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えーえるえす日記-0020

えーえるえす日記-0020-2023-09-06

先週の土曜日と今週の月曜日、中1日休み(笑)でライブに出かけたけんちょいと疲労が溜まってしもうたんか、それとも病状が進行しよるんか何かようわからん(笑)

最近は手、指とかがなかなか思うごと動かんくなってきてイラっとする事も。「バックのチャックを開けて中からチケットを取り出す」とか「トイレに行って終わったあとズボンのチャックを上げたりボタンを止めたり」とか。

きっと、動けなくなったから動かないんやないで、動こうという気持ちが萎えてしもうて動かんごとなっていくっちゃろうねぇ、、

最初んうちは、自分で用意して、NIPPVを電動車椅子に積んでいそいそと外出しよったけど、最近はその用意が1人ではでけんごとなってきた。しかもライブを見に行くという目的以外での外出は少しづつ億劫になってきよる。
そのうちきっと外出はたとえライブであっても「今日はもういいや」と言い出す日が来るんだろうなぁ、、と思うとえずうなる。

そのうち、NIPPVのスイッチのon off もマスクの付け外しも自分では出来んごとなる。iPhoneの操作、イヤホンも耳に入れられん。
聞きたい音楽も自分じゃ聞けんごとなる。

僕は今年61歳になりました。
この病気は発症を告げられる年齢によって様々な受け取り方があるやろうと思います。僕の場合は子どもたちは既にみんな成人しとるし仕事も8月いっぱいで定年。なのでこれからは大好きな音楽と共にゆっくりと過ごそうと思いよりました。なんで、楽器が弾けんごとなったり、歌が歌えんごとなるとはちょっと、、いや、ものすごショックです。もしも、もしも、手が動いて音楽を紡ぐ事ができるのであれば、気管切開でも胃瘻でもしたと思います。でも音楽を紡げない状態で僕は生きていてもしょうがないと思いました。あくまで、僕自身の考え方です。であれば、もう延命措置は取らずに、食べられなくなって弱っていって、呼吸ができなくなって、、それでおしまい。それでいいと思いました。、、、、ん?でもそれって「スピードの差こそはあれ、老衰とそんなにかわらんっちゃない?」これは話が戻るばってん、宣告された年齢が60前だったのでそう考える事もできたっちゃろうかねぇ、、ち思います。

ただ、「痛いのと苦しいとは嫌やきね」と言うのは何度も何度も家族に伝えています(笑)

とはいえ、まだベッドから自分で起き上がってトイレに行ったり、食事をしたり、何とかギリ自分でやれています。この後どうなっていくのかは考えると怖すぎるので、考えません。
だってみんなそうでしょ?生まれながらに寿命という不治の病をかかえて生活してるのに、普段は死ぬ事とか、そげん考えんでしょ?(笑)

今出来ることを楽しんでいきます。

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