手と、手の、あいだに
駅のオープンスペースにあるテーブルで、モバイルキーボードを使ってみているけれど、なんとも落ち着かない(笑)手元が隠せないのもそうだけれど、何より自分のタップが遅くてはずかしい。
目の前の画面が、スマホと言うのも、手元のキーボードに対して大きさがアンバランスな感じがする。端からみていたら、ちょっと面白いかも知れない・・なんて考えてしまう。
でも、このキーボードはいい。充電式で電池がなく軽くて、薄い。文庫本くらいの大きさ。キータッチの音がほとんどなくて、シャカシャカと聞こえる程度だし、タッチが浅めなので、動きが少ない。マックのキーボードの感じに似ているかも。付属のスタンドも、ちょっと脚の部分を動かせばすぐに使える機構なのはありがたい。
そんな中で気がついたことがある。
両手を使うことは、集中するきっかけなのかも知れない。
両手を塞いで何かをすることは、体勢的にも目の前のことを見つめる必要がある。
ノートを書く、ピアノを弾く、編み物をする、包丁で切る、洗濯物をほす、子どもを抱く、そして単行本や絵本を読むことだって、両手がいい。そんなことを考えてみたら、片手で、まさに片手間でできることは集中できないのかも知れない。
ながら食べ、はそれぞれの手が別々の働きをしているからこそできるものだし、スマホを操りながら、誰かと話すことだって経験がある人は多いだろう。そんなことをしてはいけない、とたしなめられることも多くの人が経験しているだろう。
もちろん、おんぶの体勢となれば話は違うが、でも考えてみたら、背中に意識を集中させるため、目の前を“見るとはなし”に見ているのかも知れない。
例えば、こうして投稿を書いている時にも、両手でパチパチとタイプするのと、左手で支えているスマホを、右手でフリックしながら書くのは、結構感覚が違うのだ。
しかも、両手を使うキーボードでの入力は、きっと多くの人がローマ字だろう。すると、一文字打つにも2回はタッチが必要になる。めんどくさい方が、集中する、それは多くの人に経験があることだ。
ちなみに、読書をするなら、紙の本がいいとされている。それは、呼吸が深くなるからなのだそうだ。
両手で持って、目の前に集中すること。大切にしたい。
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