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Liar kiss*永遠の片想い*(第十三話)
第十二話はこちら。
13.行き場のない嘘
結局、一睡もできないまま、迎えてしまった明け方。
一糸纏わぬ姿で、近くに脱ぎ捨てられていたシャツを羽織った。
左手や左足の痛みなんて、全く感じないほど、心の方がよっぽど悲鳴をあげている。
“好きだった”
たっちゃんのその言葉が、頭の中をずっとリフレインしていて、離れてはくれなかった。
せめて、夢ならよかったのに。
そうすれば、まだ友達のままでいられたかもしれないから。
私が、寝ていると思って言ってくれた言葉。
それはこの先も、私には聞くことのできない言葉なのかもしれない。
たっちゃんは、いつからそんな風に想っていてくれたの?
どうして、もっと早く言ってくれなかったの?
せめて、再会したときなら。
蓮佑さんと付き合うことを決める前ならば。
後悔してもしきれない、複雑な感情に見舞われる。
たっちゃんに抱かれた痕跡を、全て流すように熱いシャワーを浴びる。
蓮佑さんの準備してくれたバスタブの中は、もうとっくに冷めきっていた。
蓮佑さんを裏切ってしまった私が、蓮佑さんの好意を無駄にしたくないだなんて、ただの自己満足にすぎないのかもしれないけど、バスタブの中に、静かに足を踏み入れる。
冷めきった温度が、体温を奪っていった。
体温ごと、感じた熱もたっちゃんに関する記憶も、全て奪ってくれたらいいのに……。
お風呂から出ると、コーヒーを落とした。
昨日から、結局何も口にはしてなくて、テーブルの上には、手付かずのままの料理。
一人じゃ、こんなに食べれないよ。
それでも、蓮佑さんに吐いてしまった嘘を、一つでもいいから、“真実”に変えなきゃいけない。
たっちゃんの作ってくれた料理は全部冷蔵庫の中にしまって、いれたてのコーヒーと、蓮佑さんの作ってくれたものを口に運んだ。
蓮佑さんの作ってくれた料理は、冷めても美味しくて、裏切ってしまった事実に、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
後悔しても、時間は巻き戻せない。
だったら、またこの罪を胸に抱えたまま、嘘を吐き続けるしかないんだ。
唯を裏切ったときと同じように、蓮佑さんにも亜弥さんにも、ずっと。
気持ちが少し落ち着いたところで、躊躇うことなく、Twitterを開く。
たっちゃんの気持ちを知るのが怖いと思うのと同時に、たっちゃんがあの“告白”をどんな気持ちでしたのか、本心が知りたかった。
たっちゃんならきっと、桜子にしか見えないあの場所で気持ちを吐き出してる。
その予感に、間違いはなかった。
*******
君を奪い取れたらいいのに。
それは許されないこと。
わかってはいても、君に触れてしまったら、もう嘘なんて吐けそうにない。
どうして、あの時君を好きだと言わなかったのか?
どうして、きちんとケジメをつけなかったのか?
どうして、君は俺に抱かれた?
*******
緩みきった涙腺はたったそれだけの言葉でも、容易に決壊されてしまった。
ずるいよ、たっちゃん。
それがツイートされた時間は、わずか数分前のこと。
もう、起きてるの?
それとも、たっちゃんも眠れなかったの?
心が震え出す。
返信をタップして、深呼吸する。
“桜子”だからこそ言える気持ちを、震える指で言葉に変換していった。
*******
欲しいなら、奪えばいいのに。
きっと彼女だって、それを望んでる。
お願い、奪ってよ。
*******
何も考えられないほど、罪悪感も感じられないほどに、奪ってくれればいいのに。
溢れ出す涙で画面が霞んでいく。
涙を拭いながら表示されたメッセージを確認すると、やっとツイートボタンをタップした。
5分も経たずに、届いたメッセージ。
いつものURLとパスワードだった。
迷うことなんて、これっぽっちもなかった。
パソコンを立ち上げて、それを開くとパスワードを入力する。
*******
《おはようございます、達矢先輩。》
《おはよう。桜子ちゃん、早起きなんだね。》
《眠れなかっただけですよ。》
《そうなんだ。実は俺も、ずっと考え事していて、眠れなかったんだ。》
《考え事って、達矢先輩の忘れられない女性のこと?》
《うん……》
*****
そこで止まったたっちゃんの文字。
続く言葉を待っている時間が、やけに長く感じられる。
窓を開けると、いつもたっちゃんの部屋と思われる場所だけ、電気がついているのがわかった。
その顔を一目見たくて、返事の返ってこないパソコンの画面から離れて、カーテンを開ける。
お願い、顔を見せて?
