「好き」は説明できなくてもいい
人は無欲ではいられない。
少なくても私は、前を見るし、上を見てしまう。
noteで活動を始めて、1年半が過ぎた。
それこそ、始めたばかりのころは、公的なコンテストしかなかったように思えるし、公的なコンテストの数もそんなに多くなかったと記憶している。
それが今は、多くの私設賞が開催されている。
私設賞の中には、優劣とは関係なく、好みで選ぶと言う賞もある。
正直、優劣と好みの境界線って、とても曖昧だって思う。
私も、だいすーけさんの開催した私設賞で、自らの好みであるふたつの作品を百瀬七海賞として、選ばせてもらったことがある。
本当に優劣だけだったら、テーマにあっているかどうかはもちろんのこと、誤字脱字、表記の揺れ、そのほかにも優と劣をきっちりと説明できるだけの理由があって、選ばれるものだ。
だけど、それは本当に優劣だけで選ばれているのか?
たとえば、Aさんの作品とBさんの作品があって、Bさんの作品の方がAさんの作品より、少し誤字脱字や表記の揺れなどが多かったとしても、Bさんの作品が選ばれることは、まったくないのか?
複数で決めるコンテストであったとしても、ひとりで決めるコンテストであったとしても、そこにまったく、優劣以外の思惑は働いていないのか?
そこは、いつまで経っても疑問である。
私の作品を好きだと言ってくださる方がいる。
推してくださる方がいる。
もしもその方が何かを選ぶ際には、そこに優劣以外の想いが働いたとしても不思議ではないと思うのだ。
人間が選ぶものだから、好きと想う感情が、優劣よりも上回るのは不思議じゃないし、当然のことだと思う。
少なくても、私は、前述の私設賞で、「好きだと思う作品」だから選べた。優劣をつけてくださいと言われたら、それはできなかった。
好きなものを好きだと言うことに、説明はいらない。
心が純粋に好きだって叫んでるし、理由がなくても好きなのだ。
だから、私は優劣の「優」よりも、「好き」の方がずっと素敵な賞だって思っている。
それはきっと、「ナンバーワン」ではなく、「オンリーワン」だっていうこと。
ナンバーワンになりたいっていう気持ちは大切にしたい。だって、私には欲がある。前に進みたいし、もっと上を見て歩いていきたい。
欲は捨てられない。だけど、あなたの「好き」に選ばれる幸せには、大きな意味がある。
ちゃこさんのこちらのnoteを、私なりにリライトしてみました。
参加しています。
#100日間連続投稿マラソン に参加しています。
現在、43/100
2020.8.18
いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。