自分軸の取り戻し方

 先日、「どうやったらトラウマを整理できるんでしょうね」というような話題になった。その時はとっさに答えられず、あまりまとまった事を言えなかったが、これに関しては自分の考えを整理しておきたいと思う。

 俺の経験を振り返れば、やはり一番の契機は死を意識することだったのは間違いない。
 また貧しさというのもかなり重要な要素だった。
 自分の生に限りがあることを思い、その生の中で出来ることは少なく、出来ないことが殆ど。
 世の中の九分九厘は思い通りにならなくて、思い通りにできるかもしれない残りの1%のリソースをどこに注ぎ込むか。

 それは諦めの連続だ。
 あれもしたいこれもしたい。
 あぁだったらいいのにこうだったらいいのに。
 なんであれをしなきゃいけないの。なんでこうしてくれないの。
 そんな願望を諦めて捨てていく作業だ。
 空腹と身体の不調の中で死を身近に感じ、もしここで自分が死んだら。
 もう何も望めず何も行動することも出来なくなるならと想像して、最後に残った、
「まだ死にたくない! だって……」
 の先を見つける作業だ。
 因みに「諦める」は「明らめる」。明らかにする、という肯定的な意味も含まれる。

 人というのは何が一番したいかと問われても、案外はっきりと答えづらい。あれもこれもだけど、強いて言うならという感覚になりがちだ。
 だが皆、何が一番嫌かは意識しやすい。
 簡単に言えば、「AとBどっちがいい?」と「AとBどっちが嫌?」の方が感覚として意識しやすいということだ。
 「君は人生をかけて何をしたい?」に答えるのが難しいから、「この瞬間君の命が終わるとして、何が出来なかったというのが一番嫌?」と自分に問うために色んな願望を切り捨てていく。
 そして最終的に己が人生をかけて成し遂げたいことを、価値観の基準点を作るのだ。
 これが第一ステップだ。

 次に、そのやりたいことの為に何が必要かで様々な価値観を整理する。
 人にどれだけ気を使うのか、勉強をするのか、お金がどれだけ必要か、どんな経験人脈スキルが必要か。
 一般常識的な価値観というのは、あくまで汎用性の高いモノの見方のセットでしかない。当然価値観というのはその人に合わせてカスタマイズされるべきである。
 そしてそのカスタマイズは、自身の人生において最も成し遂げたいことに集約すべきと、俺は思う。
 有名人になりたいならコミュ力は必要だろう。だが物作りに専念するならコミュ力は最低限で構わない。合法な国でアーティスト活動に専念するなら、トランス状態を得るために大麻を使えばいいし、日本社会に馴染んで生きていきたいなら薬物の使用は当然御法度だ。
 価値観に正解はなく、合目的的に規定され、整えられるものでしかない。
 だがその目的設定が近視眼的なものだと、当然回りまわって自身の目的を阻害することになる。最終的に全ての価値観を自分の生きる目的に集約させるのはかなりの試行錯誤が必要になる。
 その集約の作業において経験上、大抵は「人の力は数の力で、数の力を得るためには賛同を得なければならない。」ということに気を付けていれば、極端に走るのを抑えられる。

 ここまでしてやっと、自分軸を取り戻すことができる。
 他者の価値観の重力を振りほどき、解き放たれ、自分にとって何が大事で何がどうでもいいかがはっきりしてくる。
 それによって自分にとって守るべき所が極限まで絞られ、譲り手放せる所が増える。
 そしてほんの僅かしかない自分の力の割り振りを取捨選択し、一点に集約させることで生きる目的に邁進出来る。
 そうやって情報の取捨選択の判断基準が明確になれば、過去のトラウマに向き合った時に一枚一枚解きほぐし処理し整理することが出来るようになる。

まとめ

 まとめるとこうか。

どうでもいいことを明らめ、目的の為に足りない部分を重点的に経験を積む

※トラウマを整理する

情報処理の判断基準が必要

自分軸を得る

生きる目的を定める

自分の一番やりたいことを見つける

自分の一番やり残したくないことを見つける

空腹の中で死を感じ、「あれもこれも出来ない」の中で「これは嫌だ!」を見つける。

 そう考えると、案外やってることは断食修行に近いことをやっていたのであろう。俺の場合ベッドに寝転がってスマホを眺めてはいたが、多分本質的には同じプロセスだ。

 ただ、正直これは俺のやり方であって、必ずしもトラウマ解消のための最善手ではない。
 単にトラウマを解消したい、引きこもりや不登校状態を脱したいというだけなら、もっとスマートなやり方は間違いなくある。俺のやり方は迂遠なやり方であろう。
 だが、小手先のスマートさで今の問題を解決しても、根本的な解決にならないのではないだろうか。根本解決を目指すのであれば、迂遠であろうととことん迄苦しみぬいて、自分の答えを見つけるのは肝要。折角悩む機会を得られたのに、それを逃すのは勿体なくないだろうか。俺はそんな風に考えてしまう。

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