祈るような気持ちでその部屋の窓を見つめていると、小さな祈りがやっと届いたのか、そこからたっちゃんが姿を現した。
すぐに私の存在に気づいた様子のたっちゃんは、こちらをじっと見つめたまま、何かを考えているように見えた。
たっちゃんに見据えられたまま、身動きがとれない。
そんな止まった時間が動き出したのは、スマホの着信音だった。
静寂な部屋の中で鳴り響く音に、心臓が飛び出してしまうかと思うほど驚く。
蓮佑さん?
でも、こんな時間に、まさかね……。
ベッドサイドに置きっぱなしのスマホを手に取ると、そこには窓際に立ってこちらを見つめているたっちゃんの名前が表示されていた。
パソコンの画面は、さっきのまま、何も変わらない。
どうして、電話なんて?
もう二度と聞きたくない言葉を、私はもう一度聞かなくちゃいけないの?
「……たっちゃん?」
静かに通話ボタンをタップして耳にあてると、
『……好きだ』
過去形ではない、ずっと欲しかったその言葉ひとつ、スマホから確かに聞こえてきた。
「……たっちゃん、今……なんて?」
『美紀のことが、好きだ」
もう一度繰り返された言葉。
ドクンと大きく跳ね上がった心臓の鼓動。
『……でも、もう美紀のことは忘れようと決めたんだ』
たっちゃんがコチラに背を向けるのと、スマホからツーツーと聞こえる音は、ほぼ同時だった。
*****
《……桜子ちゃん、俺はやっぱり、彼女を奪えない。》
*****
たっちゃんのその言葉を目にしたのは、しばらくした後でだった。
突然たっちゃんに告げられた二つの言葉は、一度私を幸せな気分に持ち上げて、一気に現実へと突き落とすものだった。
ヘナヘナと力が抜けてしまった私は、パソコンの前に腰を下ろすと、そのメッセージを目にした。
奪えない。
だから、忘れるの?
奪えないくらいなら、どうして抱いたりしたの?
心ごと、奪ってほしかった。
身体ごと、かっさらってほしかった。
中途半端な愛情なんて、いらなかった……。
*****
《好きだよ》
*****
パソコンの画面にもう届かない最後のメッセージを入力すると、
「……好きだよ、それでも」
ログアウトをしてから、もう一度たっちゃんの部屋を見つめた。
◇◇◇◇◇
「美紀ちゃん、大丈夫?」
「……え?」
「ため息! まだ5分しか経ってないのに、三度めだよ?」
お昼休みの社員食堂。
いつの間にか、私の目の前に座っていた亜弥さんが、心配そうに顔を覗き込んできた。
亜弥さんやたっちゃんに会いたくなくて、遅めのランチにしようと思っていたのに、昨日の怪我で、みんなが気を遣ってくれ、早めの時間に休憩を取らされた。
まだ、会いたくなかったな。
同じ会社にいるんだから、それは絶対無理なこと。
わかってはいるけど、まだ二人の前で、笑える自信なんてなかった。
たっちゃんに否定された、自分自身の存在。
対照的に、たっちゃんに認められた、亜弥さんの存在。
今、私はうまく笑えてる?
「大丈夫、ちょっとまだ、足が痛むのよ」
亜弥さんにも、小さな嘘を吐く。
まともに、その顔を見ることなんてできなかった。
「そっか、大丈夫? 困ったことがあったら、何でも言ってね?」
“じゃあ、たっちゃんをちょうだい?”
そんな言葉が喉まで出かかった私は、なんて最低な女なんだろう。
「……心配しなくて大丈夫よ。私には、蓮佑さんがいるから」
「もう、美紀ちゃんってば、また惚気ちゃうー?」
無理矢理作り上げた笑顔と一緒に呑み込んだ本当の気持ち。
「いただきます」
軽く手をあわせて、箸を持ったとき、亜弥さんはパッと顔を輝かせて、小さく手を振った。
「達矢くん! こっち!」
当たり前のように、自分の隣を指差して、手招きをする。
幸せそうな亜弥さんの笑顔が、グサリグサリと私の胸をえぐっていく。
私がいたことには気づかなかったのか、亜弥さんの隣に座ったたっちゃん。
私が同じテーブルにいると知って、一瞬だけ困った表情をしたのを、見逃さなかった。
今朝の言葉は、“友達”としての私の存在まで、否定してしまうの?
