第一章 恐怖と洗脳と呪いの言葉
タイトルが不穏なのに、ありがとうございます。
今日は私が8年も受診してきて、やっと気づけた原因。
鍵となった生活と重要人物との話です。
個人的にはフランクな気持ちで「あり得ない!そんな人!」
「許すな」って言われるくらいの気軽な愚痴の一つとして聞いて欲しくて。
でもこのタグで検索した人はもしかしたらHSPの特性として共感というか、
イメージ出来てツライって方いるかもしれません。
その場合は、読まなくて大丈夫ですよ!それは逃げじゃないので。
避けることは生きる上で大事なことなので、大丈夫です。
そして、先にお話しします。
私は乗り越え切れていません。
なのでこの気持ちが数か月後、数年後にまた変わるかもしれません。
でも今の気持ちを、今の私が当時を振り返るとって意味で読んでいただければ幸いです。
ではここから下が前回の続きです。
「ねえ、なんで生きてんの?」
「さっさと死ねよ」
「生きてる価値あるの?」
洗脳なのか恐怖なのか、この3つのセリフだけは忘れない。
次兄が私に度々放っていた呪いの言葉。
皆さん学生時代に必ずコンパスって持ってませんでした?
そう、あの算数や数学の授業で円描いたりする太い針と鉛筆とかのやつ。
あれでね、ナイフゲームをされた記憶があります。
ナイフゲームっていうと「はて?」ってなる方多いかと思いますが、
子どものころ指の間をトントン鉛筆やペンでやる遊び流行りませんでした?
それをコンパスでされていました。
今考えたら「サイコパスぅ!!」って思いますw
コンパスの針って裁縫の針やミシン針より太いですよね。
刺さったら痛そうってレベルじゃないんですよね。
でもその行為を拒否したら手の甲とか刺されるって思うじゃないですか。
ただでさえミスして手か指を刺されそうなのに。
そのあと、どうしたか覚えてません。
ただ手も指もあるし自宅で大量の流血をした覚えもないので、無事だったんでしょうね。でもきっとその時に何か言われてても行動や視界から入る情報のほうが多くて、気にも留めなかったんでしょうね。
次兄はCDを貸さなかっただけで部屋のドアを破壊しそうな勢いで怒鳴って入ろうとして来たり、侵入防止にタンスでバリケードを作っても動かして必ず私のことを殴ったり蹴っていました。なんなんでしょうねw
その洗脳のおかげで私は小学生のころから人を蹴ったり叩いたりしていました。それが《暴力=悪いこと=してはいけない》は理解できていて、でも《自分に不利益=暴力=してもいい》と判断していました。
《自分に不利益=暴力=してもいい》をしなくなるのは、18歳で高卒後に社会に出て理不尽だけど叩けないことで自然としなくなりました。
実はつい最近まで、この仕組みに気づけていませんでした。
きっかけは、とあるツイッターの投稿でした。
最初は「あ~わかる~」って読んでいて、それって家庭環境がそもそも沼だったかも?!あれ?!我が家、複雑な家庭環境+αじゃね?!
って気づいたとき、私はショックで地下鉄のホームでマスク越しに息が少し荒くなりました。
今は友人の子供が悪いことしても手が出ることがありません。
きっと気づいていなかったら叩いてたかもしれない。
今は「ちょっとおいで"(-""-)"なんで嫌がる事するんですか!」って
注意するオババになってます(笑)
洗脳なのか教育なのか呪いなのか。
そこらへんが曖昧なカテゴリだけど、別にそれは《暴力=ダメなこと》っていうカテゴリでいいんですよね。私が人を蹴ったりヤンキー口調でまくし立てて過去は変えられないし、きっとそれで嫌な思いした人がいても償えません。
次兄が私に償っても「あなたに傷つけられた過去は戻ってこないし、記憶として残る傷です。それをあなたが詫びを入れようが何をしようが、私の人生に大きくかかわってしまった以上、あなたにできることは《二度目がない》《私の人生に干渉しないで》ということです」っていうのと一緒です。
これは私も大ブーメランです。
なので私は《同じ過ちをしない》《私は二度と連鎖させない》って学習するために、自己理解を深めています。
きっとこの自分の人生を理解したうえで「どう生きるか」って変わるので。
そういえば次兄は今でも職場の部下を「締めたわw」だそうです。
普通の会社員ですが、だれかあの人捕まえたり訴えたほうがいいですよ。
普通に社会で他人様にまで手を挙げてるとかただの刑事事件なんで。
ってな感じで複雑な家庭環境で育った義務教育期間でした。
今考えると、どちらが私の素顔だったのか。
きっとただ親に自分を見ていて欲しくて、でも殴られた私の顔もリストカットした手首も母には見えていなくて。家族には泣いてる私の顔は《兄妹喧嘩で負けて泣いてる妹》にしか見えてなくて「うるさいなあ」で終わる話だったんでしょう。
子供返りした私はそんな母の姿がショックで
「本当に私は生まれてきちゃいけない子だった」
「殴られて当たり前の人間なんだ」
「まだ人間として扱ってもらえるだけありがたいんだ」
「人の価値は他人が決めるものなんだ」
「間違えたら叩くものなんだ」
そう自分なりに落としどころを作って、殴られたり親に無視される理由を自分なりに認識していました。多分。
なぜ最後に「多分」が付いたかは、今後お話しできると思います。
次回はカウンセリングを受けて初めて理解出来たことなどの話です。
興味があればご一瞥でも構いませんのでご覧いただけると幸いです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?