アラノンの怒り(anger)
アルコホリズムという不条理に対する私たちの怒り(anger)を言葉で表すのは簡単ではありません。
少々昔のことを思い出してみましょう。私たちにはそれぞれ「はじめの頃」があります。私にとっては、物心がついて父の飲酒を意識するようになった頃と、夫と出会った頃であると言えます。そのはじめの頃、アルコホーリクの言動に接し、私たちは何を感じたでしょうか?驚きや戸惑い、なんだかおかしいと訝しむ感覚。あるいはある種の魅力や、どこか自分と似ているように思える親しみであったかも知れません。しかしスタートがどうであったとしても、私たちがアルコホーリクに振り回され、苛立ちや憤りを覚えるようになるまでそう長くはかかりません。理不尽で無責任、時に冷酷なそのふるまいは私たちを裏切り、侮辱し、傷つけます。私たちの怒りはそれらに対する抵抗であり、「NO」を告げる強い意思表明であります。ところが、怒りはアルコホーリクを私たちが望むようには変えてはくれません。むしろアルコホーリクをひどく脅やかし、激しく挑発することになるのです。
怒りはアルコホリズムの影響であり、当然のことながら、アルコホーリク自身も怒りを抱えています。私の夫が飲んでいた頃、またその前後の数年間、彼の怒りは私の怒りなど全く歯が立たないほどに強力なエネルギーを秘めていました。私が夫に対して怒りを表すということは、眠っているトラの鼻先を小さなネズミが齧るようなものです。大きなリスクを避けるべく抑圧された私の怒りは、次第にその姿を変えていきました。それはたとえば、無反応、無関心、回避的、操作的、秘密主義的な態度として表れるようになりました。怒りの表し方、またその変化は個々の性格や背景、アルコホーリクとの関係性や環境によってさまざまであると想像します。けれど露骨で攻撃的な怒りであれ、私のように懲罰的な意図が隠された受動的な怒りであれ、それが私たち自身の人間性を変えるほどの威力を持ち、家族に深刻な悪影響を与えることに変わりはありません。
それでは私たちに何ができるのか?「飲酒の影響に共に向き合い、共に解決を探し求めること」であると、以前の記事で書きました。私はまず、怒りを認識するところから始めなければなりませんでした。しかしながらここで、思いもよらぬ障壁に当たります。
それが否認(denial)、次回のテーマであります。
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