あんな風に否定されても、それでもまだ、どうして諦められないんだろう。
「……美紀、怪我大丈夫か?」
たっちゃんに掛けられた言葉は、普通に優しかった。
「……あ、うん、大丈夫」
「美紀ちゃんには、蓮佑さんの献身的な看病が一番きくのよね」
「……そっか、そうだよな」
まるで、昨日起きたことが全て夢だったように思えるたっちゃんの振る舞い。
自然にたっちゃんに触れる亜弥さんと、それに応えるように優しく笑顔を向けるたっちゃん。
二人の目の前に座っているのが、すごく辛かった。
◇◇◇◇◇
久しぶりに定時で会社を飛び出すと、まだ明るい空に気持ちが少し元気をもらう。
終業時刻直前に届いた唯からのメッセージ。
呼び出された場所へ向かうのも、空のおかげで憂鬱にはならなかった。
この道を一人で歩くのは久しぶりだ。
この間はたっちゃんと歩いた“ひだまり”までの道のり。
まだ待ち合わせ時間には少し早くて、ゆっくりと足を進める。
カランカラン。
ドアを開けると、マスターの笑顔に迎えられる。
「……美紀ちゃん、また来てくれたんだ」
「はい」
今日初めて、やっと笑えたような気がした。
唯や皆実とよく座った窓際の席にしようか、それともカウンターにするか悩んでいると、すぐにまた“カランカラン”といい音を奏でて、ドアが開く。
「……ごめんね、美紀。急に呼び出しちゃって」
息を切らした唯が、中に入ってきた。
「ほら、唯ちゃん、いつもの席、取っておいてあるから」
マスターの視線の先、私たちがよく座っていた席には“予約席”のプレートが置かれているのに気づいた。
「ありがとう、マスター」
「……どういたしまして」
唯に背中を押されて、懐かしいその席に腰を下ろす。
窓から見える風景は、あの頃と何も変わらない。
部活帰りのたっちゃんを待つ唯に付き合って、何度か“ひだまり”でコーヒーを飲んだこともあったっけ。
あの頃は真剣に思い悩んでいたことも、今となっては懐かしく感じられる。
マスターが二人分のコーヒーを運んできてくれると、唯はまずコーヒーを一口啜った。
「……美紀、ごめん」
カップをソーサーに戻した唯は、私に向かって小さく頭を下げた。
「え……? どうしたの?」
唯が私に、謝らなければいけないことがあるなんて、一つも思いつかない。
むしろ、謝らなければいけないことがあるのは、私の方だ。
唯を裏切ってしまった時のことはもちろん、体育館で再会したとき、今度こそ唯とたっちゃんの恋を応援すると決めていたのに。
「……私、ずっと美紀が羨ましかったの。ずっと、達矢に想われてる美紀が羨ましくて、美紀のことも達矢のことも、たくさん傷つけた」
唯は淋しげに笑った。
「ち、違うよ! 謝るのは、私の方だよ。私が……私がたっちゃんを好きにならなければ、たっちゃんのことを、ちゃんと諦めていれば……」
唯を傷つけることも、たっちゃんを苦しめることもなかったのに。
涙がぽとりと、テーブルの上に零れ落ちる。
そんな私に、ハンカチを差し出してくれた唯は、ゆっくりと首を横に振った。
「私ね、本当はずっと、美紀の気持ちにも達矢の気持ちにも気づいてたの」
「……え?」
「本当は私、達矢に告白したとき、一度ははっきりと振られてるんだよ? “他に好きな人がいるから”って……」
私を真っすぐに見据えた唯。
凛としたその表情に、ドキンと鼓動が脈打った。
唯が、たっちゃんに振られてる?
そんなことは、もちろん初耳だった。
今でも鮮明に覚えてる。
告白の結果を、この場所で待っていたんだから。
戻ってきた唯は、確かにこの窓の向こう側から、ピースサインをしてきたんだ。
あれが私の、失恋の決定的瞬間だったのだから、忘れるわけがない。
「……そんなわけ、」
「あるんだ。だって、私が達矢にお願いしたから」
もう一度コーヒーを啜った唯は、静かに目を閉じた。
「美紀は友達想いだから、私を振った達矢と、美紀が付き合うことはない。好きになるわけがないって。だから、私と付き合ってって、言ったんだ」
私ってば、やっぱり最低な人間だ。
友達想いだなんて、唯は買いかぶりすぎてる。
私は、唯を裏切ったのに。
「……唯、ごめんね」
「謝るのは私の方だよ。達矢は最初からずっと、美紀のことだけを想ってた。私があのとき、ちゃんと達矢に振られていれば、美紀にも達矢にも、こんな想いさせなかったのに……ごめんね」
自分の好きな相手が、自分を想ってくれるなんて、もしかしたら奇跡なのかもしれない。
ちょっとしたすれ違いで、永遠に交わらない二人もいる。
少なくても、お互い別々の人の手を取った私とたっちゃんには、交わる未来が訪れるとは思えないから。
「……謝らないでよ、唯。私は……もういいんだ」
蓮佑さんの気持ちを、これ以上傷つけるわけにはいかないんだ。
「よくないよ、美紀。私、美紀だから達矢のこと諦めようって思えたの。美紀と達矢だから、幸せになってほしいって思ったの。だから、お願い。もう素直になって? 自分の気持ちに嘘を吐いても、誰も幸せにはなれない。この間、達矢の部屋に泊まったとき、達矢、言ってた。美紀のことが好きだって」
唯の言葉が、胸の奥深くずっしりと染み込んだ。
第十四話へ続く。
いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。