I am...

 結局俺は誰で何をやっている人物なんだ。
 人に説明する時、つまり自己紹介をする時、未だにそこを一言で言い表せない。

 俺の目指している所、それは
 哲学者であり、扇動者であり、コンサルであり、配信者であり、Vtuberである。ひきこもり経験者であり、当事者であり、支援者である。
 Vroidのモデルを用いて配信をして広報し、人生相談的なコンサルで収益を得ようと画策している。その内容は生き方を考え直そうという哲学的なものであり、必然心理学的要素も多分に含まれ、場合によっては学校の学習補助とかもやってみたいと思っている。その先に見据えているのは社会の変革であり、啓蒙である。その強みはひきこもりを経ながら普通から逸脱し、それによって外から「普通」とか当たり前について深く考え論理によって整理出来ている事である。手法としてはゴッチャになりやすい感情と論理、エゴとモラル、イドとスーパーエゴを切り離し、外部には理解を、当事者にはイドの自覚を促すものである。

 話は逸れるが最後のイドとスーパーエゴの話、つまりフロイト的な解釈だが、最近ようやくしっくり来た。というか得心が行ってしまえば説明しやすくなった。
 結局俺は己のイドを無自覚にはいられないということだ。そして他者がイドに無自覚なことが赦せないということだ。フロイトの文脈で言うところのエゴの働き、即ち葛藤こそを尊び重要視しているのだ。
 故に極端な論理によってエゴの防衛機制を暴き、イドの自覚を促し、己のスーパーエゴを見直させ、その葛藤へと追い立てる劇薬たることを志しているのだ。

 閑話休題。
 まぁやろうとしていることは大体そんな感じだ。
 その肩書をマクロ的なものから順に並べるなら、
 扇動者、配信者、コンサル、Vuber、元当事者
 みたいな感じになる、のだと思う。
 そう整理してみると、結局はどこに軸足を置いているのかが定まっていない事が問題なのかもしれない。
 属性としては扇動者、職業としてはコンサル、立場としてはVtuber、みたいな感じだろうか。

 生き様探しコンサルタント、略して生コン。
 職業としては結局、これが一番しっくり来た。コーチングやカウンセリングなど、似た職業というか、アプローチ方法もあったがイマイチしっくりこなかったのだ。
 調べた感じ、カウンセリングはマイナスがプラスに癒えるまで寄り添う事、コーチングは対象が持っている答えを見つけるまで伴走すること、コンサルティングは課題達成の手法をコンサルタントのノウハウから提供する事。

 まず、カウンセリングがしっくりこなかった。正直言って、俺はあまり寄り添うのが得意でない。パフォーマンスとして寄り添う事は出来るし、その苦悩に共感することもある程度出来る。だが根本的な問題として、内心では即座に感情と論理に分解してしまうのだ。それはもはや反射の領域なので、結論から言うと、

(あー気持ちは分からんでもない。その場合彼に出来るというか課題なのはこれとこれで、相手側の問題はこれとこれやな。となると流石に彼一人じゃどうしようもないか)

 みたいな感じに冷淡に切り分けてしまう。内心の冷めた温度からすると、どうしてもその寄り添いは嘘になってしまう。故にカウンセリングは無理だ。
 まぁ実際の所はむしろ内心冷めている方がカウンセラー向きなのかもしれないが、ともかくそこに嘘を感じるので名乗りたくないのである。

 次のコーチングが一番それっぽいがやはりしっくりこなかった。
 前提としてティーチングでは絶対ない。そこまで自分の理論や手法に絶対性を信じられない。自分のやり方をそのまま真似て皆がうまくいくとは思えない。
 だからコーチングなのかと暫く考えていたのだが、なんかしっくりこない。なんというか、多分俺のやり方はもう少しアドバイスを含むものになると思う。
 こう考えてみるのは?、こう切り分けられるから君の課題はこれだと思う、哲学や心理学にこういう考え方があって、みたいな感じで
 その根本にあるのはおそらく、そもそも顧客の想定として、そもそも自分の生き方や価値観というものについて、どうやって考えたらいいのかのノウハウが無い人を想定しているからだと思う。
 コーチングというのはその人の中にある答えを引き出すアプローチらしい。故に最初からそもそもないのであれば引き出せない。
 俺がやりたいのは、その考え方のパターンを例示する事なのだと思う。

 持論なのだが、結局の所哲学とは考え方の型、パターンなのだと思う。
 そして価値観とは自身の経験に基づくものである。逆説的に、自身の経験を振り返れば価値観を構築できる。
 俺の思考パターンが全ての人に適用できるとは思わないし、異なる経験をした他人に俺の価値観が転写できるとは思わない。
 ただここまでの道中で沢山のパターンや価値観に触れてきたから、その引き出しは人より多いし、それを我が物としてなくてもそれっぽく解説することくらいは出来る。
 その中から自分に合った色眼鏡を見つけて欲しいというのが俺のやりたいことだ。
 ただ一つ俺から強いる事があるとすれば、イドとスーパーエゴの混同だけは許さないということ。そこを混同すると他者に押し付けたり自分を見失ったりするし、自分の人生に責任を持てない。
 必ずしも全人類が切り分けるべきとは思わないし、段階としてまずはあやふやなまま癒されるべき期間があることには大いに同意するが、その場合はそもそも俺のアプローチは不適切だという話だ。

 まぁそんな感じに考えた結果、生き様探しコンサルタントなのかなと思った次第だ。
 言うなれば、自分にあった生き方を考えるためノウハウを身に着けるでのコンサルティングだ。当然その先の人生は各々の責任で生きていって欲しい。或いはその先でこそコーチング的なことも出来るかもしれない。
 実際の所、俺のアプローチがコンサルなのかコーチングなのかカウンセリングなのかはイマイチ確信が持てない。そういう意味では俺がコンサルだと言い張る一番の理由は、略称の生コンがそれっぽいからという理由なのかもしれない。

 いずれにせよ、生業としては生コン的な方向性が暫定として考えてある。その為の広報というか、信頼獲得の手法が配信活動というわけだ。本来なら資格とかを取った方が分かりやすいのだが、個人的にそういう一般化されたノウハウとか権威付けみたいなものを信用していないのでその手段は取れない。持たざる者の逆張りである。というか単純に金が無い。

 うーん、結局は生コンと配信者/Vtuberを使い分けて名乗っていくことになるかな。
 取り合えず以上。

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