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香りは記憶に残り続けて、ふとした時に思い出を表層に押しあげてくれる

12年前に大切な大切な友人が自死した。

わたしがその知らせを聞いたのはアフリカから日本に戻ったとき。
当時はメールを見れるのは2週間に一回で、電話も通じなかった。

みんながあの手この手でアフリカにいるわたしに連絡を取ろうとしてくれていたと、帰国してから知ることになる。

残念なことに、彼の死を知ってから、1ヶ月くらいの記憶があまりない。

たまたま当時を振り返った日記を見て、がく然とした。
ずっと大事にしていたかった彼の記憶が、かなり薄れている。

日記によると、彼の死を知ったわたしは、翌日彼がなくなっていた場所を訪れていた。
恐ろしいことに、「そうかもしれない」程度にしか思い出せないのだ。

そう、思い出せるのは金木犀の香り。
彼が亡くなった場所には金木犀があって、いい香りがした。
だからわたしは、毎年その香りで彼を思い出す。

昔の日記の、この一節を読んで当時のことを思い出した。鮮明ではなく、うっすらと。
彼の死を知ったわたしが次の日に現場にお参りに行ったとは、正直思えないのだけど、そう記録されているのだ。

彼の死を知った次の日にお参りに行ったのだけど、 結局信じられずに、お参りできず、ただそこに行っただけだった。 線香もあげられず、悪いなぁと思いつつ、それでも、ただ景色を眺めて帰ってしまった。 
彼が亡くなった場所のすぐそばに、金木犀が咲いていて、すごくいい香りがして、
今でもその金木犀を鮮明に思い出せる。
こんなきれいな場所で死んじゃったんだなぁ、って思ったのが、印象に残っているから。

実はこの後の1ヶ月は、さらに記憶喪失である。
自分でもこわい。

彼が死んで3年経った頃の日記には、こう書かれていた。

そして、その後の1ヶ月くらい、自分でも怖いくらいにあまり記憶がない。 なにもしてなかったのかもしれないし、もしかしたら少しは働いていたかもしれない。 それさえ分からない。自分のことなのに。。。
とにかく1ヶ月、38度の熱にうなされて、夜は発疹が出て・・・ 
何か変な病気にかかったみたいな日が続いていた気がする。
私は本当に、彼が迎えに来たんじゃないかと、うれしいような、怖い気持ちになったんだ。
ずっと寝てたような、ほとんど寝てなかったような、、、
自分がちょっと怖かった。このままいくと、自分の精神が崩壊するんじゃないかと思ってた。
その時期を思い出そうとすると、すごく晴れた日に彼のお参りに向かう自分と、
電車に乗っている暗い自分だけが思い出される。

「すごく晴れた日に彼のお参りに向かう」という記憶が、ない。
本当に行ったんだろうか。行ったのかもしれない。
一方で「電車に乗っている暗い自分」はよく覚えている。

当時、わたしは疲れ切っていた。
仕事帰りに乗る電車では、抜け殻のようだった。
「こんな暗い顔してたら、変な人だと思われるかも」と考えていた。

そしてもう一つ。「記憶」についての気づきがあった。
わたしの記憶は書き換わっていた。

今日までのわたしの記憶はこうだ。
「ケニアの現場で出された井戸の水を1週間くらい飲み続けたら、日本に帰国してから1ヶ月体調不良になった」

でもこの日記を読むと、たぶんそれは違う。
本当に精神的に「きていた」んだと思う。彼のことがきっかけで、病んだんだと思う。

これらの記憶が薄いのは自分でも知っていたし、それはもういい。
わたしがこれを書いている理由は、他にあるんだ。

彼との楽しかった記憶が日記には羅列されていて、悲しいことに、そのほとんどが記憶の彼方に行ってしまったのだ。

みんなでキャンプに行ったとき、 バイトで遅れてキャンプに来た彼を、大喜びで出迎えたなぁ。 川原で二人で話したんだ。 たぶん大学3年生くらいの時かな。 彼が妙に思い出話ばっかりして、めんどくさいなぁ、って居心地悪かったのを覚えてるw

忘れたくなかった。どんなめんどくさい居心地悪い話をしてくれたのか、さっぱり思い出せないのだ。1ミリたりとも。

彼がバイトしてたカフェにコーヒー飲みに行くと、クリーム足してくれたなぁ。 それでバイト終わるのを待って、家に遊びに行ったっけなぁ。

やさしい人だったから、クリームくらい足してくれたのかもしれない。
そうかもしれないな、くらいにしか思い出せないのだ。

記憶がずっとずっと遠くにしかない。

わたしは、自分が怖くなった。
人は忘却の生き物というけれど、本当にそうだ。大バカものだ。

奇しくも、9年前の自分がすでにこう言っている。

人の記憶って不思議。 前に進むために、流れるようにどこかにいってしまう記憶もあるし、 整理されて、きれいなところだけが残ったりもする。
たった3年しかたっていないのに、笑ってる自分が罪悪感でもあり、
でもそうやって生きていくしかないんだよ、と自分に言ってあげています。
少しずつ遠くなっているんだ。彼の記憶が。

忘れることが悪いことだとは思わない。
いろんな思いをちょっと横に置いて、日常生活に一生懸命だった。
楽しいこともたくさんあった。楽しむには、忘れることが必要だった。
でないと、罪悪感から逃れられなかった。

昔と決定的に違うのは、自分が前を向いているところだ。
ずっと申し訳なかった。幸せになることが、申し訳なかった。
でもいつしか、その囚われも消えていた。
すっかり消えて、幸せに生きている。

昔のわたしが苦しんでいるのは、日記につらつらと記録されている。

彼は彼の道をただ決めて、そう歩いたのだと、納得できないけど、 しょうがない気持ちになってる。
じゃないと、残された私たちは前向いて生きていけないし。
でも、そんな前向きな自分が、たまに自分でちょっと悲しくなる。
もっと考えなきゃいけないんじゃないかって。 
もっと自分は苦しまなきゃいけないんじゃないかって思っちゃう。
毎日楽しく過ごしている自分は、すごく薄情なんじゃないかって。
そういう風に苦しむことが友情とか、愛情とかいうものの形なんじゃないかって。
本当は友情や愛情をそうやって測ってはいけないことも、わかってる。
きっと自分の中で、いろんなものがゆれているのかな。

人は人の中に、生き続ける。
記憶が薄れても、「大切な人だ」という記憶は残り続ける。

小さな記憶の積み重なりは、遠く遠くに行ってしまうけれど。
思い出す回数は、減ってしまうけれど。

金木犀の香りが、ふとした時に彼の思い出をわたしの表層に押しあげてくれる。ずっとずっと、心に生きていたんだよって、教えてくれる。


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