ヒルナンデス

2/23 ヒルナンデス

昨日に引き続き、Twitterのトレンドに絡めて考察を行っていこう。
私は普段テレビを見ておらず、ヒルナンデスも当然未視聴な訳で、芸能人がたくさん出演しているんだろうなぁと言う浅い感想しか出てこない。
これでは記事としての価値がまるでないので、今日は現代における芸能人の意味について考えようと思う。

芸能人とは

最初に、芸能人という言葉の意味について簡単に調べて見た。曰く、芸能を職業にしている人の事である。と言っても、芸能の意味はあまりにも広く、まだピンと来ない。
芸能人と呼ばれる人の中には、歌手や女優、漫才師や元プロ野球選手のように幅広い経歴の人々が含まれる。それらに共通していることは、ある程度多数の一般人に知られていることでは無いだろうか。
以上のことから、本記事では芸能人≒テレビにおける有名人として扱う。何故「テレビにおける」という枕詞を用いたかと言うと、YouTubeやtiktokでの有名人を芸能人と呼ぶかと言うと、現時点で自分の中ではあまりしっくり来なかったからである。いつの日か芸能人=有名人となる日が来るかもしれないが。

現代における芸能人の意味

さて、ここからが本題。
前述の通り、YouTubeやtiktokといったSNSの普及により、有名人と呼ばれる人の絶対数が増えている。有名人は大多数の人間によく知られており、一般人よりも行動の社会的影響力が高い傾向にある。スキャンダルや結婚報告がニュースになるのも、その影響力故であろう。
かつてテレビしか無かった時代では、芸能人の言動で社会が一喜一憂し、消費行動などの意思決定に大きな影響を与えていった。
しかし、テレビ業界のマネジメントなしでそうした影響力を持てる現代では、持てる影響力の分散が起こっているのでは無いかと考えられる。テレビだけが持っていた影響力を、他媒体で奪い合っているのである。
こう考えると、媒体の持てる影響力=その媒体を支持している人数と言える。そしてその人数を奪い合う争いの矢面に立たされるのが、各媒体の有名人である。
冒頭で、テレビの中の有名人を芸能人と呼ぶと言ったが、芸能人は現在、テレビに留まらず他のSNSでも活動しているのが普通である。芸能人の役割は既に、テレビの視聴率稼ぎでは無くなっているのだ。
しかし、SNS発祥の有名人と、テレビ発祥の芸能人では、明らかに違う性質がある。それは、活動の意思決定者の違いである。
SNSは基本、自らが自らをプロデュースし、有名人へと成り上がる。対して芸能人には大抵、マネージャーが付いており、番組にはスポンサーや監督が付いている。SNSは始めるハードルが低い分、ライバルが数多いて、その分埋もれる可能性が高い。しかしその分活動方針はほぼ自分で決められると言っていいだろう。対して活動の意思決定者が自分だけでは無い芸能人は、番組の段取りや心身のメンテナンスを任せられる代わりに、それだけ意見の対立やすれ違いが生じ、自由に活動できないというデメリットがある。
これらの差異が無くならない限り、芸能人≒テレビにおける有名人という感覚は消えないだろう。
広告収入という稼ぎ方が一般化し、人気=稼ぎになった現代では、有名になるための手段も多様化していると言える。その手段として、SNSを使うか、テレビでマネジメントしてもらうかという好みの問題になっているのではないだろうか。

結論

以上のことから、現代における芸能人の意味とは、メディア社会の中で有名になるための形態の一つである。というのが私の出した結論となる。
正直、自分でも詰めが甘すぎるのでは無いかと思うが、容赦して欲しい。この記事は自分の論理展開や文字書きの練習として描き始めたものの第二弾目なのだから。
コメンテーターへの道も、文字書きとしての道も、まだずっと遠いのだ。


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