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Liar kiss*永遠の片想い*(第七話)

第六話はこちら。

7.届かない恋

コチコチと、時を刻む音だけが静かな空間に流れる。

もう私以外は誰もいないフロアー。
やっとチェックの終わった大量の伝票の山を箱の中に詰めた。
それをキャビネットの中にしまうと、大きく伸びをして時計を見る。
いつもの月初より一時間以上も遅く、もうすぐ九時になろうとしていた。

さすがに、ランチを一切れ程度のサンドイッチで済ませてしまったせいか、ぐるぐるっと鳴り出すお腹の音。
早く帰って、何か食べよう。

そう思って帰り支度をしていると、バッグの中でスマホが震える音が聞こえてきた。

表示された、“小野真一”の文字。

え?
あの短時間で、私の電話番号を覚えたの?

疑問に思いながらも通話ボタンをタップする。

『美紀ちゃん、まだ会社でしょ?』

スマホから聞こえてくるはずの声が、すぐ近くからも聞こえてきた。

「……小野さん!」

振り返ると、エレベーターの前でニッコリと手を振る小野さんと、不機嫌そうな表情のたっちゃん、さらにその隣には上機嫌そうな亜弥さんが立っていた。

「帰ろうとしたら、偶然小野くんと入り口のところで会って。下で一緒に美紀ちゃんのこと待っていたら、達矢くんもいたから、これからみんなで飲もうって話になったのよ」

嬉しそうに弾む亜弥さんの声。
小野さんも乗り気なのか、うんうんと大きく頷いている。
ただ、たっちゃんだけが少し疲れているのか、不機嫌さ丸出しって感じだった。

「ほら、早く行きましょ」

亜弥さんに手を取られて、四人でエレベーターに乗り込むと、たっちゃんの横顔を盗み見る。

異動初日で、きっと疲れてるよね。
業務部も、月初のこの時期はいつも遅くまで人が残ってるみたいだし。

そんなたっちゃんにはお構いない様子で、そそくさとエレベーターから降りた小野さんと亜弥さんは、行き先が決まったのか、てくてくと先に歩き始めてしまった。

「……大丈夫? 初日だし、たっちゃん、疲れてるんじゃない?」

「ん? ……あぁ、まぁな」

心ここにあらずのような、生返事。
それでも、時折振り向いて急かす亜弥さんと小野さんに、しかたなく着いていく。

月曜日だからか、客のまばらな居酒屋の店内。
先に入ってた小野さんと亜弥さんは、入り口から一番遠い席に腰かけていた。

「美紀ちゃん! 達矢くん、こっち!」

亜弥さんが、嬉しそうに手を振る。
それに応えるように手を振り返すと、たっちゃんが私の隣で小さく何かを呟いたような気がした。

「……ようか?」

「え? ごめん、聞こえなかった。もう一度、」

私たちの後に続いて、ガラガラと開けられたドアの音に掻き消された、たっちゃんの声。
聞き返すと、困ったような表情で見据えられる。

「……美紀……二人で、」
「おい、早く来いって!」

再び開いたたっちゃんの唇は、完全に全ての言葉を発する前に、待ちくたびれてこっちにやってきた小野さんに遮られた。

そのまま、小野さんに腕を掴まれた私は、強制的に小野さんの隣に座らせられる。

たっちゃんは、亜弥さんの隣、私の目の前に腰を下ろした。

先に頼んでおいてくれたのか、すぐに運ばれてくる生ビールの中ジョッキ。

四人で「乾杯」とジョッキを合わせると、各々が渇いていた喉を潤した。

「達矢くん、今日は疲れたんじゃない?」

かいがいしく、お皿にみんなのサラダを取り分けながら、亜弥さんが口を開く。

「……あ、うん、まぁ、」

曖昧に言葉を濁したたっちゃんは、亜弥さんからお皿を受け取ると、黙ってサラダを口に運んだ。

「美紀ちゃん、俺、土曜日誕生日なんだよね。お祝いしてよ?」

「……え? あぁ、でも、」

お願いポーズで、上目遣いで見つめられる。

「……へぇ、小野くん、土曜日誕生日なの?」

亜弥さんが食いついてきた。

「そうなんだよねー。ぜひ美紀ちゃんにお祝いしてもらいたくて」

「……わ、私は、」

なんて答えればいいのか、言葉に困ってしまう。
たっちゃんの方をちらっと見ても、素知らぬふりだ。

「……美紀ちゃん、恋人募集中でしょ? せっかくだから、お祝いしてあげればいいのに。ねぇ、達矢くん?」

