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石神井氷川神社

石神井公園内に位置する、いつ訪れても静かで品のある神社。清涼感に満ちているのは、森の中という立地だけではない気がする。大好き。ブログの一番最初は、絶対ここについて書くと決めていた。

御祭神主神:須佐之男命(スサノオノミコト)
相神:稲田姫命(イナダヒメノミコト⁼クシナダヒメ)
   大己貴命(オオナムチノミコト⁼オオクニヌシノミコト)

社伝によれば、本社は室町時代の応永年間(1394年-1428年)に、このあたりに勢力が大きかった豊嶋氏が、この地を護る石神井城の中に、城の守護神として祀ったのが創まりです。武蔵国一ノ宮である大宮の氷川神社から御分霊を奉斎したのです。

氷川神社「御由緒」より抜粋

豊嶋氏はどうして氷川神社を勧請したのだろう。

領内に多くの熊野神社を勧請したという記録があるから、「なぜ氷川神社?」と疑問に思ったことがある。
熊野は火、氷川神社は水であり、正反対というのがまた興味深い。

が、この疑問はすぐに解ける。
近くを石神井川が流れているからだ。

この川は豊嶋氏の領地(練馬区・板橋区・北区)を流れており、石神井城(豊嶋氏の城の1つ)は主水源のうちの1つである三宝寺池を見下ろすように築かれていたとされる。

ここを押さえることで水の利をGETしたものの、石神井川は昭和40年代頃まで暴れ川として度々被害があったとのことだから、メリットは享受したいがデメリット(水害)は避けたいのが切実な願いだっただろう。

ここで龍神信仰と関係の深い氷川神社の出番である。

総本社は埼玉の大宮にあり(というか"大宮"がそもそも氷川神社のこと)、280社ある「氷川神社」は埼玉と都内に数が集中していて西には1社もないので、関東に下って初めて存在を知ったのだろう。

豊嶋氏は元をたどれば桓武平氏から出ている家であり、熊野信仰に熱心だった層だったから、熊野神社を多く勧請した。

関東に下り、水害を鎮めるために氷川神社を勧請し、大事な城の守り神として祀ったのだから、相当重視されていたことが伺える。

引っ越してきた当初、”しゃくじい”の名前の由来となった宝物の石がここにあるのかと勘違いし宮司さんに尋ねたところ、その神社は駅の反対側にある石神井神社と教えて下さったことがある。

とても親切に、こちらに柳田國男が訪れた事も教えて下さった。

私が地域史に興味を持ったきっかけは、謎の「石神井⁼しゃくじい」読みであり、照姫まつりであり、調べてみるのが楽しいと思えたのは宮司さんとお話させて頂いたからである。

ここから広がって、神社を調べたり、お参りすることも好きになった。

日本はかなり稀有な古い老舗のような国なので、古くから人が住んでいる地域には多くの言い伝えや謎がある。

解明されているのは一部で、誰にも知られず風化していった事柄がどれほど埋まっているのか分からない。

学校で習うことはほんの一部で、しかも忘れてしまうことも多い。
自分で調べて深掘りしていくのは、とても楽しい。

そういえば、もう1つ疑問に思ったことがある。

こちらで初めて御朱印を頂戴した際、最初の1ページだったからか
「最初は空けておきますか」
と聞かれた。
なぜだろうと思ったら
「伊勢神宮参拝の時のために空けておきますか?」
との事らしい。
氷川神社は出雲系だと思っていたので、少し驚いた。
単純に、そういう方が多いから気を利かせてくださっただけな気もするが、気になるのでいつか調べてみようと思う。

ここは何でもない日にも散歩中に立ち寄るけれど、落ち込んだり悩んだりした時におみくじを引くと、必ず寄り添ったメッセージを下さる。
どんな気持ちで参拝しても、帰りの鳥居をくぐると清々しい気持ちになる神社。
静かに浄化してくれる、透き通ったような美しい神様がいらっしゃるように思える。

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