【重度知的障害③】私が教えてもらったこと(後編)
◾️いち個人として、素晴らしい人間性を持つ人が多い。
障がいのある人は、まだまだ差別や偏見にさらされる場面が多々あるのだな、と事業を運営していると感じることがあります。
当事者やご家族は、無意識の偏見や理不尽な差別に嫌な思いをしてきたことも多いのではないか?と思うこともしばしばです。
日々、生活を支援している私の立場でも、あまりにもひどい偏見や差別に、腹を立ててしまうことがあります。「こんなことが許されていいのか?」と思うことも多々あったりします。
しかし、私が腹を立てている横で、当事者であるご利用者は、仮に偏見や差別的なことにさらされても、意に介する素振りはなく、腹を立てたり、その人のことを悪く言ったりすることはありません。
(※むしろ、そんな様子を見て、腹を立てていた自分が冷静になったり、未熟さを痛感したりします、、)
そんな、彼らの人としての寛容さや器の大きさに日々接していると、「腹を立てても解決はしないし意味はない、、そんなことより、この人たちが安心して暮らしていくために、できることをやろう」と思わせてくれます。
また、日々、他の人からの見られ方を気にしたりせず、やりたいことに一心不乱に取り組む直向きな姿を見ていると、見栄を張ったり、人からの見られ方を気にしたり、些細なことにイライラしている自分が、なんとも「ダサい」と感じてきます。
障害があるから可哀想でもなければ、障害があるから尊敬すべきということでもありません。
ただ一個人として、その寛容さや包容力、やりたいことに直向きな姿勢に、尊敬の念を抱かせてくれる、そんな人達なのです。
◾️我々は何を目指すのか?
ご利用者の皆さんは、1人では着替えができなかったり、お金をもって買い物に行くことはできなかったり、支援なくして日々の生活を送っていくことが難しい人が多くいらっしゃいます。
だからと言って、ご利用者の皆さんは、
・できないことを、無理に克服すること
・社会の「こうあらねばならない」に、我慢して適応すること
なんて、全然求めていないのではないか?(眼中にないのではないか?)と感じるし、
ご利用者と接することで、日々、やりたいことに全力で取り組み、笑顔で暮らすことの方が、はるかに大事なことではないか?と感じるようになりました。
社会の「あるべき姿」と勝手に誰かが思っていることに合わせるのではなく、
日々、一人一人が、自分らしく、楽しく、安心して暮らしていけるホームを目指そうという事業所の方針は、これらの経験から来ています。
◾️成長の機会を貰っているのは我々の方
よく、私たちの仕事は、ご利用者の自立や成長を支援していく仕事だと思われたりします。
しかし、上述のように、社会の「あるべき姿」にご利用者が合わせるのではなく、
「変わるべきは私たちではないか」と考えていくと、私たちの方こそが、「ご利用者のためにできることはないか?」と日々考え成長する機会を貰っていると捉えることができるし、
また、その日々の支援の中で、ご利用者の素晴らしい人間性に触れることで、やりがいをたくさん貰っています。
そこに携わることができている日々に、感謝しなければならないなぁとつくづく思うのです。
◾️地域や社会との接点を作っていきたい
まだまだ、「障害」には多くの偏見が世の中にはあると思います。
そのような偏見や差別があると、私はついムッとしたり怒ったりしてしまいますが、
その偏見や差別も、障がい者と関わる機会を持ってこなかったからこそ生まれているものなのかな、とほんの少し別の見方もできるようになってきました。(未熟ゆえに、まだほんの少しですが)
障害のある人が持つ、素晴らしい人間性や生き様に触れて自分の考えが大きく変わったように、
グループホームのみならず福祉事業の運営を通じて、地域や社会との接点を作っていき、差別や偏見のない社会を作っていけたら良いなと思っています。
障害のある人達が、ありのままに、自分らしく生活をしていける社会を目指し、邁進していきたいと思います。