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代わりのいないジブンを実感した時

ある日、城田優さんを見ていて思った。

NHKの番組で、歌を唄っていたので

「この人は、背も高いしイケメンだし

歌も上手いんだ。

俳優さんとしても評価されているし、

なんでもできるんだなぁ」



ずっと以前なら、

こんなふうに「なんでもできる人」を見ると

「何にもできていない自分」と引き比べて

落ち込んでた。



相手が芸能人でもそうでなくても

「何かに秀でている人」を見るのが

辛かった。

何者かにならなければならないと

自分を縛り付けていたから。



でも、その時は違った。



「ふふ

城田優さんがどんなに才能あふれていても

息子氏と夫氏は

私と城田優さんが入れ替わったら

嫌がるだろうな〜(苦笑」



城田優さんに失礼なんだけど。



人は、

何かができるから愛されるわけじゃない。

逆に、

何かができないから愛されないわけでもない。



そんな大事なことがわかったのが

本当に最近で

かなり大人になってからで

私はコンプレックスの塊だったから

息子氏や夫氏から必要とされている実感がなかったら

もしかしたら今でも

自己評価が低いままだったかもしれない。



どんなに優秀な人でも

私の代わりはできない。



それなのに

ずいぶん長いこと

「自分ではない誰か」に

なろうなろうと努力してきた。



そうすることが

成功への道で

幸せの保障だと思っていたから。



自分以外の何者にもならなくてよくて

私の居場所は、

私にしか守れない。



そんなことを思った。



ちなみに城田優さんのことは

ファンというわけでもなくて

ほとんど作品も見たことないんだけど。

ただ、綺麗な顔している人だなあと思ってただけ。




不思議と、

チョコレートの詰め合わせを思い出して

ブランデーが入っているものや

ハート型のもの

ヌガーが入ってたり

アーモンドが乗っていたり。



それぞれにその特徴があって

その箱の

指定された場所にしかうまく収まれないのに、

わざわざ別の場所の

自分の形には合わないスペースに

無理やり入ろうとしている

みたいなイメージ。



人間は、よくやっちゃうよね(w

人の場所の方が良く思えて

自分に合うかどうか考えずに

表面だけをなぞっちゃう。



私もずーーーーっと長いこと

そんなことばっかりやってたなぁ。



テレビに出てた城田優さんから、

「何者でもなくても

代わりはいない私」ということを

自覚した

というだけの話でした。



おしまい^^










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