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「30人に一人いる顔」に誇りを持っている

皆さんに、今お見せできていないのだが、私は30人に一人存在する顔である。というのも、高確率で「友人に似ている」「親戚に似ている」と各コミュニティでいわれ続けてきた。喜ぶべきか、謙遜すべきか正解がまだ見つかっておらず、本音を言うとそんなに心良いものではなかった。

「個性がない」って言われているような気がして。

でも、30人に一人いる顔だったからこそ、出来た事がある。(私は何もしていないのだが。)

Case1)石垣島にいるわたし

塾に通っていたのだが、ある日知らない女の子に話しかけられた。

「私、石垣島からこの春上京してきたんだけど、同級生にあまりにもそっくりで、思わず話しかけてしまいました」と。

写真を見せてもらったのだが、これが似ているのだ。あまりにも似すぎていて、大爆笑してしまった。この人と私が出会ったら、何らかの力が働いて消滅するんじゃない?ってくらい。

それをきっかけにとても仲良くなった。「なんだかとても安心した」と彼女は上京した当時のこの思い出の話をする。

Case2)祖母の入院

祖母が去年の9月、心臓が悪く入院した。日々の生活に追われていた自分は、自分の最大限の時間でしかお見舞いに行けなかったのだか、ある日病院に行ったとき驚いた。祖母担当の看護師が自分にそっくりなのだ!!!

祖母は大変この事実を喜んでくれていた。「毎日あなたがそばにいるようで」と。この看護師さんもきっと「30人に一人いる顔」の任務を恙なく遂行しているんだろうなと人生の先輩を見つけた気分だった。

Case3)人生の襷を受け継ぐ

大学2年時、高校時代の友人が自らこの世を去った。あまりにもショックが大きかった。彼女の想い、そして彼女のご家族の想いを感じると今だって言葉にできない。

送別会の日、ご両親にご挨拶をした。ご両親は言った。

「彼女に似ている」と。「頑張ってね」と。

ご両親は私を透過して、真っ直ぐ彼女を見つめていた。

「ありがとうございます。頑張ります。」と。

私が頑張る姿を見て、少しでも現世に残る方の想いを昇華することが出来たらと。身が引き締まる体験だった。これは、似ているから想いを乗せやすいのだろう。これは、同じ年、同じ高校、似ている顔の私にしかできない。


上記経験から、私はこの「30人に一人いる顔」に誇りを持って、生きることが出来るようになった。出会った方々が素敵な方ばかりという運の良さもあるのですが。

個性がないのではなかった。知らず知らずのうちに、「30人に一人いる顔」というアイデンティティを獲得していたのだった。

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