序章:わんぱくちゃっかりものな幼少期

~ 人生が始まって《こども》と言われる時代の話 ~

今回は幼少期の記憶と周囲の思い出や小学校時代の文集等・中学時代でわかる私のお話をしようと思います。

3人兄妹で字のごとく兄が2人で末っ子で生まれました。
父は女の子が欲しかったようで、待望の女の子。
小学4年生くらいまで私は父から「姫!」と呼ばれていました。
怒られることも少なくて、運動神経がいい兄2人を羨ましかったです。
私は誰に似たのか?と言われるほどの運動音痴のぽっちゃりでした。

母にまで「あんたは拾ってきた子」と冗談で言われ、兄の友達には「本当にお前の妹かよ笑」と言われ、きっと同じ学校に通う兄たちも子どもながらに恥をかいたことでしょう。知りませんけど(笑)

私は特に考える事はなく、ただ言われても「悔しい!見返してやる!」ってことはなくて。平凡に毎日が過ぎればいいやと思って生きてました。
本当に何も家族に興味がなくて、家に居ても居なくても変わらないそんなことが当たり前の家庭環境でした。

小学校中学年くらいの頃、父が気づいたら帰って来ない。
そもそも自分のお父さんってなんの仕事してるの?って状態で、ただ誰も何も言わないが同居していた母方の祖父がいつも父の文句を言っていたのは覚えています。

そして元々専業主婦だった母も昼間近所でパートに行っていましたが、夜も仕事をしに行くようになりました。もちろん私は特に何も考えていません。多分居ないことが当たり前だと思っていました。

唯一その生活で変わったことは、小学生なのに子供返りをしました。
寝る前に母の子守歌を聞かないと眠ることが出来なかった。

でもそのうち母は起きてるうちから仕事に行くようになり、子守歌をうたってくれる人はいなくなりました。私は自分の右手で自分の胸をトントンしながら、母が歌う子守歌【七つの子】を歌って泣いて泣き疲れて眠ったことを覚えています。

だからと言って学校で何もありませんし、性格は明るめでうるさいほうだったと思います。本当に幼少期から「笑顔が絶えない子」でした。

正直もう年も年なので自分の人生の半分以下の年齢の記憶は曖昧ですが、小学生か中学生の私は平凡の生活と強迫な生活の二面性のある生活を過ごします。

次兄からの暴力と暴言の精神的な苦痛による強迫性のある生活です。

日中学校ではスーパー笑顔炸裂な私ですが、夜は両親がいないことと祖父母が下の階で寝ていること、長兄は4つ上で反抗期真っ盛りで家に入り浸らないこと、そんな次兄が最強地位の生活環境が気づけば出来ておりました。

そして、呪いの洗脳はここから始まりました。

本当に当時はどれくらいの頻度だったのか、なにがきっかけなのか。
私がなにかしたからなのか。にしてもやりすぎな生活。

この続きは次回に・・・

次回から結構苦手な方もいるかもしれません。
不快になったらすぐに閉じてください。

では、また次回お会いしましょう、もね。

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