助けを求めるということ
私たちにとって助けを求めることは想像以上に難しいものですが、この難しさの背景にはさまざまな要因が複雑に絡み合っているように思えます。アルコホリズムは進行性の病気であると言われています。夫の、妻の、子の、あるいは親の状態が悪化していくにつれて、私たちも少しずつ変わっていきます。
日々のトラブルはアルコホーリクを中心として巻き起こり(少なくともそう感じられ)、家族はあれやこれやの対処に追われます。なぜか不穏なことがいつも最悪のタイミングで起こり(少なくともそう感じられ)、私たちは起こってもいないことを恐れるようになります。恐れは原動力となり、先回りしたりアルコホーリクのために嘘をついたり言い訳をしたり事実を隠蔽したりと、私たちの行動もまたエスカレートしていきます。
こうして家族の病も共に長い年月をかけて進行し、気がつけば、絶妙かつ危険な、曲芸さながらのバランスで家庭が支えられているような状態になります。誰かに助けを求めるということは、そこに差し出された手を掴むということです。その手を掴むには、まずは家庭を懸命に支えている自分の手を放さなければなりません。それは当時の私にとって、自分の家がガラガラと音を立てて崩れ落ちることを意味しました。
そう固く信じて疑わなかった私の信念は、紛れもなく家族が抱える狂気の一つです。そしてこれこそが、アラノンプログラムの解決につながるものであります。狂気と解決。重要なキーワードとして今後も深く関わっていきます。
次回は、助けを求めるのが苦手な私たちが、アラノンでどのような助けを得るのかについて書きます。