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何もできない私に、できるのは走り続けること

落ち込んでいると、何も浮かばなくなるのは、前からずっとだった。
反対に、上昇気流の中にいるときは、頭の中にたくさんの妄想でいっぱいになる。単語、フレーズ、写真、イラスト、音楽。何に触れても、そういうときは妄想が溢れている。

残念ながら、今は前者だ。たびたびあることなので、そこはそんなに気にしていない。理由もいつものこと。どんなときだって、真剣に書いたものが選ばれなかったときは、とことん落ち込む。でも、それでいいと思っている。落ち込んで立ち直らなければ、私は夢を諦めるしかない。夢を見ることができるのは、そこに向かって走り続けることができる人だ。ときどき、立ち止まって美しい景色を眺めたり、美味しいスイーツを食べに寄り道しても、その後にはきちんとリスタートできる人。私は、そういう人でありたいし、そんな風に書き続けたいと思っている。

選ばれなかったのは、認められなかったからじゃない。100人の人が私の書いたものに何も感じなかったとしても、たったひとりでも認めてくれる人がいてくれたら、とも思う。
もちろんそれは、強がりだ。私の最大の強がり。やっぱり選ばれたい。選ばれることで、その自信は大きな大きな、次への一歩に繋がっていく。

だから私は、立ち止まるわけにはいかない。
ぶっ倒れても、立ち上がるしかない。
立ち上がって、走り続けるしかないのだ。
何もない私にできるのは、それしかない。
何もないから、書き続けるしかないのだ。自分自身の言葉で、綴りたいと思う感情が、泡沫のように消えてなくなるまで。

#100日間連続投稿マラソン  という企画に参加している。連続投稿を550日以上続けているからこそ、あえて自分できちんとテーマを見つけて、挑戦したかった。
歩くのではなく、走ることで完走したいと思っていた。
だけど少し、このマラソンを甘く見ていたみたいだ。noteのみんなのフォトギャラリーで使用することのできる、女の子のイラストで掌編小説を書いて100日間走る、、、という目標を立てた。だけど、なかなか難しい。
たった数百文字の掌編小説。だけど、小説を書くこと以上に、イラスト選びに時間がかかってしまう。

なので少しでも書くことに時間を割けるように、ちょっとだけ趣向を変えて完走を目指そうと思う。

100日間、4で割れば、25日だ。
ひとつのイラストに、掌編小説、ポエム、短歌、エッセイ、この4部門で言葉を綴っていく。
これは、「同じイラスト」をテーマに、それぞれの表現方法で書くことで、バランスよい筋トレになると思うのだ。
もちろん、当初のまま走り続けていけるのが、一番の理想なのかもしれない。
だけど私はまだ、ぶっ倒れるわけにはいかないのだ。
完走するには、守らなければいけないことがある。それが自分のペースだ。立ち止まらないなら、余計にペースを守らなければいけない。
自分のペースは、心のペースでもある。
100日間走り続けることで、それだけに縛られていたら、私は本当の意味でのアウトプットをしたことにならないだろう。

大丈夫。私はまだ、倒れない。

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2020.7.13

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いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。