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Liar kiss*永遠の片想い*(第十二話)

第十一話はこちら。

12.友達のままで

「……何だか最近、元気ないみたいだけど、大丈夫?」

たっちゃんに会いたくなくて、避けるように早く出社した休み明けの月曜日。
屋上でコーヒーを飲みながら空を見ていると、亜弥さんが近づいてきた。

「そんなことないよ、元気元気! ほら、月初は毎度のことながら疲れてるから、そのせいよ」

亜弥さんに心配かけたくなくて、笑ってみせる。

「……そう? ならいいんだけど……。昨日は達矢くんもあまり元気なかったんだよね」

「たっちゃんが? 会ったんだ?」

「うん。でも一緒にいても、心ここにあらずって感じでさ……」

たっちゃんの名前を聞かされるだけで、正直な心臓の鼓動は早く脈打っていく。

心配してきてくれた気持ちは、もちろん嬉しかったけれど、そんな優しさは、時にはとても残酷なもの。

「……昨日も一緒だったってことは、もしかして二人は付き合うことになったの?」

亜弥さんの顔を一瞥すると、頬を赤らめて小さく頷いた。

「うん、昨日強引に押しかけたら……」

照れ臭そうに笑う亜弥さん。

唯とやり直さないと言っていたたっちゃんが、いつか亜弥さんと付き合い出すのは容易に想像できていたことだ。
でも、いざその時が来ると、胸がズキンと痛む。

「じゃ、今は幸せいっぱいだ」

「……うん、でもやっぱり、」

一瞬曇った、亜弥さんの笑顔。
首を傾げると、少し淋しげな笑顔を向けられた。

「……どうかしたの?」

「うん、達矢くん、忘れられない人がいるみたいで。きっと前の彼女さんだよね」

亜弥さんに、“違う”とは言ってあげられなかった。

結局、たっちゃんに確認できないままの、忘れられない人。
でも、それも今さら、どうでもいいことなんだ。
その人じゃない人を選んだ以上、やっぱりきちんと新しい恋に向き合わなくちゃいけないから。

たっちゃんが亜弥さんを選んだのなら、私はもう二人の恋を応援するしかないんだ。

“友達”として。

「大丈夫だよ。忘れられない人がいたとしても、たっちゃんはその人じゃなく、亜弥さんを選んだんでしょう?」

「……うん、」

「だったら、もっと自信持たなきゃ。たっちゃんだって、新しい恋と向き合おうと思ったから、亜弥さんと付き合うことにしたんだと思うよ。ね?」

「うん、そうだよね!」

太陽に負けないくらい、眩しいほどの亜弥さんの笑顔。

唯も、たっちゃんと付き合い始めたとき、こんな風に幸せそうな笑顔をしていたっけ。
そんなことを思い出して、少し苦しくなった。

「そういえば、蓮佑さんって、結構ヤキモチ妬きでしょう?」

「……え? なんで?」

「ほら、観覧車で美紀ちゃんと達矢くんが二人きりになったとき、地上に着くまで、落ち着きなくてずっとイライラしてたっていうか、蓮佑さん、めっちゃ不機嫌だったんだよ?」

そうなんだ。

あの後、蓮佑さんが何も言わなかったから、一切その話には触れなかったけど、きっと間違って二人きりになったのが、たっちゃんでなく小野さんだったら、蓮佑さんをそんな気分にさせなかったのかもしれない。

「……愛されてますから」

「もう、美紀ちゃんってば、私に惚気ちゃう?」

本当のことなんて、今の亜弥さんに言えるわけない。
わざとおどけるように言うと、亜弥さんと二人ケラケラと笑った。

「亜弥さんだって、惚気ればいいじゃない」

「……そうね。今度美紀ちゃんに負けないようにたくさん惚気させてもらいます」

「楽しみにしてる」

亜弥さんがたくさん惚気てくれれば、私に、二人が仲良いことを、もっと見せつけてくれれば、きっと、いつか忘れられるよね?