亜弥さんがたっちゃんに話を振ると、さっきから関係ないって顔をしていたたっちゃんが、やっと顔をあげた。

「……じゃあ、みんなでお祝いでもしてやるか?」

「うん、それいいねー!」

小野さんよりも先に、亜弥さんが嬉しそうに頷く。

「……小野もいいよな、二人じゃなくても」

「あぁ……うん、本当は美紀ちゃんと二人きりがいいけど、な。美紀ちゃんと会えるなら、二人じゃなくても我慢する」

渋々、といった風に小野さんも頷いた。

「どこでお祝いとかする? そうだ、達矢くんの引っ越し祝いと兼ねちゃう?」

二人きりじゃないとはいえ、ウキウキモードの亜弥さんに、あの頃の唯が重なる。

「えーっ? 俺は誕生日なんだよ? それなのに、達矢の引っ越し祝いと一緒だなんて、ひど過ぎるよ、亜弥ちゃん。ね、美紀ちゃん?」

私の隣で、プーッと膨れてみせた小野さんに同意を求められた。

「うん……そうだね。せっかくのお誕生日だもんね」

「だよねー? やっぱり美紀ちゃんは亜弥ちゃんと違って優しいな」

「ちょっと、小野くん! それどういう意味よ」

作り笑いをして二人に応えていると、ふと正面にいるたっちゃんと視線が絡む。

すぐに逸らされた視線なのに、何かに囚われてしまったかのように視線が逸らせなかった。

そういえば……。
たっちゃんは、さっき何を言おうとしたの?

盛り上がる亜弥さんと小野さんの話は、半分上の空で聞いていた。


◇◇◇◇◇

二時間ほど飲んで、お開きになると、少し頬を赤らめた亜弥さんがタクシー乗り場の前で、たっちゃんの腕を掴んだ。

「ねぇ、達矢くん、送ってくれる?」

積極的な亜弥さんに、たっちゃんも困ったように笑う。

「じゃあ、俺は美紀ちゃんを送ってく」

「え? 私なら一人でも大丈夫だから……」

やんわりと亜弥さんの腕を外したたっちゃんは、停まっていたタクシーに亜弥さんを押し込めた。

そのあと、たっちゃんも乗るのかと思いきや、私の隣にいた小野さんの腕を強引に引っ張って、タクシーに押し込める。

「……ごめんね、伊東さん。小野に送ってもらって? こいつ、伊東さんの家の近くだし、俺だと方角正反対だから」

「ちょっ、達矢くん!」

「おい! 俺は美紀ちゃんを……」

何かをまだ言いたそうな二人の声をシャットダウンするかのように、たっちゃんは勢いよくタクシーの扉を閉めてしまった。

「……ほら、帰るぞ!」

たっちゃんに肩を掴まれ、後ろのタクシーに押し込められる。
すぐに隣に乗り込んできたたっちゃんと、少しだけ手が触れて、胸がドキンと脈打った。

運転手さんに行き先を告げたたっちゃんは、タクシーが走り出すとやっとシートに身を沈める。

手を伸ばせば、すぐに触れられる距離。
さっき触れたばかりの手が、火傷でもしたんじゃないかと思うほど、熱く感じた。

「……どうかしたのか?」

「何でも……ない。それより、よかったの? 亜弥さんのこと」

確かに亜弥さんのマンションとたっちゃんのマンションでは方角は違うけど、正反対は大袈裟だ。

「……前に、言っただろ?」

「え……?」

「小野はどんな手を使っても、狙った女は落とすって。それなのに、簡単に電話番号なんて教えやがって。あいつに送らせたら、強引に美紀の部屋に上がり込むぞ? いいのか?」

真剣な眼差しで覗き込まれたかと思うと、コツン、と額を人差し指で弾かれた。

「……じゃ、亜弥さん、危ないじゃない!」

「大丈夫。あいつ、自分の興味ない女には、強引に迫ったりしないから」

悪戯っぽく笑う。

「……それより、少しだけ肩貸して。昨日緊張でほとんど眠れなかったから、すっげー眠いんだ」

大きな欠伸を一つしたたっちゃんは、私の返事も待たずに、私の肩にもたれ掛かってきた。

ふわふわのたっちゃんの髪の毛が、私の鼻をくすぐる。
近すぎる距離に、トクンと大きく波打つ心臓の鼓動。

たっちゃん、ずるいよ……。

たっちゃんにとっては、ただ小野さんに興味のない私を、友達として守ってくれただけかもしれない。
でも、こんな風にされたら、もっと好きになっちゃうよ……。

すぐに聞こえてきたたっちゃんの寝息。
無造作に膝の上に置かれたたっちゃんの手に触れた。

すぐに思い浮かんだ亜弥さんや唯の顔。
いけないことをしてるような気がして、慌てて手を引っ込めようとすると、たっちゃんに握り返される。

……え? 起きてるの?

