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祖母の押し花

8月も、もう終わり。
頭の中にあることを、少しずつ出しておく。
なかなかゆっくり文章を書けないまま日々がすぎ、メモは色々としているのだけど、使い切ったノートは棚に収まって、読み返せなくなっていく。

今年は、色々と自分の棚卸しだと思って
これまで数年ひたすら動いていたので、今年は自分がやってきたことと向き合い、整理をしたり、資料を作ってみたり、色々と書類を出してみたり、水面下動いてはいるのだけど、目に見えて成果はなく。

これまで自分がやってきたことを、あんなに沢山、色んなことを思ってやってきたけれど、まだまだ全然形に出来ていないことに焦りを覚えては、
なんとか形にしたいのだけど、まとまらず。

日々、それでも手を動かし、資料を作っては出し、色々と地道に積み重ねてはいる。

もうダメかもしれない、
舞台芸術や、自分がやってきたフィールドワークや、作品づくりは、もはや続けてはいけないかもしれない。
と、何度も思って、今も正直まったく自信はなく。
これをどうやって私は続けていけるか、生活していけるのか、必死に考えるけれど、答えはでない。
動くしかない。

友人たちも、様々な形で続けている人もいる。
でも、続けられない、という選択肢も、沢山みてきたし、それは人それぞれの人生だ。

さあ、私は。

と、今年、ずっと考え、手を動かし、人に会い、試し、試行錯誤。

もう、頑張れないのかな、
頑張りたいけれど、その気力さえ、なんだかぽっかりしている。

今年は、コツコツとだけれど、庭に少しずつ色んなものを育てている。
雑草がひたすら覆い隠すようにわさわさと育ち、どこが植えたもので、どこが勝手に生えてきたものか見分けがつかなくなってきているけれど。
でも、それもまた、いいと思っている。

でも、これまでの旅のことを、何かしらの形で、届けてみたい。
小さな冊子とか、誰かがゆっくり手に取れる形で。

今年はなんだか、いつもの繊細さに輪をかけて、ひとつひとつの衝撃波が大きすぎて、びよんびよんと心の振り子が時々パーンと飛びそうだ。

生きているしんどさが、どうしても襲ってくる。

どうやって生きていけばいいのか、手足を動かすしかないのだけれど、
なんだか、疲れてしまった。

祖母の遺品を整理していたら、小さな箱にたくさん、押し花を集めていたものが見つかった。

もう、数十年前のものだと思う。

長い間闘病していたことを、子供の頃はあまりわからないまま接していたけれど、
古い写真で見る祖母は、気の強い、品のある、かっこいい女性だった。

おばあちゃんも、花を集めるの、好きだったんだね。

東日本大震災の年、2人の祖母はそれぞれ旅立った。

祖母に向けた祈りに、花で何か作ってみようか。

遠い昔からのタイムカプセルのような、おばあちゃんの押し花。



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