最後のコーヒーを飲み干して、小さく背伸びをした。


◇◇◇◇◇

「桜井、悪いけどこれ資料室に戻しておいてくれないか?」

遅めのランチから戻ると、五冊ほどの分厚いファイルを課長に手渡された。

「わかりました。行ってきます」

「それと、昨年度の銀座中央支店の売上伝票と二年分の帳簿を探して、持ってきてくれ。監査が入るかもしれないからよろしくな」

「はい、昨年度分の売上伝票と二年分の帳簿ですね、わかりました」

ホワイトボードの行き先を、休憩から資料室に書き換えて、分厚いファイルを抱え経理部を出る。

資料室は、建物の地下一階、一番奥にあった。
地下行きのエレベーターに乗り込み、“閉”ボタンを押す。
薄暗い資料室は、幽霊でも出てくるんじゃないかと思うくらい、薄暗くて湿気でジメジメとしているから、いつも行くのは下っ端の私の役目だ。

まずは電気をつけて、端っこに置かれた机に持ってきたファイルを置く。
部屋の片隅に置いてあった脚立を広げると、一冊めのファイルを棚に戻そうと、手に持った。

資料室の棚は高くて、ゆっくりと脚立の一番上にのぼる。
一冊めのファイルを戻して、脚立を下りかけたとき、誰も来ないと思っていた資料室のドアが突然開けられて、驚いた私は足を踏み外してしまった。

グラグラッと揺れる視界の片隅で、資料室の中に入ってきた人物の姿を捕らえる。

たっちゃん?

気づいたときには、自分の小さな悲鳴が

「美紀! 危ないっ!」

たっちゃんの声に掻き消されてた。


*******

「……友達、だろ?」

たっちゃんを一人にしておけなくて、訪ねたたっちゃんの家。
家族は誰もいなくて、そのままたっちゃんの部屋に案内される。
窓から差し込む、僅かな月明かり。
吸い込まれそうなほど、まっすぐに見つめられて、コクンと頷く。

「……美紀、」

ぎこちなく伸びてきたたっちゃんの手が、私の顎を掴んだ。

その手首には、私のあげたものでなく、唯の選んだリストバンドをしている。

“好き”が心の底から溢れ出す。

どちらからともなく重なった唇と唇は、最初は遠慮がちに触れ合うだけだったけれど、離れて見つめ合えば、次の瞬間は深く求めあった。

*******


◇◇◇◇◇

重い瞼をゆっくりと開けると、真っ白な天井が目に入ってくる。
消毒の匂いが微かに鼻につく部屋。
窓から入る生温い風が、白く無機質なカーテンを揺らしていた。

あれ、私、どうしてここに?

確か、資料室で脚立の上から落っこちて。
そっか、ここは病院か。
ぐるりと周囲を見渡す。

脚立から落ちる瞬間、たっちゃんの姿を見たような気がしたけれど、近くには誰もいなかった。
なんで今さら、あんな夢を見たんだろう。

今、唇を重ねたわけじゃないのに、昨日のことのように覚えてる温もり。

そっと人差し指で、唇をなぞってみる。

あれが、私にとっての初めてのキスだった。
ずっと抑えていたたっちゃんへの感情は、たった一度キスで、歯止めがきかなくなっていった。

あの時、本当は唯に傍にいてほしかったんだと思う。

唯があの日、たっちゃんの隣にいられれば、私たち二人が唯を裏切ることなんて、なかったのかもしれない。

法事で、たまたま唯がご両親の故郷へ着いて行ってしまったこと。
試合直前の、たっちゃんの怪我。
それを隠して出場してしまって、その結果の惨敗。
そして、怪我の代償はたっちゃんのバスケ選手としての未来までを奪った。

趣味として続けていく程度なら、問題はなかったけれど、たっちゃんのバスケへ懸ける情熱は、中途半端なものじゃなかったから。

そのうちの一つでも条件が揃わなければ、きっとたっちゃんがあんな風に落ち込むこともなかったのかもしれない。
すべてが悪戯に作用して、二人を間違った道へと誘ってしまったんだ。

「……美紀、起きたのか?」

ノックの音が一つした後、蓮佑さんが中に入ってきた。

たっちゃんが、蓮佑さんに知らせたんだろうか?

ホッと笑顔を見せてくれた蓮佑さんが、パイプ椅子を広げて私の目の前に座る。

「……蓮佑さん、仕事は?」

病室に時計こそなかったけれど、外の暗さから考えても、蓮佑さんにとっては仕事をしている時間だ。

「……月曜日、こんな早い時間から飲みにくるやつなんていないよ。それに、美紀を放って仕事に行けるわけないだろ?」

さっきまで、たっちゃんの熱を思い出していた唇に、蓮佑さんの唇が重なった。

怪我そのものはたいしたことがなくて、左足と左手の軽い捻挫だった。

目が覚めたら、帰ってもいいと言われていたようで、蓮佑さんに手を引かれて、車に乗り込む。

運転中、右手だけでハンドルを握り、左手はずっと私の右手を捕らえたままの蓮佑さん。
繋いだ手が、時折ギュッと強く握りしめられるたび、心まで苦しくなる。

「……どうした? 怪我、痛むのか?」

「ううん。大丈夫、たいしたことないから」

きっとこれは、神様が私に与えた罰だ。

唯を傷つけてしまった痛みや、亜弥さんの恋をどこかで祝福できてない私への罰。

マンションの駐車場に到着すると、急いで運転席をおりた蓮佑さんが、助手席のドアまで開けてくれる。
さりげなく差し出された手を取って立ち上がると、ひょいっと抱き上げられた。

