NPOへの寄付

 本記事は上記動画の感想文である。

 まず最初に思ったことを言うと、俺個人としては駒崎さんの言っていることは分かるし、共感する。
 ただ、コメント欄が駒崎さん批判一色なのも理解が出来る。
 自分の理想をどう具体化するかを考えている俺にとって、かなりタイムリーなコメント欄だと感じた。

 俺は正直、駒崎さん寄りの考えだ。
 年収が1000万円というのが低いと言うのは、お金が沢山貰えないという不満では無く、業務内容や職責に対して評価が低すぎるという不満なのだ。
 資本主義社会において年収というのはダイレクトに世間の評価に繋がる。少なくとも人材募集においては如実に直結する。色々風当りも強い業界で世間からの評価が低いと言う状態では、NPOで働く人はなんかすごい高邁な人でなくちゃならなくて俺みたいな凡人には及びもつかないところだと言う隔絶を生む。高邁な人が崇高な使命を持って勝手にやってろ、俺達にはどうせ無理な領域だよ、という断絶を生む。それがまた人々の無関心に繋がる。
 だから、もっと寄付をして欲しい。関心を持って当事者意識を持って欲しい。
 だからそんな絡繰りも見えずに遠巻きに罵声だけを浴びせてくる衆愚が腹立たしい。ちゃんとどれだけ自分達が頑張っているのか近寄って確かめようともしない。

 その気持ちは分かる。いやそうとも限らないか。俺はそのように感じていて、感じた。それが傲慢だと分かっていて尚、そう思う事を避けられない。
 だが当然、思う事は自由でも言う事はそうでない。公けの場で放送されたことについては特にだ。故に、コメント欄が駒崎さん批判一色になるのは、正直道理でしかない。
 正直コメント欄の半分は道理では無くただのやっかみだ。自分のやりたいことをやって自分より高い評価(給料)を貰っている奴を引きずり下ろしたいだけの連中だ。残りの半分は道理と不信感だ。俺らに文句付けるより先にやることあるだろうという呆れだ。
 俺は駒崎さんが実際どういう人柄でどういう努力をされている方かは知らない。放送中で言っていることは理解出来る。が、やり方が拙い(隣の村上さんの方が余程適切)。あと正直顔がマイケル・ジャクソン並みに整形っぽくて気に入らん。といった動画を通しての印象しかない。滅多にない撮られる立場で気持ちが先行し過ぎたのだろうという予想も出来る。
 が、結局のところやり方が拙いとやっぱり思う。持つ者として見られる人の持たざる者への「変われ」という言葉は反感しか生まない。激励ではなく詰りに聞こえてしまう。それが今の日本なのだ。
 それをもっと深刻に受け止めなければならないのだ。それは、きっと今同じ立場に立てば同じように憤りを隠しきれなかったであろう俺自身が、特に。今このnoteでご覧のように衆愚の無理解を冷笑している俺自身が、特に。
 どれだけ愚かに感じようと、ババを他人に押し付けて敗者を決めなければならない人の世を蔑んでいては、コトは成せないのだろう。悲しいね、バナージ。
 村上さんはおそらく、そこを良く理解されているのだろう。一貫して「上ではこんな動きがあります(ので待っててください)」という立場を取っているように感じた。それが今矢面に立つ者に求められる配慮なのだろう。


 問題点を整理しよう。

民衆が当事者意識を持たない
⇒慈善活動をする人は俺らとは違う
⇒隔絶と妬み
⇒コンプレックスから攻撃的になる
⇒攻撃されないために民衆に変化を求めない
⇒民衆が当事者意識を持たない

 まずこのループがある。
 「民衆が当事者意識を持たない」というのは良くないことだ。これは善悪ではない。損得の問題としてだ。
 隔絶と妬みを生むという社会的側面もそうだし、個人レベルでも「現実に対して抗う術を持たない」という無力感を増幅しやすい。
 だが現実問題として、当事者意識を持つにはハードルが高すぎると言う問題は依然としてある。

・世の中には問題が沢山あり過ぎて、深く内省しないと自分が何に対して影響力を行使したいのかが分かりづらいこと。
・関心を持ってもどういうアプローチ方法があるか分かりづらいこと。即ち自分の行動がどういう変化を及ぼすのか具体的に分かりづらいこと。
・方法が分かったところでそれが正しく行使されるのか、信頼が低いこと。
・行動したところで余計なところに中抜きされて損した気分になること。つまり信用していない国と運営者に金を奪われた気になること。
・諸々ひっくるめて相当面倒くさいのに、そんな面倒なことをする余裕が自分に無いこと。

 パッと思いつく限りこんな所か。
 まぁこれらをひっくるめた面倒くさいことをする余裕がある時点で、持つ者への隔絶と妬みが自動的に発生してしまうわけだ。
 つまりそれらをひっくり返して、

・自分達の取り組んでいる課題の明確化とアピール。
・自分達の取り組みの具体性や透明性の開示。
・低い給料で馬車馬のように働き、コンプレックスを刺激しない立場に居続ける。
・税制を見直し寄付がやりやすくなるようにする。
・景気を良くして国民の生活に余裕を持たせる。

 これらが活動家には求められるのだ。本業の問題取り組みに加えてどこまでお膳立てをさせるんだと思わないこともないが、それを言っても仕方が無い。
 因みにここまでのお膳立てをするためにどれだけの労力がかかろうと、当然無報酬でだ。報酬が発生した時点でコンプレックスが刺激されてしまうからね。或いは、問題に直接作用しない余計な行動にお金なんて払いたくないからね。

