『100日後に死ぬワニ』が教えてくれたこと(テーマ考察)

 こんにちは、でんでんです。
この記事では『100日後に死ぬワニ』を読んで私が考察したことについて述べていきます。

始めに

 今日(3月20日)、ワニが死ぬ。
ワニのこれまでの人生は私を含めた多くの人に様々な影響を与えてきた。初めは新しいツイッターのネタとしか考えてなかったが、気が付けば毎日の更新が楽しみになってきたという人も少なくはないだろう。
そんなワニとの別れにあたって、私がワニと過ごした日々で感じたこと、彼から教えてもらったことをこの記事という形で残したいと思う。

この記事では『100日後に死ぬワニ』の漫画としての面白さと、作中のワニの人生(ワニ生)がどう私に影響を与えたのかを述べ、本作のテーマを考察する。

『100日後に死ぬワニ』は五コマ漫画である

 まず初めに、本作の漫画としての面白さについて考察していく。
本作はワニの日常を描いた四コマ漫画であるが、従来の通常の四コマ漫画にはあるはずのオチが四コマ目に存在しない。

本作の構成は全て同じで、
・〇日目(サブタイトル)
・ワニの日常(1~4コマ)
・「死まであと〇日」(欄外)
となっており、欄外の「死まであと〇日」が漫画のオチとなっている。
この一文により読者はワニの何気ない平和な日常シーンから、急に死を突き付けられる。この緩急、落差こそが笑いなのである。

つまり、この漫画は四コマ目にオチがある四コマ漫画ではなく、欄外(五コマ目)にオチがある五コマ漫画なのである。
事実、本作から欄外部分を取り除くと、面白みに欠ける漫画になることは明らかである。

この五コマ漫画という従来から一風変わった形式と、日常からの死という急転直下の緩急によって生まれるシュールな笑い。
この二つが本作の決定的な魅力であり、これらが漫画としてこの作品を面白くしているのだと考える。

ワニは行動を起こす

 次に、漫画を通じて描かれるワニの姿について考察する。
先ほど、本作で描かれているのはワニの何気ない日常であると述べたが、それは作品前半までのワニの姿である。
前半部のワニは毎日ゲームをし、テレビを見てラーメンを食べる。カフェでアルバイトしてはいるものの、好きな先輩をデートに誘うこともできず、終いにバイトもやめてしまう。
決して前向きとは言えない、後ろ向きな生活である。

しかし、そんなワニの人生は少しずつ変化していく。
50日目、ワニは友人のモグラの紹介で新しいアルバイトを始める。ここからワニの生活は前へと進みだす。

最も印象的なのは61日目だ。
バイト先のダックスフンド先輩にやりたいことを聞かれ、ワニはプロゲーマーと答える。
24日目に友人のネズミに聞かれたときは無いと答えた夢をここでワニは口にするようになるのだ。
これまでは無かった、もしくは恥ずかしくて言えなかった夢を口にするというのは大きな成長である。

このように、50日目以降は小さな変化ではあるがワニの成長が描かれる。
一番大きな成長といえば好きだった先輩をデートに誘い、付き合うことができたことだ。
ワニはこれまでの後ろ向きな人生から一転して前を見るようになり、自ら行動を起こし、成長することができたのだ。

ワニが与えた影響

 ワニのこれまでの日常は、私にとって美しく輝やく、かけがえのないものに見えた。
そこまでではなくても、どこかワニの日々が特別なものに見えた人も多いであろう。
なぜなら、ワニが死ぬことが予見されているからだ。

「死」の反対は「生」、つまり「死」が目の前に突き付けられるからこそ、その反対にある「生」がより輝いて見えるのである。

100日後に死ぬことがわかっていて、それならばワニが生きてきた99日は無駄なものだったのだろうか、いや決してそんなことは無い。
ワニがどう生きたのかが大事なのである。

このことは我々人間にも言えることだ。人間もワニと同じようにいつか死ぬ生き物である、しかしだからと言って死ぬまでの日々が無駄だなんてことは無い。
このように、ワニの日常は私たちに生の尊さを改めて教えてくれたのだ。

