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『知性は死なない』與那覇潤


能力は発揮できる場所があって初めて存在し得る。
能力に差があるのはどうしようもない。

地頭が良いなどと言って、能力という資産を独占するのではなくみんなのために発揮して共有できる社会が必要である。

『言葉』と『身体』。反知性主義。

自由主義と社会主義。

約半数の若者が『大学』に行く意味。大学院ですら意味があるのか?

「いかに疑うか、変えていくか」が、知性がほんらい持っていたはずの輝きである

「なぜ」という疑問を駆動させるのが、身体的な違和感。「なぜ」という問いを深め、他の人にも伝わるような説明をするのが言語による思索。

どちらも大事。

知性って何だ。
どうあるべきなんだ。

知性という能力を共有するべき範囲は、家族まで?会社?国?全人類?

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