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エッセイストのエッセンス #2

【この投稿の目的】
名乗ったからには勉強したいということで、少しずつエッセイを読んだメモ。不定期シリーズ。

ようこそ、ちきゅう食堂へ
小川 糸

美味しそうな食べ物、そしてそれらを作り出す人びとのことを書いた、読む人のお腹が空いてしまう作品。食べることは、人を良くすること、人が良くなること、そんなことを考えながら、料理をすることの尊さに感謝できる作品でした。

読みながら感じていたのは、作品における作家の言葉遣いは、語り口調にも反映されてくることでした。というか、それは順番が反対で、むしろ普段の生活の中から作品が生まれている、そんな当たり前かも知れないことを発見した気分なのでした。

食べるのが好きだという人は多い、僕もその1人だし、一回いっかいの食べることを出来るだけ楽しみたいと思うほうです。

楽しく食べる、という時、誰かと食べる、大勢で食べる、ということを連想される方も多いかも知れません。でも、僕はひとりでランチを食べることが多いです。でも、楽しく食べられます。なぜなのか・・考えながら読みました。

料理の神様の愛弟子たち

筆者が、出会った人たちをこう表現することで、それぞれの人がどんなふうに料理をするのか興味が生まれてきます。素材を育てているという人も登場しますが、自然との関わりをしっかりと語り、そして誰かが料理して、誰かに食べてもらうために、その営みに責任を持っている感じが、ストイックで”弟子”っぽいのだと思うのです。

いくつもの旅が収められていますが、とりわけ僕が好きな旅の話から少しずつ。


岐阜県・中津川市 栗きんとん発祥の地

「自分で手がけたものは、何でもかわいいよ」

トゲトゲの毬(いが)の中から、艶めく栗の実を取り出した時、そのぷっくりした見た目はとても可愛いだろうなぁと想像できます。臆面もなく、”かわいい”と言える栗農家さんの実直さと、それに応えて町中の和菓子屋が、栗きんとんを結ぶ光景・・そりゃ美味しいはずですよ。

9月9日が重陽の節句と聞いて、調べてみたら、なんと栗きんとんの日でもあったらしくて、この話を書いていて、何か縁を感じています。栗きんとん、あれは本当に栗の美味しさを引き出してくれるお菓子ですね。以前、栗きんとんを載せたモンブランがありましたが、これは悶絶するほどおいしかった(笑)

何でも「かわいい」と思えるほどに、手をかけることができるかどうかも、問われている感じがします。自然相手の農家さんの作物への愛情は、計り知れません。


滋賀県・大津市 月心寺の庵主様

「誰かに料理を作るとは、その人の尊い命につかえること」

この言葉を受けて、筆者は料理について深く考えを巡らせます。料理は、食べる人の幸せを願う祈りであり、究極の愛情表現ではないのか・・料理をするのは、人間の特権みたいなもの。確かに、料理は人間にしかない文化なのだと実感しました。

火を使用するようになってから、人間の暮らしは格段に進展して行ったというのは人類史の始まりですが、そこに支えられた料理という営みは、確かに特権かも知れません。

作り手が背負っているもの、料理は作り手の分身であるという筆者の気づきは、良くも悪くも力がありました。料理が苦手だからといって愛情が足りないなんて思わないけれど、料理の難しさを愛でカバーするというのは、実に難しいことだと思います。

美味しいからこそ、そこに愛情を感じるのか、愛情を感じているから美味しいのか、それは個人差があることです。少なくとも、僕が料理をする時には、それを食べてくれるであろう人に向けて、ちゃんと意識しようと思えたのでした。


ほかにも紹介したいのですが、それは本編を読んでいただくとして、この作品では、全編を通じて「命を支える料理」の様々な側面を垣間見ました。

単なる作り手の紹介ではなく、そこには命の支え手という自負や、正しいことをきちんと繰り返すことの難しさがしっかりと書かれていて、そして、どれも美味しそうでお腹が空きました。


前回のエッセンスはこちら


#エッセンス #料理 #栗きんとん #月心寺





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