Liar kiss*永遠の片想い*(第十四話)
第十三話はこちら。
14.行方知れずの恋
「ごめんな、昨日は」
「……ううん、大丈夫」
唯と別れてから、重い気持ちのままやってきた蓮佑さんのお店。
まだ早い時間のせいか、お客さんは誰もいなくて、カウンターの一番端っこに腰をおろす。
優しくされればされるほど、蓮佑さんを裏切ってしまったという事実に苛まれる。
唯の気持ちを、ありがたいとは思ったけれど、だからといって、すぐにたっちゃんの胸に飛び込めないのは、痛いほどわかっていた。
私は確かに、蓮佑さんに救われた。
たっちゃんへの想いが、真実であるように、蓮佑さんも、私にとっては必要不可欠な存在だったのも否めない真実。
それに、亜弥さんのこともあるから、簡単に結論なんて出せそうにない。
「……そういえばさ、古賀、覚えてるか?」
「うん、もちろん。そういえば、この間皆実とランチしてたら、恭子さんだっけ? 偶然に会ったのよ?」
「……恭子に? そうか、やっぱり会ったんだ」
一時も私の手を離そうとしない蓮佑さんの手が、なぜかビクッと震えた。
「どうか、した?」
探るように、蓮佑さんの顔を覗き込む。
「そっか、いや、うん……会ったのか」
「……うん、偶然にね。それが、どうかした?」
蓮佑さんは少しだけ何かを考えた後。
「一つ聞いてもいいか?」
真っすぐに私を見据えた。
真剣なその表情に、心臓が飛び出しそうになる。
さっきまで、一時も離そうとはしなかった蓮佑さんが、今度は私の手をゆっくりと離す。
「……どうか、した?」
「いや……答えたくなかったら答えなくていいんだ。皆実ちゃんは……昨日、美紀と一緒にいたんだよな?」
頷かなきゃ。
思えば思うほど、頷くことなんてできなかった。
「……美紀? 一緒にいたんだよな?」
さっきより、少しだけ高い、蓮佑さんの声。
真っすぐに蓮佑さんの顔を見ることができなかった。
ガシッと肩を掴まれると、条件反射で思わず頷いてしまう。
「……いや、ごめん。別に美紀のことを信じてないとかじゃなくて。夜中仕事が終わったころ、皆実ちゃんのマンションの近くで、皆実ちゃんと古賀のことを見かけたから」
皆実と古賀さんのことは、蓮佑さんにだって言えない。
「人違いよ、きっと。皆実は、私と一緒だったんだもん」
また吐いてしまった、蓮佑さんへの嘘。
それが皆実の秘密を守るためだったとしても、昨日をたっちゃんと過ごした私にとっては、大きすぎる嘘だった。
「……そっか、そうだよな。やっぱり皆実ちゃんなわけないよな。じゃ、恭子の勘違いだ」
少しホッとしたように笑った蓮佑さんは、私の頭を軽くポンと撫でた。
「……勘違い?」
「うん、ここだけの話だぞ? 実は恭子、古賀が浮気してるかもしれないって悩んでてさ。昨日、それで恭子が店に来てたんだ。明白な理由があるわけじゃないみたいなんだけど、皆実ちゃんのこと、やたら気にしてたからさ。ごめんな、いくら恭子のことを放っておけなかったとはいえ、美紀のところへ行けなくて」
「……ううん、私なら本当に大丈夫だから」
申し訳なさそうに謝る蓮佑さんを見ていたら、本当のことなんてやっぱり言い出せないと思った。
「……今夜は、美紀の部屋に行きたいな。いっそこのまま、閉店にして行っちゃおうか?」
悪戯っ子のように、目を輝かせて笑う蓮佑さん。
そのとき、タイミングがいいのか悪いのか、数人の男女が店内に入ってくる。
「いらっしゃいませ」
お客さんに笑顔で挨拶をした蓮佑さんは、
「今夜も無理そうだな」
と、残念そうに舌を出した。
私は、蓮佑さんが来れないことに、心からホッとしていた。
そのあと急に賑やかになりだした店内。
少しの間だけ飲んでいたけれど、蓮佑さんに気を遣わせないようにまだタクシーが捕まる時間に店を出る。
「……ごめんな、送っていけなくて」
「大丈夫よ、蓮佑さんの店から帰るのは、いつものことなんだから」
心配かけないように、笑ってみせる。
瞬間、さりげなく重なった唇。
離れると、少し照れ臭そうに蓮佑さんが笑った。
それなのに、頬を伝う涙を感じる。
蓮佑さんの顔から笑みが消えて、指が私の頬に触れた。
「……美紀? どうか、したのか?」
蓮佑さんに覗き込まれたらもう、とめどなく涙が溢れ出した。
「ご、ごめ……ん、なんでも、ないから……」
