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「最後まで諦めるな!」を別の言葉で言うと…

「最後まで諦めるな!」を別の言葉で言うと「閾を超えろ!」となります。なぜそうなるのか?以下をお読み下さい。


『閾を超えることと物事の上達』

 

「閾(いき)」ということばの意味ですが、「刺激がだんだんと増えて、ある点に達すると、そこを境にして感じたり感じなくなったりすること」です。では、この「閾を超えること」と「物事の上達」は、どのような関係があるのかについて、英語学習を例に説明させていただきます。

 

まず、初心者の場合。苦労に苦労を重ねて勉強します。いくらやってもなかなか上達したという感じが湧いてきませんが、ある日突然、手応えを感じるようになります。いったんこの手応えをつかむと、あとはトントン拍子で伸びてゆきます。努力が達成の喜びとして感じられるようになります。

 

次に、少し力がついてきた人の場合。単語や構文を意識して覚えてゆきます。しゃべるときにも、頭のなかであれこれと単語を組み合わせます。しかし、あるところから無意識に使えるようになってきて、基本的な事柄はある程度機械的に口をついて出てくるようになります。こうなると英語を感じなくなります。

 

今言ったことを自然現象に喩えてみます。たとえば、グラスに水を注ぐとします。あたり前のことですが、なみなみと注がないと水はあふれません。ギリギリまで注いでも、表面張力のために、なかなかこぼれません。そっと一滴を加えます。それでも水は踏ん張ります。もう一滴。まだまだこぼれません。しかし、こうしているうちに、何滴目かのひとしずくが一気に水をあふれ出させます。

 

英語学習やその他の物事において、あふれるほど水を注ぐ前にあきらめてしまうといつまで経っても上達しません。少し注ぐだけでは、次に注ぐまでに前の分が蒸発してしまいます。グラスが一杯に満たされるまで、集中して、真剣に、しかもある程度一気に注がないと水はあふれ出しません。つまり、上達するためには、グラスの水があふれ出るのと同じように、「閾を超えること」が秘訣であるといえます。つまり、「最後まで諦めるな?」です。

 

最後に、まとめの意味で、1991年4月3日付の朝日新聞に載った、ヴァイオリニストの諏訪内晶子さんのことばを紹介させていただきます。

 

「壁はいくつもあるけれど、同じ曲を何十回、何百回と弾き続ける中で、突然パアーッと青空が開けたような瞬間がくる。その時、自分の力が一段と飛躍した感覚になって、面白くてたまらなくなりますね。」 


以上                       


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