「ちょっ、蓮佑さん! 私なら歩けるから」

来客用の駐車場から、エントランスまでは目と鼻の先。
いくら夜とはいえ、帰宅時間にあたるのか、人の出入りがほどほどにあって、時々ちらっと私たちを見ていく人たちとすれ違う。

「ダーメ。今日は美紀をとことん甘やかすって決めたんだから。美紀は黙って俺に甘えていればいいの」

恥ずかしがる様子も全然感じられない蓮佑さんは、そのままエレベーターの前でその到着を待つ。
せめてもの救いは、すぐにエレベーターがきたことと、下りる人はいたけど、乗る人が他にはいなかったこと。
蓮佑さんに抱き上げられたまま、エレベーターに乗り込むと、ドアが閉まるのと同時に頬に蓮佑さんの唇を感じた。

「……仕事終わったら、泊まりに来てもいいか?」

熱っぽく見つめられて、コクンと首を縦におろす。
このまま蓮佑さんに甘えよう。
もっと、蓮佑さんのことを好きになりたい。
好きにならなきゃいけないんだ。

食事とお風呂の準備をしてくれた蓮佑さんは、なるべく早く帰ってくるからと、仕事に出かけてしまった。
一人残された部屋で、食事をする気にもなれずにぼーっとしていると、テーブルの上でスマホが震え出す。

サブディスプレイには、“水嶋達矢”の文字が表示されていた。

一瞬だけ躊躇って、すぐに通話ボタンをタップする。

『美紀? 大丈夫か?』

たっちゃんの声を聞くだけで、心臓がわしづかみされたかのように苦しくなる。

あとどれだけ、たっちゃんへの想いに嘘を吐けば、嘘が本当に変わるんだろう。

声を聞けば、逢いたくて。
姿を見かければ、恋しい気持ちが溢れて止まないというのに。

「……大丈夫よ。ごめんね、心配かけて」

そんな気持ちを感じとられないように、できるだけ明るい声を出した。

『……今、一人か?』

「え……?」

『いや……その、片手が不自由だと、料理とか大変だろ? 一緒に食べないかと思って。今、美紀の部屋の前にいるんだ』

左足を引きずりながら、玄関のモニターを確認すると、スーパーの袋を持ったたっちゃんが立っていた。

「ちょっと待ってて。今開けるから……」

その顔を見てしまえば、友達のままでいいから、ただ好きでいたいと切に願ってしまう。

「……ごめん、突然来たりして、迷惑じゃなかったか?」

「ううん、大丈夫」

首を横に振ると、緊張気味だったたっちゃんの表情が、やっと笑顔に変わった。

「もしかして、蓮佑さん、来てたのか?」

キッチンに置いたままの料理を見て、少し悲しそうに笑ったたっちゃん。

「……あ、うん、今は仕事に行ってるけど」

「そっか……そうだよな。美紀には蓮佑さんがいるんだよな」

テーブルの上に置いたスーパーの袋から、食材を一つずつ取り出したたっちゃんは、結局すべての食材を冷蔵庫の中にいれてしまった。

「……たっちゃん?」

「ごめん、やっぱり、俺、帰るから」

私の頭をポンと撫でたたっちゃんの右手。
優しく笑いかけてくれたかと思えば、私に背を向けて、玄関で靴を履く。

「……行かないで」

素直な心から飛び出した言葉。
発した言葉の意味を理解できたのは、たっちゃんが困ったように、私を振り返ったときだった。

思い浮かんだ亜弥さんの顔。
嫉妬心がひょっこり芽を出して苦しくなる。

「ごめん。そんな変な意味じゃなく、て……」

こんなとき、泣く女には絶対なりたくないのに、一筋の涙が頬を濡らす。

「美紀? どうした? 痛むのか?」

靴を脱いで、濡れた私の頬に手を伸ばす。

「……ほら、一人でご飯食べるなんて……淋しすぎるじゃない? だから」

どんな言い訳を並べても、たっちゃんに見据えられれば、あっけなく消えてしまうから。

「……そんな淋しそうな顔してたら、帰れなくなるだろ?」

困ったように笑ったたっちゃんは、もう一度私の頭を撫でると、キッチンに戻って、冷蔵庫から食材を取り出した。

そんなたっちゃんを見つめていると、再び鳴り出したスマホ。

ディスプレイに表示された蓮佑さんの名前をみて、心が痛む。
やましいことをしているわけじゃない。
それでも、蓮佑さんにとっては、たっちゃんとこうして二人きりでいること自体が、裏切り行為なのかもしれない。