 世の中が便利になり過ぎて、何でもかんでも全てがお膳立てされて金さえ払えば悩みが解決するというのが当たり前になり過ぎたんだ。まだ金を払うなら良い。無料で受けられるサービスも当たり前なせいで、そもそも悩みは無償で解決してもらえて当たり前になり過ぎたんだ。
 そんなのおかしいて皆知ってるし分かってるけど、もはやそうでもないと生きるのがしんどすぎるんだ。
 悲しいね。

 さて、じゃあ俺はこの問題にどういうアプローチを取れるのだろうか。
 俺は結局、この閉塞感に打ち勝ちたいのだと思う。
 誰もが無力感を味わっている。運命は、社会は変えられない、その力が、金が、能力が、人格が、何もかも足りないと思っている。思っていることを認めたくないから、それを持つ人に対してマウントを取ることで辛うじて自尊心を保っている。
 それが長く続いたせいでイノベーションが生まれない。イノベーションが生まれなければ経済は発展しない。経済が発展しなければ生活は苦しくなって、運命を変える力を失う。
 青さが足りないんだ。尤もらしいことが増えすぎて、その「普通」を飲み下して能力とお金を手に入れた時には、既に守るべきものをその手一杯に抱えてしまって身動きが取れなくなってしまっている。若さゆえの過ちは認めたくないものだが、しかしその中の極一部が成ることによって社会は変わる。老いては過ちによって失うものが多すぎて、大胆な挑戦をするリスクが、難易度が跳ね上がってしまう。
 丁度昨日ひぐらしを見ながらそんなことを考えていた。
 名付けて"Mighty Blue Knocking"(青くてでっかい一撃)だ。適当だが。
 運命は変えられる。一人では無理かもしれない。無力と言うのは罪だ。だが人の想いを集めれば、必ず運命は変えれるものだと俺は信じたいのだ。そんな青さを自分自身から、社会から失わせたくないのだ。そんな光を示したいのだ。前原圭一のように。それが憧れというものだ。

 さて、じゃあ俺はこの問題にどういうアプローチを取れるのだろうか。
 この問いが何よりも難しい。

 丁度今この本を買って読んでいた。口で言うだけなのであれば、それは意識高い系でしかないのだ。ずっとそれを自覚し、自戒し、自嘲してきた。だが具体的に何をすれば良いのか分からずにいた。

 アイディアだけなら幾らでも並べ立てられるのだ。
 例えば先ほど思いついたのは「大人、特に人生を勤め上げたご年配の方から人生経験についての言葉を貰う。それらを若い世代がいつでもアクセスできるようにまとめたサイトを作る。運営資金は大人から貰い、サブスクを継続することでその言葉を掲示し続ける(別に月100円でもいい)。若者がそれを参考にしながらも、自分達の意見を交換し、行動する勇気を貰う場所を運営する。金額よりどれだけの大人が自分たちの青さに期待しているかと言う人数こそに意義を見出す。」みたいなのがある。これだとうまく大人の自尊心を擽りながら運営を継続できるのではないか。とか。
 だが、それを実現するための手順が分からない。何より、怖い。

 やっぱり、ここまで何の実績も経験も無いのは大きな痛手だ。だが同時に有利なのではと思わないことも無い。
 輝かしい経歴が無くとも社会貢献を目指せるのだと言うのに、ニートであることは説得力を持たせるだろう。極めて人間的でだらしない、人間らしい醜さをブランディングすることに、今更抵抗はない。どうせクレカも止められる程度の人間だ。自分を見つめる事は怖ろしいことだけど、やって出来ないことではない。だがそれには肉体を維持する手段が必要だ。それには生活保護が有効だと言うのも実体験を持って説明できる。生活レベルが低い生活しか送ってきていないから、高い給料をもらわなくても無理に我慢せずに済む。というかある程度生活が追い込まれている方が色々考えやすいと思っているので薄給に抵抗感は薄い。
 一言で言うと、等身大の人間だと言うブランディングすることには有利だ、とは思う。

 さて、じゃあ俺はこの問題にどういうアプローチを取れるのだろうか。
 何度も言うが、結局のところそれが問題なのだ。頭でっかちの口だけ野郎に終わらない為に。
 今思いつく限りのことを箇条書きにしていこう。

・活動者の日報や対象(俺の場合若者)の成長などを日々youtubeなどに記録し、閲覧できる状態を維持する。……醜さや青さ、など後々認めたくないものを記録に残すことになる。必要とあれば勿論削除するが、なるべくそれらが恥ではないという風に思ってもらいたい。
・自分探し。生涯を賭けて情熱を傾けられるものを見つけるのを見守る。自分の人生に責任を持つための準備を見守る。手伝うのではない。俺たちに出来るのは不安にもみくちゃにされて押し流されないよう、命綱を投げる事だ。
・高校卒業後のモラトリアムの支援。色んな会社にインターンもどきをしてみたり、逆に趣味を極めようと試みたり。肉体の死を気にせず一度本気でやりたいことを突き詰める機会を。
・大人には身動きが取れない現状を打破する力を、若者に託す。未来は変えられると信じたい。俺一人が色々先輩面を吹かせるのはやっぱり偏るし信頼を得られないので、広く人生経験を求めるのはかなりアリ。

 描いている案自体はわりと悪くないように思うが、もう少しブラッシュアップが必要だな。
 疲れたのでここでいったん終わり。


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