驚いてたっちゃんの顔を見ようとするけど、規則正しい寝息が聞こえてくるばかりで、顔までは確認できない。

寝ぼけてるのかな?

でも、もう少しだけ……。
このままでいさせて?

私もタクシーの揺れに合わせて、そっと目を閉じた。


◇◇◇◇◇

「……美紀、ほら、着いたぞ」

手をギュッと握りしめられた感覚で、覚醒される。

「……あ、ごめん、寝ちゃって」

「いやいや、よだれ垂らす美紀の寝顔見れたし」

「……え? 嘘、やだ、」

繋がってた手をパッと離して口元に運ぶと、ククッと面白そうに笑うたっちゃん。

「……冗談だって、かわいい寝顔だったよ、美紀」

「もう、たっちゃんってば、からかうなんて最悪!」

「ごめんごめん、ほら下りるぞ」

もうすでに精算を済ませてあったのか、ポンと頭を撫でられて、手を引かれる。
タクシーを下りると、ジメッとした空気が二人を包み込んだ。

手を繋いだまま、到着したマンションのエントランス前。

もう少しだけ、このままで……。
淡い願いは、呆気なく砕け散る。

「じゃ、おやすみ! ちゃんと寝るんだぞ!」

「……あ、うん。おやすみ!」

私の手を何の躊躇いもなく離したたっちゃんは、身を翻すと軽やかに道路の向こう側のマンションの中に消えていった。

「一度くらい、振り向いてくれたっていいのに」

つい、唇から零れた本音。
もう姿の見えなくなってしまったたっちゃんには、当然届かない気持ち。
ほろりと一筋の涙が、頬を伝って地面へと落ちた。

部屋の中に入ると、そのままベッドの上にダイブする。
ごろんと寝返りを打って天井を見上げても、浮かぶのはたっちゃんの顔だけだ。

起き上がってカーテンを開けると、たっちゃんのいるマンションがよく見える。

え? 
あれって、もしかして。

もう夜もだいぶ遅いというのに、入り口あたりで唯によく似た後ろ姿を見つけた。

……まさか、ね。

ざわつく胸をごまかすように小さな深呼吸をする。

唯のわけ、ないじゃない。
唯とは、もうやり直すつもりはないって言ってたじゃない。

シャッとカーテンを閉めて、パソコンを立ち上げる。

それでも、嫌な予感を拭い去れなくて。Twitterを開くと、何のメッセージもないのを確認して、少し落ち込んだ。

たっちゃんのツイートも、朝と何ら変わりないまま。
もう、寝ちゃったのかな?

それとも、さっきの後ろ姿はやっぱり唯で、今も唯と一緒にいるの?

不安な黒い塊が、胸にズシンとのしかかる。

私ってば、最低だ。
ただ、たっちゃんのことを好きでいられればいいと望んでいただけなのに。
再会したら、もっと近くにいたくて。
近くにいれたら、今度は私を見てほしくなるなんて。

触れたら、誰にも渡したくなくて、唯のことも亜弥さんのことも、応援できない。

唯に、電話しようか?
もしたっちゃんと唯が一緒なら、唯は出ないはず。

スマホから、唯のメモリーを呼び出す。
それでも、発信する勇気は出なかった。

暗くなったディスプレイをボーッと眺めていると、突然スマホが震え出す。

……えっ? 亜弥さん?

