親子分離不安

親との死別は、子供にとってはものすごいストレスである。特にまだ10歳にも満たない子供達にとっては、どのように受け止めていいかもわからないまま時が過ぎているように思う。彼らのグリーフは、今後も続く。それがいつまでかはわからないけれど、きっと長きにわたり彼らは父親の死と向き合っていかなければならない。

彼らの父親は、突然死だった。普通の土曜日に、普通に家族で過ごして、普通に夕食を食べて、普通におやすみって言って寝たのに、夜中に起こされた時に聞かされたのは父親の死であった。その驚きと悲しみと恐怖は、計り知れない。父親の死から2年たった今、ほとんどの時間笑って過ごせるようにはなったものの、時折”父親の死”によってもたらされた色んなものが彼らを襲う。長女は、突然父親を亡くしたことから、もしかして母親まで突然死ぬのではないかという不安を抱えていた。父親の死から2年間、私はそれに気がつかなかった。

GW前のある日のことだった。長男と長女を自宅に残し、私は車で次男を保育園まで迎えに行った。保育園の駐車場に車をとめて、携帯電話は車においたままで次男を迎えに行った。ちょうど、次男と同じクラスの女の子もママがお迎えにきて、次男とその女の子は、二人で園庭に飛び出して遊具で遊び出した。保育園のお迎え時にはよくある風景である。その女の子のママと5分くらい立ち話して、”長男と長女が待ってるから帰ろう!”と、次男とともに車に戻った。そこで携帯電話を見てびっくりした。なんと家の電話からの着信が20件も入っている。何事かと思って電話をかけたら、狂ったように泣き叫びながら長女が電話に出た。

”ママ、電話でないから、ママも死んじゃったかと思った”

この時、私は心臓を鷲掴みにされたかのように胸が痛んだ。

急いで帰宅し、長女を抱きしめ、謝った。ごめんね、ごめんね、電話でれなくてごめんね。たまたま電話を車に置いたままだったの、たまたまお友達と会って、たまたまちょっとだけお話ししてたの。電話でなかったら不安だよね、心配だったよね。本当にごめんね。あなたにこんな想いをさせてしまって。。。

このことをきっかけに、彼女の不安は大きくなり、私と離れることを嫌がるようになった。幸いGWは、子供達3人と私は四六時中一緒に過ごせたので、長女の不安も少しは和らいだように思えた。でも、そんな簡単な話ではなかった。GW明けの月曜日、長女は朝食を食べながら学校に行きたくないと言い出し、大粒の涙を流して泣きだした。

無理をさせるのはよくない、直感的にそう思った私は、長男を送り出し、次男と長女を車に乗せ、次男を保育園に送って行った。その後、長女と二人で少しドライブして話すことにした。

学校、嫌いになっちゃった?

学校は好き。先生も友達も好き。楽しいし。でもママと離れたくない。

そうか。でも、ママもお仕事あるから、ずっと長女ちゃんとは一緒にいられないんだよ。学校に行った方が楽しく過ごせるよ。

長女は口を一文字に結び、外の景色を眺めていた。

ママが死んだらやだ

振り絞るようにそう言うと大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。

色んなことを考えた。彼女の気持ちを考えると、今日は学校を休ませて、一緒に過ごした方がいいのだろうか。それとも、無理にでも学校に連れて行ったほうがいいのだろうか。

実は父親が死んだ直後、長男も学校へいくことを拒んだ。葬儀が終わるまでは忌引きということで休ませたが、葬儀が終わったあとは、長男が学校を休むことを私は許さなかった。泣きじゃくる長男をひきづって学校へ連れて行って、担任の先生に引き渡した。葬儀の直後は、学校へ行っている方が気が紛れると信じていたし、長男には強くあって欲しいと言う勝手な願いもあった。3日もすると、長男は諦めたのか一人でちゃんと学校へ行くようになった。だからそれでよかったと勝手に思っている。

長女の場合は、また状況が違う。4月から小学生になって、毎日楽しそうに学校に行っていた長女。新しい環境、新しい友達、新しい生活リズムと新しいことだらけで疲れていたところもあるだろう。そこに来て、私に電話がつながらなかったことから、彼女の心の奥底に眠っていた不安が一気に溢れ出した。下手に彼女の不安に蓋をすると、次なんらかの形でこの感情が呼び覚まされた時、もっと大変なことになるんじゃなかろうか。直感的にそう感じた。私にできることは何か。長女の不安を受け止めながら、不安を取り除いていく。Step by stepで。進み過ぎたら戻ればいい、進めなかったら立ち止まればいい。とにかくやってみよう。

二人のドライブで少し落ち着いたようだったので、学校へ行ってみた。ちょうど2時間目がはじまったくらいだった。担任の先生に、こしょこしょと事情を話し、許可をもらって一緒に教室に入った。長女の席に座り、長女は私の膝の上に座って、一緒に国語の授業を受けた。私も手をあげて答えたりして、それはそれでなかなか楽しかった。授業が終わり休み時間となったので、じゃぁママ帰るね、と言うと、また長女は泣き出した。

ママと離れたくないよぉ

とはいえ、私も仕事がある。先生と相談し保健室に居させてもらうことにした。長女の下校時間、14:30に昇降口に迎えにいくと約束し、学校を後にした。

昇降口で私の姿をみた長女はまた泣き出した。

ママ、私頑張ったよ。学校楽しかった。

少し安堵した。火曜日も、水曜日も、木曜日も、金曜日も、私は長女と一緒に登校した。1時間目だけ一緒に過ごして帰った。最初は私が帰るときに保健室に行っていた長女だったが、木曜日以降は教室で過ごせるようになった。週末を挟んで迎えた月曜日。久しぶりに泣かずに朝食を食べ終えた長女がいった。

長男と歩いて学校に行く。もう大丈夫だから。

それ以降、長女は学校へ行くことを拒むことはなくなった。1週間という短い時間でここまで立ち直れたのは、若さゆえなのか、彼女の強さなのかわからないが、働く親としてはとてもありがたかった。

もしかしたら、また何かにきっかけで、登校拒否になることもあるだろう。不安に苛まれて、自分の殻に閉じこもることもあるだろう。でも、私と長女には、今回の成功体験がある。共に乗り越えた経験があるのは大きい。長い人生、山もあれば谷もある。また次、谷底に落ちたとしても、今回の経験があれば、上を向ける。谷底から上を見上げ、そして登っていける。私はそう信じている。だからこれから何度でも、子供達が谷底に落ちれば私も共にその場所に行き、ともに上を見上げ、そして支えあいながら登り、谷底を脱出したいと思う。何度でも、何度でも。

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