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Liar kiss*永遠の片想い*(第九話)

第八話はこちら。

9.嘘吐きな恋人たち

「……やっぱり、行かせたくないな」

三度めの同じ言葉を口にした蓮佑さんは、カウンターの中から複雑そうに笑った。

「ごめんなさい。でも約束で……」

「わかってる。でも、行かせたくない」

明日は土曜日。
小野さんの誕生日だ。

蓮佑さんに、嘘を吐いてまで出かけられなかったから、正直に話したのはいいけれど、頷いてくれない蓮佑さんに、私も困惑してしまった。

「……どうしても行かなきゃいけないのか?」

「それは、」

元々、そんなに気乗りはしてなかったけれど、してしまった約束を断るのも申し訳ない。

「だったら、俺も行く!」

「えっ? 蓮佑さんも?」

蓮佑さんと付き合うことを決めてから初めてわかったのは、蓮佑さんが意外に心配性でヤキモチ妬きだって事実。

「だって、心配だろ? その小野って男、結構しつこそうだし、ちゃんと俺の存在、わからせなきゃ。それに……」

ゴクリと息を呑み込んだ蓮佑さんは、カウンターから出てくると、私の頬に触れた。

蓮佑さんの呑み込んだ言葉が、容易に想像できるだけに胸がギュッと締め付けられる。

たっちゃんと亜弥さんが一緒だからだ。

蓮佑さんが心配なのは、小野さんの存在というより、たっちゃんが一緒だからなんだと思う。

「……わかった。ちょっと亜弥さんに話してみるから待っててね」

バッグの中からスマホを取り出すと、亜弥さんのメモリーを呼び出した。

あれから、亜弥さんとゆっくり話す時間もなくて、たっちゃんとの関係は聞けずじまいだ。
でも、社内で何度か見かけた、二人が仲よさ気に話す姿。
それがきっと、二人の今の関係のような気がする。

たとえば、もしもまだ二人が付き合っていなかったとしても、近い未来、そうなるような気がする。

『もしもし、美紀ちゃん?』

「……うん、ごめんね、今少し話せるかな?」

『私も、明日のことで美紀ちゃんに連絡しようと思ってたところだったの』

心配そうに見つめる蓮佑さんに微笑むと、私は席を立ち上がって、店の外に移動した。

「……ごめんね、今ちょっと出先だから、あまりゆっくりと話せなくて」

『いいのよ、今週はお互い、仕事忙しかったもんね。それより明日、小野くんが車出してくれることになったから、順路的に私を迎えにきた後、美紀ちゃんや達矢くんのところに行くことになるかな』

