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あの日(4年前の日記)

問い)もし、東日本大震災が起こらなかったら、あなたはどんな人生を送っていたでしょうか。

5年前、僕は転職して始めての年度末を迎えていた。 あのとき、自席で何か会議の資料を作っていたような記憶がある。 細かい揺れが続き、グラングランと揺すられるような揺れがとても怖かったのを思い出す。

安否確認の電話が全然つながらず、業務らしいことも手に付かず、日付が変わって、やっとのことで帰宅できた。 何かとんでもないことが起こってしまった・・という、信じられないような、 また自分の周囲に大きな被害が無かったことを安堵するような、そんな週末。

当時、日本赤十字社の担当をしていたこともあって、募金を集めるなど、多くの善意に触れられた。 一方で、発生直後から避難所からのテレビ中継が多く放送されることで、 現地の生々しい様子のほかに、人々の声が多く聞こえてきたのも思い出される。

被災地に物資を届けてほしい・・・そんな要望の電話が鳴り続けたことがあった。 必死の被災者の様子を見て、自分も何かしたい!でも、誰かが何かしてくれないと動けない! そんな想いが、準備が整えられないでいた僕たちに容赦ない言葉となって攻撃してくる。

「人でなし!」
「お前ら、誰の税金で飯食ってるんだ!」
「困ってるのに助けないのか!」
「それでも人間か!」

中には、ゴミを送りつけようとしていることが分かっていなくて、自分はとても尊いことをしている、と勘違いして激高する人もいた。 

「孫が来た服なのよ!キレイに決まってるでしょ!」
「引越しで要らなくなった家電を、被災地に送りたい・・」

そんな荒んだ言葉もありましたが、やはり温かい心を垣間見る瞬間も多くあって。 募金をしたいとやってきた小さな男の子が、一生懸命握りしめていた100円玉。 物資をただ送るだけではなくて、ダンボールに激励のメッセージを書こうと言ったボランティアさん。

僕が、東日本大震災を境に考えたことは、自分の命、他人の命の儚さだった。 地震のあと、僕の周囲の人が体調を崩して、 命の危うさみたいなものを突きつけられた時があった。

命が無くなってしまったら、やりたいことができないまま、言いたいことが言えないまま、 きっと後悔するだろうなと強く思うのだ。 例えば、感謝の気持ちを伝えることも、命が無いと伝えられない・・そんな単純なことに気づいて、 僕は本を読むようになって、ありがとうと声に出すようになって、人と会うようになって、 体のために食べる量を減らして、持ちモノを減らして、生きることに真面目になろうと心がけた。

僕が変わろうと思ったきっかけは、東日本大震災だけではないが、 いま、あれから5年経って、僕の周りの多くのことが変わった。 偶然・・といえばそうかも知れないが、あの震災がなかったら、今の生活はありえないと断言できる。

亡くなった人の分まで、なんて生意気なこと言えないし、きっと無理。 でも、亡くなった人がうらやむような人生にしてみたいと、いま強く感じている。

問い)あなたは明日、何を食べたいですか。

いま、自分を表現するための道具となる、思考力を学ぶ本を読んでいる。 大きな問いに正面から突っ込むのではなく、細かい問いを重ねて核心に近づくことで、 より説得力のある、そして自分の分身としての言葉が生まれてくる・・とあった。

問いの答えを考えることは、自分の価値観や経験を洗い出し、 責任のある言葉をつなげる訓練になるようで、とても気持ちがよくなる。 重たくなるのではなくて、もっと細かく軽く。それが、考えることを簡単にするのだそう。

こうした節目で、考えることはとても大事だと思う。 たとえそれが反省であっても、良い方向に変わっていくきっかけになると、 僕はこの5年で実感したから。

(2016年3月11日mixiで書いた日記を一部修正)

いま、周囲は混沌としている。その混沌を認めつつも、普通でありたいと願う社会の雰囲気が痛々しくて重苦しい。自分の命を守りたい、家族の命を守りたい・・目に見えない恐怖に対峙して、精神はすり減っていく。あの地震は、不幸な災害だったけれど、みんなで乗り越えたいという気持ちが感じられた。

あれから・・で語られるのは、変化や美化のような動きのある見た目。でも、上手く表現できないが、変わらない変われないものも沢山あるのだろうと思う。評価というとおこがましいけれど、そういう存在も大事にしたい。

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