想像もしてなかった亜弥さんからの着信に、慌てて通話ボタンをタップした。

『もしもし、美紀ちゃん?』

「あ、うん……どうかしたの?」

亜弥さんとは、入社以来の付き合いになるけど、普段からあまり電話したことなんてなかった。

『もう、小野くんったら、ずーっと美紀ちゃんの話ばっかりだったのよー』

ぷーっと頬を膨らませる亜弥さんの姿が、容易に想像できる。

「……私は、」

『わかってるって。忘れられない人がいるんでしょう?』

「うん」

正直に頷くことさえも、たっちゃんと再会してしまった今では、心苦しくて堪らなかった。

『……そっか、美紀ちゃんが新しい恋をするつもりになったなら、土曜日は強引に達矢くんと二人きりになっちゃおうかと思ったんだけど』

「……ごめん、」

『いいのよ、別に謝らなくて。そんなに簡単に、忘れられたら、苦労はしないもんね』

「……うん、本当にごめんね」

『気にしないでいいから。でも、美紀ちゃんは乗り気じゃないかもしれないけど、土曜日は付き合ってね?』

「……うん、あ……」

『じゃ、また明日ね! おやすみ』

言いたいことだけを言った亜弥さんは、そのまま電話を切ってしまった。


◇◇◇◇◇

高校時代の卒業アルバムを見ながら、いつの間にかテーブルに突っ伏して眠ってしまったみたいで、目を覚ましたのは、明け方の空が少し明るくなりかけたころだった。

体勢がよくなかったのか、大きく伸びをしてみても、すっきりしない。

アルバムは、たっちゃんが一番大きく写された、バスケの大会での写真のページだった。
この日、この大会の後……。
私とたっちゃんは、唯を裏切った。

胸に、ズンとのしかかる鈍い痛み。
あれから、すべてが変わってしまった気がする。
それまでは、ごまかし続けられた自分の気持ちを、抑えきれなくて、唯の前でも笑えなくなった。
パタンとアルバムを閉じて、人差し指で唇をなぞる。

“……友達、だろ?”

あの頃のたっちゃんの表情と言葉が、鮮明に思い出されて、胸がギュッと締め付けられた。


*******

大好きな人がいます。
もう少しだけ、好きでいてもいいですか?

*******


ツイートボタンを押すと、まるで待っていたかのように、すぐにたっちゃんからのメッセージが届いた。


*******

俺も好きな人がいます。
もう少しだけ、彼女のことを好きでいてもいいですか?

*******


そのコメントを見た瞬間、背中を衝撃が走る。

これって……誰のこと?

早く脈打つ心臓の鼓動を鎮めるために、大きく深呼吸をして、カーテンを開けると窓からたっちゃんのマンションを見つめた。

もしかして、あの部屋?
ひとつだけ、なぜか目に留まった部屋。
まだほとんど電気が灯ってないというのに、その部屋だけは明るかった。

すぐにまた、たっちゃんからのメッセージが届く。
今度は、どこかのURLと、パスワードのような四桁の数字があるだけだった。

何だろう?

急いでパソコンをたちあげて、それをクリックする。
パスワードを問われる画面に変わったので、さっきの四つの数字を入力すると、すぐに画面が変わった。


《おはようございます、桜子ちゃん。》


画面にうつしだされた文字を見て、私もキーボードに指を這わせる。


《おはようございます。達矢先輩。》

《突然、チャットに誘ってごめん。どうしても桜子ちゃんと話したくなって……》

《私と?》

《はい。迷惑だった?》


迷惑なんて、そんなことあるわけない!
たっちゃんには見えないとわかっているのに、大きく首を横に振る。

思いがけない、たっちゃんとの時間に、自分でも口元が緩んでいるのがわかるほどだった。


《迷惑なんかじゃないです。》

《……ホントに?》

《はい。私も達矢先輩とお話してみたいなと思ってました。》

《そうなの? そう言ってもらえると勇気を出して誘ってよかった。》


続く文字列に、胸の奥がジンと熱くなる。


《……先輩、さっきの、》

《あぁ、あれね。》

《はい……》

《忘れられない人がいるんだ。》

《忘れられない人?》


鼓動がさらに早く脈打って、たっちゃんの次の言葉までが、すごく長く感じられた。

たっちゃんの、忘れられない人って、誰?

そっと指を唇に這わせる。
期待したらダメだとわかっていても、胸の奥が熱くなるのをごまかせない。


《桜子ちゃんも、忘れられない人?》

《はい。》

《桜子ちゃんは告白はしないの?》

《勇気がなくて。達矢先輩は?》


告白を考えたことは正直何度もあったけれど。
勇気が持てなかった。
唯との関係を壊すことも、たっちゃんと友達でいられなくなることも。


《俺がずっと好きだったのは……、あ、ゴメン。また、》

《達矢先輩?》


チャットはそこで終わってしまって、呼びかけた名前だけが虚しく画面に移しだされたままだった。


第八話へ続く。


いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。