くるりと蓮佑さんに背中を向けると、私はそのまま振り返ることなく、通りに向かって走り出した。
左足の痛みなんて、全く気にならないくらい、心の方が痛んだ。
たっちゃんに触れられたら、もう身体も心も嘘なんて吐けない。
たっちゃんが触れてくれた場所に、他の人が触れたら、苦しくてたまらない。
通りまでたどり着くと、すぐに捕まえたタクシーに乗り込む。
「……美紀!」
一瞬聞こえてきた蓮佑さんの言葉には、聞こえないふりをして、運転手に行き先を告げた。
◇◇◇◇◇
「……どうして、ここにいるの?」
玄関先で見かけたその姿に、嬉しい気持ちよりも複雑な気持ちの方が遥かに勝って、つい冷たい口調になってしまう。
「会いたかったから」
恋人だったならば、何よりも嬉しい言葉だけれど、私たちは恋人なんかじゃない。
まして、たっちゃんがその台詞を言うのは、私ではなく、亜弥さんのはずだ。
「泣いてたのか?」
「たっちゃんには、関係ないことでしょう?」
冷たく言い放って、隣をすり抜けようとしたとき、怪我をした左手首をきつく引っ張られた。
「……ちょっ、痛い!」
だいぶ痛みが引いてきたとはいえ、そんなふうに握られたら、鋭い痛みが走る。
「ごめん……」
謝って、その手首は離してくれたたっちゃんだったけれど、今度はその腕の中にすっぽり抱きすくめられる。
離れなくちゃいけないと、理性は冷静に働くのに。
心地よいたっちゃんの体温に包み込まれてしまえば、それを突き放すちっぽけな理性なんて、微塵に吹き飛ばされた。
「忘れようって決めたんだ」
「……うん」
このまま、中途半端に傍にいれば、私もたっちゃんもまた同じことを繰り返す。
もう、誰のことも傷つけたくはない。
お互いが、別々の道を歩き出すと決めたならなおさらだ。
「亜弥と付き合うって、ちゃんと亜弥を好きになるって決めたんだ」
「……うん、わかってる」
誰かを好きになろうと思って、恋はするものじゃないけど。
“ただ、好きでいたい”
そんな感情なんて、本当はもっと早く捨てるべきだったんだ。
“友達”だなんて、便利な綺麗事。
その言葉に逃げて、甘えて、それで手に入れたものは、幸せとはほど遠いものだった気がする。
たっちゃんの腕が私を離すと、たっちゃんは私に背を向けて行ってしまった。
これで、よかったんだ。
自分に強く言い聞かせる。
誰も傷つかない恋なんてない。
誰かが幸せになるたびに、その影では誰かが泣いている。
だから。
それなのに、止まらない涙は、行き場をなくした、たっちゃんへの想い。
きっと二人はもう、友達にも戻れない。
私が“桜子”になるのも、今日が最後だ。
涙は枯れることを知らなくて、収まってきたかと思えば、また自然と溢れ出す。
霞む視界で、Twitterを呼び出した。
*******
あなたのことが、ずっと大好きでした。
出会ったことを、なかったことにはできない。
あなたを好きになった自分を、否定することもできない。
罰は一緒に受けるから、心ごとかっさらってほしかった。
でも、あなたがその勇気も覚悟も持てなかったのと同じように、私にもそんな勇気も覚悟も持ち合わせていなかった。
今でも、あなたが好きです。
きっと私は、これからもあなたを好きでいるでしょう。
永遠に片想いだったとしても。
あなたに出会えてよかった。
桜子
*******
想いを綴ると、思いきってツイートボタンを押した。
涙で霞んだ視界のまま、部屋を飛び出す。
マンションのエントランスまで出ると、まるですべてが私の味方になってくれたのかと思うほど、そこには今、一番会いたかった人が立っていた。
「……どこかに、行くのか?」
少し不安げな表情で、少し淋しげな表情で、そこにいた蓮佑さん。
痛む足を引きずりながら、その胸に頭を預けた。
「美紀? どうした?」
これが私の、決めた道だから。
これが私の、選んだ男性(ひと)だから……。
「蓮佑さんに……蓮佑さんのところへ行こうと思ってたの」
「俺のところに?」
「……蓮佑さん、今夜は泊まって行ってくれる? 蓮佑さんに傍にいてほしいの」
「いい、のか?」
「もちろん」
不安そうに私の顔を覗き込む蓮佑さんに、不意打ちに口づける。
私の心に、“嘘”が存在し続ける限りは、蓮佑さんの不安を拭うことはできないから。
私を、丸ごと受け止めようとしてくれた蓮佑さんに、私ができるたった一つのことは、どんなに時間が掛かっても、蓮佑さんを一欠けらの曇りない気持ちで愛すること。
