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劇場にて

 観劇が好きな方は、多いと思います。ただ、あまり表に出てこない気がしています。それは、観劇が不健全なことではないけれども、非現実を体感する場を表明するのが恥ずかしくもあり、もったいない気持ちがするからなのかと、観劇が好きなひとりとして考えていたりします。個人的には、そう、恥ずかしい。いや間違えた、もったいないのです。

 観劇の目的は人それぞれなので、その価値観みたいなものを他人に伝えるのは難しいのですが、僕が観劇する理由は「人が作り出すことの素晴らしさを体感したい」から。体感しているのは、物語、音楽、歌、演技、踊りなどなどの作品たちなのです。

 観劇と一言で表現しているけれど、もっと詳しくジャンルがあるだろうというご指摘もあるでしょう。それは、オペラ、ストレートプレイ、ミュージカル、レビュー、人形劇、パントマイム、色々とあるのでファンが分散しているのだと思います。さらに、観る動機も様々なので、好きな人は多いけれど散らばっているのだと思うのです。

 先日、4年ぶりに劇団四季を観ました。演目は「EVITA」(エビータ)。若くして没したアルゼンチンの星、大統領夫人エバ·ペロン(愛称エビータ)の生涯を描いたミュージカルです。初めて観ました。
 
 書き忘れていましたが、僕は劇団四季がとても好きです。4年ぶりと書いたのですが、その4年前までは多いときには毎週のように客席にいました。そこで、演目や俳優など好きなものを書きたいのですが、ぐっと堪えて、今回考えたことを書きたいと思います。

演目のあらすじ。
エバという女性が、私生児として田舎で生まれ、野心に燃えて都会に出てのし上がっていく半生を描くとともに、ついに上り詰めて大統領夫人となって国を動かしながらも、若くして病魔に襲われこの世を去るまでの物語です。

劇場に入ると掲げられているキャスト表には、久しぶりの観劇にも関わらず、ほかの演目で観た印象深い名前がいくつも載っていました。今回は、四季としては比較的小さな劇場でしたが、出演者が多く、歌の場面での声の厚みが圧倒的で、とても心地よい体験でした。

満席の客席は年配の方が多い印象でした。それというのも、四季の創設メンバーであり演出家の浅利慶太の追悼公演という名目もあったからでしょうか。日本の演劇における四季の功績は、様々なところで語られているので、ここでは表しませんが、少なくとも観劇を趣味とする人を増やしたことは間違いないでしょう。彼の演出は、訳語によるセリフこそ(失礼ながらも)時代を感じさせる言葉遣いですが、その「硬さ」ゆえに格調高さが保たれているようにも感じました。

時代背景に明るくないのですが、お芝居としては、ひとりの女性の野心と、国や社会の閉塞感との出会いが大きなドラマとして描かれている印象でした。当時の階級社会や軍による政治などは、教科書的な知識でしか理解はできませんが、ひとつの希望を糧にして社会が変わろうとしていく様子には現代的な匂いも感じられて、国や時代が違っていても根本的な課題は残り続けており、それはいつまでも解決しない難しい問題のような気がしました。

 ただ、女性の立場が変わっていく現代だからこそ、力強く、また儚くも散ったエビータの生き方は、とても鮮やかに見えました。

 こういうまとめ方では、本来持っている魅力や、劇団や俳優それぞれの努力を無視してしまう可能性があるのですが、あえて書きたいことがあります。四季を何度も観に行った経験があって感じることは、技術的な蓄積と素晴らしい音楽により、観客はいつでも高水準のパフォーマンスが観られるという安心感があるように思うのです。

 今回も観劇が久しぶりで、しかも演目は初見ではありましたが、物語や音楽に入り込むことは簡単でした。それは、セリフが聞き取りやすいとか、距離が近く舞台で何をしているのかが見やすいといったことがあるから。そして、演じる側のことを考えてみると、舞台上で言葉をきちんと伝え、緊張感の中にも嬉しさや楽しさを見出しながら演じているのを観ると、同じ人間として羨ましくなります。

 帰り道、彼らの躍動や頭に残った歌やセリフが、励ましとなって「明日も頑張ろう」と背中を押してくれるのです。

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