい気分で居られる事を最優先してほしいと話しました。

なぜなら心の病は一概には言えないけれど症状が行きつ戻りつしますし、

罹患期間がいつからいつまでと明確に決まっているわけではありません。

心の問題は手術で切除できる物ではなくとても複雑で繊細なのです。

周囲が長丁場になると覚悟を決めていればそれ程焦る必要もない。

「こうあるべき・こうでなければ」という理想像を押し付ける事は

お互いに辛くなります。

家族の問題は身近なゆえにとても厄介です。

「私が何とかしなくっちゃ」と責任感から焦ってしまったり、

「私の接し方が良くなかったのでは?」と自己反省してしまう事が多いけど

余計な心配と過度な反省は自分にも周囲にも多大な悪影響が有ると思う。

まずは共倒れしない為に自分の心と体が喜ぶ事をした方が

いざという時に踏ん張れる気がするのです。


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