ももも

蚕と食虫植物がすき 文字読んでくれる貴方のことも愛しています

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最近の記事

「30人に一人いる顔」に誇りを持っている

皆さんに、今お見せできていないのだが、私は30人に一人存在する顔である。というのも、高確率で「友人に似ている」「親戚に似ている」と各コミュニティでいわれ続けてきた。喜ぶべきか、謙遜すべきか正解がまだ見つかっておらず、本音を言うとそんなに心良いものではなかった。 「個性がない」って言われているような気がして。 でも、30人に一人いる顔だったからこそ、出来た事がある。(私は何もしていないのだが。) Case1)石垣島にいるわたし 塾に通っていたのだが、ある日知らない女の子

    • 仕事の『完成度×速さ』のベスト値は?

      私は常々悩んでいる。仕事における「完成度×速さ」のベストは一体どこであるのか。勿論、完成度が高くて速いに越したことはないが、自分の実力の中で上司に提出するたたき台のレベル感はこれが果たして正解なのか迷ってしまう。 私の性分として「早く」「未熟な」ものを提出する方が身に合っている。意図としては二つある。 ①良くも悪くも上司とのやり取りが多くなる。 これによって上司の思惑を汲んだ作品(仕事)が揃えられるし、何よりも進捗が把握できることが上司の手数は増やしても心労を減少してい

      • 2種類の仕事が出来る人間

        世の中には仕事が出来る人間は2種類存在すると考えている。 ①自己肯定感/自己効力感が強い人間 このタイプは何か壁やピンチがあったときに「まあ、自分ならできるだろうな」or「自分がやらなくて誰がやるんだ」といった思いを持つ人である。 なかなかこの有能感がその人の実力をオーバーして見えたとき、他者から冷ややかな目で見られることもあるが、この自己肯定感で上手く自分を回している人を見かけたとき、いつも感動している。 ②高い基準を持つ人間 このタイプは、ある基準を達成するとい

        • 『優しい』の定義:自分一人ではどうしようもないことがあることを知っている人

          わたしは、優しい人であると言われたことがあるが、自分の中での『優しい』の定義に自分は当てはまらない。 ただ単に怒らない人だから勘違いされやすいのだと考察している。(参照:【努】が抜け落ちた喜怒哀楽) 私の中での『優しい』の定義は 「自分一人ではどうしようもないことがあることを知っている人」 である。 一人では本当に解決できないことを経験/体験している人は、他者が同じ状況下に置かれたときに真っ直ぐな手を差し出せるのだと。 例を挙げると、私の兄は優しい人間だと常々体感

        「30人に一人いる顔」に誇りを持っている

          『ポジティブサイコパス』の生誕祭

          私は大学で最近、ポジティブサイコパスと呼ばれたことがある。(友人が真面目な顔で言った冗談だが。) ストレングスファインダー診断でのトップの資質はポジティブであった。自らポジティブになろうと試行したことはない。 幼い時から変わらないこの性格は大人になるにつれて、ありありとアイデンティティの一つに浮かび上がってきた気がする。(周りが賢くなって分別つくようになったのかなと、置いてかれていた気持ちだった) おそらく原体験が影響してる。7歳離れた兄は先天的に腎臓に不都合があり、病院

          『ポジティブサイコパス』の生誕祭

          【努】が抜け落ちた喜怒哀楽

          小学生の時から現在までよく言われる。 「あなた怒ることないよね」って。 他人から見た私は、喜怒哀楽の怒りが抜け落ちてしまって見えるらしい。自分としては、表に出さないからって私がお腹の中で怒りをふつふつと溜めて、我慢しているのでは?なんて思いを馳せられることの方が非常にお節介で腹立たしいし、やめてほしい。 何かそれでご迷惑をおかけしましたか?と眉毛を下げてしまうのですが、それが世の中との違和感なのだとすると縫い目を無くす努力をしようとしてみようではないか。

          【努】が抜け落ちた喜怒哀楽

          「抽象的」がいつも心にヒットしてきた

          わたしが今まで好きだったものを思い返してみてひとつの共通項を見出だしたのである。 それは、いつも『抽象的』なものが心にグッと来ていたという事実。 例えば、小説。 私は村上春樹さんの本が好き。 なぜかというと、考える余白が多い物語であるからだ。実体のつかめない比喩表現、果たしてどうなったのか人によって捉え方の異なる主人公の結末。 中学生の時から夜通し兄と議論することにハマっていた。 学生の時、期末テストが終わった日には、友達とどこかに行くわけでも、タピオカを飲むわけでも、

          「抽象的」がいつも心にヒットしてきた