また、ワニの過ごした日々というのは単に何気ない日常だけでない。
ワニは自ら行動することで、自分の人生を前向きなものに変えたのだ。
ワニが行動で示したように、私たちも現状を変える力を持っているのではないだろうか。

ワニの死はメインではない

 ここではっきり言っておくが、今日必ずワニは死ぬ
ツイッターを見ていると、
・ワニに生きていてほしい
・実はネズミがワニを救う話なのではないか
・夢オチ
・101日目にガンツの部屋に行く
等話の展開に関する様々な願望や考察があるが、これらは絶対にありえない。

もう一度言うが、ワニは必ず今日死ぬ。さらにその死が英雄的に描かれることは決してない。
なぜなら、本作品のメインはワニが死ぬことではないからだ。
『100日後に死ぬワニ』という漫画は、ワニがいかに死ぬかを描いた漫画ではなく、ワニがいかにして生きたのかを描いた漫画なのである。

ワニが過ごしてきたかけがえのない日々こそが、ワニの生きた証であり、そこに彼の物語が存在するのである。
そのため、ワニが生き延びることや、誰かを守って英雄的に死ぬことは決してあり得ない。
彼の死は日常的に突然訪れるものとして描かれるであろう。

自分は誰かにとってのワニである

 最後に本作のテーマについて述べる。
それは、自分も誰かにとってのワニであるということだ。
私は『100日後に死ぬワニ』を読み生の尊さや、行動を起こせば現状を少しでも変えられるということを学び、心境に変化があった。
「ワニくんが頑張っているんだから、自分も頑張ろう」と思うようになったのだ。

自分の周囲の頑張っている人の姿というのは見るだけで勇気がもらえる。この100日間、自分にとっての周囲で頑張っている人とはまさにワニだったのだ。

 では、作中にワニにとってのワニ(周囲の頑張っている人)は居たのだろうか。

そう、モグラである。
55日目にモグラはワニにアルバイトをやめ就職することと、好きなダックスフンドに告白することを打ち明ける。
結果どちらも成功し、彼は仕事と彼女を手にすることができた。

モグラも自分を変えるために行動を起こし、前に進むことができたのだ。
そんな姿を前にしてワニもこう思ったのではないだろうか。
「モグラが頑張っているんだから、自分も頑張ろう」と。

人が前向きに頑張っている姿というのは必ず周囲の誰かに良い影響を与えているものである。
思い返せば、ワニ以外にも自分の周りには頑張って人生を変えようとしている人はいて、その姿に私は励まされてきた。
見渡してみると、自分の周りはワニだらけだったのだ。

また、誰かが自分にとってのワニであるということは、自分もまた誰かにとってのワニになれるのではないだろうか。
もし、自分が今ここで行動を起こすことが出来たら、前に向かって少しづつでも歩みを進めることができるのであれば、その姿は必ず周囲に良い影響を与えることができる。
自分も誰かのワニになることができるのだ。

 これが私が『100日後に死ぬワニ』に見出した本作のテーマである。

 明日からではなく、今日から、誰かのワニになることを目指してみてはいかがだろうか。

終わりに

ここまで、お読みいただきありがとうございました。
稚拙なものではありますが、私のワニに対する想いを記事として書かせていただきました。

もちろん、作品の解釈は読者の数だけあります、あくまで私が考えたもので、作者やほかの読者の方が考えていることとは大きく違っているかもしれません。
ですが、一つだけ共通していることがあると思います。
それは全員がこの100日間ワニに励まされてきたということです。

この記事はワニが死ぬ日の前日、3月19日に書きました。
考察はしましたが、ワニがどんな最期を遂げるのかはわかりません。
しかし、どんな終わり方であろうと、ワニの過ごしてきた日々は私たちの心の中に残り続けるでしょう。
作者のきくちゆうき先生、素敵な作品をありがとうございました。

引用
『100日後に死ぬワニ』 きくちゆうき