「……美紀のことが気になって、実は……店は理由話して閉めてきたんだ」
「……もう、強引なんだから……。でも、そういう蓮佑さん、好きよ」
やっと、笑顔になれた。
遠慮しがちに、まるで腫れ物を扱うように、私に触れる蓮佑さん。
薄暗い部屋の中、目を閉じないで真っすぐに蓮佑さんの顔を見つめた。
「……そんなに見つめられたら、なんだか照れるな」
「だめ?」
少しはにかんだ蓮佑さんに感じるこの想いは、決してマイナスな感情なんかじゃない。
私を抱いてくれているのが、蓮佑さんなんだと感じるために。
蓮佑さんを、心にも身体にももっと深く刻み付けるために。
全身で、蓮佑さんに応える。
部屋の中に聞こえるのは、口づけの間にもれる、二人の甘い吐息と、ベッドのスプリングが軋む音。
「……美紀、」
その声は、他の誰でもない。
蓮佑さんのものだから。
「愛してる」
欲しかったその言葉をくれたのも、蓮佑さんだから。
◇◇◇◇◇
「……眠れないのか?」
月明かりが差し込む窓辺。
カーテンを開けて、たっちゃんの部屋を見る勇気はなかった。
代わりに、蓮佑さんがベッドから立ち上がって、カーテンを開ける。
その背中を、私は黙って見つめた。
「……美紀、」
「ん? なに?」
「いや、ん……、来週の連休なんだけどな」
蓮佑さんが振り返って、ベッドに腰をおろすと、私の髪の毛を掬いながら、その額にキスをくれた。
「連休が、どうかした?」
「……ん、美紀が嫌なら断ってくれてもいいんだけど……」
蓮佑さんにしてはめずらしく弱気な口調に思える。
「……実は古賀に、キャンプに誘われたんだ。美紀も、行かないか?」
「あぁ、うん、」
皆実と一緒にいたとき、恭子さんに誘われたことを思い出した。
キャンプか。
それも楽しいかもしれない。
自然に包まれれば、想いも痛みも和らぐだろうから。
「……私も、恭子さんに会ったとき、誘われてたの。蓮佑さんが行くなら、もちろん私も行くよ」
蓮佑さんの表情が、パーッと笑顔になる。
それだけで、傷が少し癒えていくような錯覚さえ覚えた。
「……本当に? めっちゃ嬉しい」
「ちょっと、苦しいってば、蓮佑さん!」
私を、きつく抱きしめてくれた蓮佑さんが、またキスを一つ額に落としてくれる。
「……でも、」
「ん……? 何か問題あるの?」
言いづらそうに、蓮佑さんは口を開いた。
「達矢たちも来るんだ」
そっか、たっちゃんと亜弥さんも……。
たっちゃんは蓮佑さんや古賀さんとも知り合いなわけだし、この先、蓮佑さんと付き合っていく限りは、こういう付き合いは避けられないこと。
胸に感じた鈍い痛みを、蓮佑さんには気づかれないように笑顔を作る。
私とたっちゃんの、二人に起こったことは、蓮佑さんにも亜弥さんにも、永遠に隠し続けなければいけない、重い罪。
それを胸に抱いたまま、ずっと偽りの仮面を被り続けなければいけない。
覚悟の上だ。
「そっか、たっちゃんと亜弥さんも来るのか。大勢の方が楽しいって、恭子さんも言ってたもんね」
「……いいの、か?」
不安げに揺らめいた蓮佑さんの目。
手を伸ばして、その瞼を閉じさせて、もう一度蓮佑さんに口づける。
「もちろん、いいに決まってるでしょ? 私は、蓮佑さんと付き合ってるんだよ。他の人は何の関係もない」
「そっか……そう、だよな」
この想いが、たった一欠けらの偽りさえもなくなるまでは、何度だって、あなたに口づけよう。
あなたが、この小さな嘘に、その目を閉じてくれている間は、ずっと。
あなただけを愛せるようになるまで、ずっと。
「……あ、でも一つだけお願いがあるの」
「ん? お願い?」
「うん、皆実を、誘ってもいいかな?」
「え? 皆実ちゃんを?」
恭子さんが皆実のことを疑ってるなら、やっぱり古賀さんとはきちんとケジメをつけた方がいい。
皆実も古賀さんも、現実を見た方がいいんだ。
「できれば、小野さんも」
「……小野って、この間の?」
「うん」
小野さんがいてくれれば、少しは皆実も楽に笑えるかもしれない。
皆実には幸せになってほしいから。
誰にも言えない想いに、苦しむのは私だけでいい。
「わかった、古賀には伝えておく」
「よろしくね」
第十五話(最終話)へ続く。
いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。