所信表明演説

ですから僕はこうしてここで
言葉などというつたないツールで
つまり塩素まみれの汚いプールで
溺れて見せましょう

wonderboy「もしもこの世に言葉が無ければ」

 3年生のもなかです。エオルゼア文芸部で自己紹介するための良い感じのブログが無かったので取り急ぎブログというものをこさえてみました。若かりし頃は二次創作で小説のようなものを書いたりはしていましたが、その後は長らく作詞畑で活動していたので、どちらかというと留学生に近い感じかもしれません。なお、残念ながら楽器も弾けませんし音符も読めません(’’

 作詞畑で活動してきた中で思うのは、作詞と小説は同じ文字を扱う文芸ではあるけれど、アプローチの仕方は根本から違ったものであるのではないかなというところだったりします。少なくとも僕にとっての作詞は或る感情の平面から立体を読み取り、外壁を取り外して核となる部分を探り当てる作業であったりしました。

 けれど小説というのはもっと違ったアプローチなんじゃないかなと思うんですよね。あくまで感情の一点に切り込んで行く事を是とする作詞と違って、多くの小説は事象的に感情の在り方と動的な推移を捉えている。事象の上を踊る漂流物としての感情の在り方というアプローチが俯瞰的であるというか、相対的なんですよね。もちろん、僕がそう思うのは僕がそういう作風の小説を好んで選んでいるせいかもしれないですけれど。

 僕が最も好きな短編小説のひとつが、江戸川乱歩の芋虫だったりするのですが、芋虫のラストシーンなんかは象徴的に物語そのものがタイトルに集約されているように思います。これから読む方もいらっしゃると思うので、内容には触れませんが、人の営みや感情の起伏そのものを事象の平面に集約させて描き切ってしまう表現は、非常に彩り豊かな奥ゆかしさを感じます。それはどことなく乾いていて、機械的で、湿った私情の染み込む余地の無い断絶された空間なのですが、だからこそ我々の感情はそこに吸い寄せられるのかもしれないなと思ったりします。

 ところで僕は中高と体育会系の部活に勤しんでいたので、文化的な活動とは縁遠い子供時代を送ったりしていました。何を間違えたのか一時は文字を書くことを生業としていた頃もあるんですが、たぶん生涯で50冊にも満たないほどに本を読んだ事の無い僕にとって、それは大きなコンプレックスでした。他者の行動と価値観を立体的に追体験させる本という存在は、自身に構築された価値観を揺さぶり、感情の立体面を見る眼を育んでくれるものだと思いますし、周囲を見渡せば、良い言葉を紡いでいる仲間達は総じて圧倒的な読書量がありました。なので、それを持たない自分はコンプレックスに苛まれると共に随分と苦しんだりもしたものです。

 ともあれ。そんな紆余曲折を経て、今ではしがない事務員をしながら友人とMMORPGに励む生活スタイルに落ち着き、エオルゼア読書倶楽部に出会えたところで、ようやくまた穏やかな気持ちで文芸に触れる事ができるようになれたような気がします。必要としなくなってから求めていたものが得られるというのも皮肉な話ではあるのですが、だからこそフラットな気持ちで過不足なく文芸を享受できる今がわりかし楽しいです。

 そもそも文芸部とか文学部って昔から憧れがあったんですよね。間違えてわりと熱心な運動部に入ってしまったり、高校大学は商業だったりしたのでどちらとも関わることなく学生生活は終わってしまったのですが(’’ デーン

 そんなこんなで読書量もそれほどなく、読むペースも遅く、読書会も不定期参加で、畑違いで耕した古の杵柄しか持たない僕ですが、そろりそろりと楽しんでいけたら良いなと思います。ついでに、これを機会にNoteにも好きな漫画や音楽や小説や映画なんかの感想文とかも書いていけたら楽しそうな気がします。以上、自己主張の強さに定評のあるMonaka Lupineによる所信表明演説でした。今後とも、どうぞよしなにお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?