おむすび△ #おむすびの輪
おむすびを頬張ったとき、ふわりと梅干しの香りを感じたとき、あなたは幸せですか。
僕の場合は、「うぇっ。はずれた!」・・すいません。
僕は、梅干しおむすびが苦手なのです。
僕が生まれた神奈川県の川崎市には、東海道が通っていて、江戸時代には"宿"がありました。その名物は「おむすび」でした。
将軍に就任するため、紀州から江戸に向かっていた、徳川吉宗の一行が、川崎宿に滞在した際、おむすびを大量に作って大行列の腹を満たしたことから、広まったとされています。
現在の川崎からは想像も出来ませんが、一帯は田畑の広がる地域で、稲毛米として珍重された米の一大産地でもありました。地主の要請により、農民たちが協力して、大量の白米を宿場に集めたとされており、その対応にも将軍がいたく感心したという記録があるそうです。
おむすびと言えば、あの三角形。その発祥が、川崎宿であると言われています。
江戸の世を治めた徳川家の家紋、葵の御紋がその由来だとされているのです。三角形に握ったおむすびを、丸い盆に3つずつ並べ、御紋に見立てたことから「御紋むすび」と呼ばれていたようです。なんだか縁起のいい話ですね。
当世のお殿様に認められ、以後数百年もの間、川崎宿の名物として名を馳せたのが、おむすびだったのです。
ちなみに、川崎駅の周辺には「おむすび屋さん」が多いように思います。(個人の感想です)
JRの出口にも、私鉄の出口にも、近くにおむすび屋さんがあり、駅の中にできたショッピングモールや、リニューアルした地下街にも、おむすびをメインにしたお店があります。おむすびの朝ごはんをアピールしているホテルも開業していたりします。
おむすびは”家で作るもの”から、”買って楽しむもの”に変わりつつあるのかも知れません。
毎年、市内の川崎区ではおむすびレシピコンテストが開かれ、商品化され区内のお米屋さんで販売されていたりします。
おむすびは、誰にでも食べられるシンプルな“ごはん”。
江戸の時代、川崎宿では、旅人、お店、農民、それぞれがつながって、良い三角関係でもって名物を支えていたのかも知れません。
そう考えると、苦手な梅干しおむすびも、少しだけおいしく食べられるようになるかも知れないと思うのでした。
ごちそうさまでした。
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おむすびを毎日発信している、ハスつかさんのステキ企画に参加させていただきました。1日1個、合計1,000個のおむすびを食べる、という壮大な目標を掲げて、毎日更新されています。すごい!
身近な土地で、三角おむすびが生まれていたとは。そして「そういや、おむすび屋、多くないか?」という発見も。ありがとう、おむすびさん。
みなさんの、”とっておきのおむすび”も是非。
読んでいただき、ありがとうございました!
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