かいてみようね

昨日ナオさんが言ってた話、自分の大好きなミュージシャンが、「わたしなんかに歌詞は書けません!って謙遜する女性タレントに、ほら、その気持ちがそのまま歌詞になるじゃない、と言って、その言葉のまま歌い出した」という話。そういう、こんなのどうなんだろうっていう壁はあくまで自分の意識でしかなくて、その時こんなの、と呼ばれているそのなんらかは、もっとフラットなものであろうから、他者がどう感じるかなんて、わからない。どうジャッジ、どう聞かれる、かなんて、わからない。それならその時に心にあるなにかを出す、ということ。に価値がある、ということ。この手法、よく知ってるよ、もっと何かひりひりするその先やり方が見たいよと思う気持ちも心の底には張り付くようにあったけど、今心の中にあるなにかを出すという行為に、しっかりと誠実なひとつのやり方だろうし、今心の中にあるなにかを出すってこと、自分のそれが見られると思ったら、なんだか性懲りも無くわくわくしてきた。本当それでいいんだと、暫くの間コトバ、にすることができなかった私のココロノナカ、がふわっと香った気がした。どこからか風が吹いてきて扉が開きかけてほんの少しの隙間ができてまたすぐ閉まった、みたいな。
別にずっと私の扉を外からの強風が押さえつけていたわけではなかった、障害があるから開かないだけで、内側からずっと開けようとしていた、わけではなかった。ただこちらから、香り立つみたいにふわっと出るなにかがなかっただけだった

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