電話の音を、全く気に留める様子のないたっちゃんから離れて、ベランダの外に出る。

ジメっとした風が、頬を撫でて通り抜けていく。

こちらに背中を向けたままのたっちゃんを一瞥してから、通話ボタンをタップした。

『……美紀?』

「あ、うん……」

視界の片隅に、少しでもたっちゃんが入ってしまったら、私は今自分の置かれている状況を、ごまかすことはできそうにない。

私も、たっちゃんに背を向けて、ベランダの手摺りにもたれ掛かる。

『ちゃんと、食べたか?』

「……うん、食べたよ」

一つめの、小さな小さな嘘に、胸がズキンと痛む。

『美紀、ごめんな。本当は仕事早く切り上げて、美紀のところ、行きたいんだけど……常連さんが来て、今夜は無理そうだ』

蓮佑さんのその言葉に、すごく安心している自分がいた。

「私なら、大丈夫だから。ほら、蓮佑さん、全部準備してってくれたし。それに、さっきね、皆実が来てくれたところなの」

口から飛び出した、二つめの嘘。

『……そっか、皆実ちゃんが一緒なら、安心だな。でも、早く寝るんだぞ?』

「うん、いろいろありがとう。明日、お店に寄れたら寄るね」

吐いてしまった嘘は、一つめの嘘よりも遥かに大きな蓮佑さんへの裏切り。

『おやすみ』

「おやすみなさい……」

電話を切ってため息を吐くと、窓がゆっくりと開けられた。

「できたけど、一緒に食うか?」

「うん」

ごめんね、蓮佑さん。
ごめんね、亜弥さん。

今夜だけは、私にたっちゃんと過ごす時間を下さい。
それだけでいい。
それ以上はもう、何も望まないから。

そっと差し出されたたっちゃんの手を取って、部屋の中に入る。
テーブルの上には、いつの間にこんなに作ったんだろうと思うほどの料理が並べられていた。

「すごっ、これ全部たっちゃんが?」

「……まぁな」

得意げに、ヘヘンと鼻をこすったたっちゃんが笑顔になる。

キュンと切ない音を奏でる胸。
繋がれたままの手をギュッと握りしめると、プチンと何かが切れる音がして、どちらからともなく、唇が重なり合った。

あの時と同じように、溢れた感情を、止める術なんて持ち合わせていなかった。


◇◇◇◇◇

暗闇と静寂の中。
ギシッと軋むベッドのスプリング音が耳に留まった。

私を起こさないように、静かにベッドから出たたっちゃん。
起きてるなんて、気づかれないように、目は閉じたまま、耳だけを研ぎ澄ます。

たっちゃんのいなくなった隣は、まだ微かにたっちゃんの体温が残っていた。
聴覚だけでも、たっちゃんが着替えているのは容易にわかる。

“帰らないで”

引き止めてしまいたくなる気持ちを、ぐっと堪えるように、たっちゃんの匂いの残るシーツに、顔を埋めた。

少しして、着替え終わったたっちゃんがベッドサイドに腰を下ろすと、さっきまでずっとそうしてくれていたように、私の髪の毛を掬っては触れた。

寝たふりをしているのが、ばれてしまうんじゃないかと思うほど、早く脈打つ心臓の鼓動。
目を開けたら、帰ってしまうんじゃないかと思うと、それだけで身動きが取れない。

たっちゃんの指が、優しく私の髪の毛を掬うたびに、身体中の全てから“好き”の気持ちが溢れ出す。

ねぇ、たっちゃん。

今夜のこともまた、“忘れてくれ”って残酷な言葉を言うの?
唯だけではなく、蓮佑さんと亜弥さんのことまでを裏切ってしまった和たちには、また遠ざかって離れるだけの運命しか残されていないの?

静かに動きを止めたたっちゃんの手は、少ししてゆっくりと離れた。

「……美紀、」

不意に呼ばれた私の名前。
当然答えないでいると、

「ずっと、好きだった。美紀のこと。友達だなんて、思えなかった。今だって、本当は蓮佑さんから、奪いたい」

残酷な一言だけを残して、部屋を出ていってしまった。

バタンとドアの閉まる音が聞こえてくると、もう二度と会えないような不安に襲われて、涙が溢れ出した。


第十三話へ続く。


いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。