「……そのこと、なんだけどね、あの……彼氏も連れて行っていいかな?」

『……え? 彼氏って、まさか、美紀ちゃん、彼氏できたの!?』

「詳しいことはまた話すから、」

『うん、わかった! じゃ、美紀ちゃんの部屋の前でいいのかな?』

「うん、そうしてもらえると助かる」

『……小野くん、落ち込むだろうな。美紀ちゃんに彼氏できたの、知ったら。じゃ、また明日ね!』

「うん、おやすみなさい」

亜弥さんとの電話を切った私は、今にも雨が降り出しそうな空を見上げて、消え入りそうなほど小さくため息を吐いた。

店の中に戻ると、すぐに絡む蓮佑さんとの視線。
OKの意味を込めて、小さく頷くと、蓮佑さんは笑顔になった。

「……明日の朝、十時なんだけど、うちまで来れる?」

「一人じゃ、起きられないかも。美紀の部屋に泊めてくれない?」

悪戯っぽく揺らめいた瞳に、心臓の鼓動がドクンと音を奏でた。

「……えっと、それは……」

付き合っていれば、いつかはそういうことになる。
わかってはいても、まだ蓮佑さんが“美紀”と呼び捨てにすることさえ、慣れていないというのに。

「……何もしないから、泊めてよ、美紀の部屋」

「うん、わかった」

“何もしない”と強調するように言った蓮佑さんに、私も頷くしかなかった。

結局、店の閉店まで蓮佑さんに付き合うと、もうほとんど人通りのない深夜になってしまった。

荷物を取りに、立ち寄った蓮佑さんのマンション。
エントランスも静かで人の出入りもなく、車で一人待っているのが、心細く感じる。

緊張で、手の平にかいた汗。
すぐに戻ってきた蓮佑さんが車に乗り込むと、さらに緊張感が増す。

「行こうか」

「あ、はい……」

シートベルトをしめた蓮佑さんは、私の頭をクシャッと撫でると、視線を前方に移して、ハンドルを握った。

蓮佑さんの部屋から、私の部屋までは、車でわずか数分という近距離。
来客用のスペースに車を停めた蓮佑さんは、車からおりると何も言わずに私の手を取った。

まるで、全身が心臓になってしまったんじゃないかと思うほど、身体がピクンと反応してしまう。

「……緊張、してる?」

「え? ……あ、そういうわけじゃ、」

クスッと笑った蓮佑さんは、エレベーターに乗り込むとさらにきつく私の手を握りしめた。

「何もしない方がいいのかな? それとも、美紀の期待に応えた方がいい?」

そう言って、悪戯っ子のように私の顔を覗き込む。

「……き、期待って! 私、別に、」

「本当に? 店出てからの美紀、そわそわしっぱなしだぞ?」

さらにクスッと笑われる。

「もう、蓮佑さんってば、ひどい!」

プーッと頬を膨らませて後ろを向くと、そのまま抱きしめられた。

「……俺は、ずっと待ってるから。美紀が俺だけを見てくれるようになるまで。それまでは、何もしない。約束する」

耳元で囁かれた声は低く甘くて、さりげない蓮佑さんの優しさに、胸がキュンと熱くなった。

ちゃんと、蓮佑さんのことを見なくちゃ。
付き合うと決めた以上、いつまでもたっちゃんのことを想ってるわけにはいかない。

エレベーターが到着すると、離れた蓮佑さんの服の裾を掴んだ。

「……美紀? どうかしたのか?」

心配そうに覗き込まれる。
近すぎる蓮佑さんの顔に、平静を装おうとしても、心臓の鼓動は素直に反応してみせた。

「……私なら、平気だから」

「え……? 美紀?」

「だから、期待に応えて、よ……」

蓮佑さんは驚いて目を見開くと、何も言わずに私の手を取った。

部屋の鍵を開ける手が、緊張で震える。
やっとの思いでドアを開けると、ドアが完全に閉まるより早く、蓮佑さんに唇を塞がれた。

触れただけで、すぐに離れた唇。

「……無理しなくていい。言っただろ? あいつのこと、好きなままでいいって」

蓮佑さんの指が、私の頬に触れたとき、私は自分が泣いていることに気づいた。


順番にシャワーを浴びると、寄り添うようにソファーに腰をおろす。
静かな空間。
息を呑み込む音まで聞こえてきそうだった。

「少し飲もうか?」

「……うん、グラス持ってくるね」

一本だけ、蓮佑さんの店から持ってきてくれたワインを開ける。
深紅色の液体がグラスに注がれると、二人で乾杯をしてグラスを口にした。

テーブルの上にグラスを戻すと、肩を抱き寄せられる。

蓮佑さんの腕って、いつも温かい気がする。
そっと目を閉じると、蓮佑さんの手が、私の髪の毛を何度も掬った。

こんな風に穏やかな気持ちでいられるのは、蓮佑さんだからなのかな?
居心地のいい温かさと優しさ。

しばらく頭を預けていると、聞こえてきた蓮佑さんの寝息。
チラッと視線だけ移すと、優しい表情で眠っていた。

「蓮佑さん、ここじゃ疲れも取れないから、ベッドに行こう?」

「ん……」

蓮佑さんの肩を軽く突いてみても、寝ぼけてるような相槌をするばかりで、反応がなかった。

仕方なく、蓮佑さんをソファーに寝かせると、ベッドから持ってきた薄いタオルケットを掛けてあげる。

フローリングの上に座り直した私は、まだワインの残っているグラスを傾けながら、蓮佑さんの寝顔を見つめた。

蓮佑さんって、意外に睫毛が長いんだ。
鼻も高いし。
カッコいいだけじゃなく、強さから生まれた優しさ。
蓮佑さんのファンが多い理由もわかる気がする。
蓮佑さんの鼻をつまんで、その後頬に触れてみる。
さらにその指を、蓮佑さんの唇に滑らせた。

こんな自分を好きだと言ってくれる人を大切に、か。

たっちゃんの言葉が、脳裏にこびりついたまま離れなかった。

蓮佑さんの傍から立ち上がって、Twitterをチェックする。
そこには、この間のようなチャットのお誘いがたっちゃんから届いていた。

気持ちが揺れるとわかっていても、たっちゃんから誘われれば、それを“受けない”なんて選択はできなかった。

メッセージの送信時間は、今から一時間以上も前。
もう、眠っちゃったよね。
これが最後。
眠っていたら、このまま諦めよう。

そう思いながらパソコンを立ち上げた。

始める前に、カーテンを開けて外を覗くと、たっちゃんの部屋だと思われる場所は、まだ明かりがついていた。

もしかして、ずっと待っててくれた?

そんなわけ、ないよね……。

だいたい、この間偶然にあの部屋の明かりがついていただけで、あそこがたっちゃんの部屋だとは限らない。

自問自答しながら、それでも期待を込めてクリックしてパスワードを入力してみる。


《達矢先輩、まだ起きてますか?》


蓮佑さんのことを起こさないように、静かにキーボードを叩いたけれど、画面はしばらく何も変わらなかった。

残りのワインを口にしながら、しばらく変わらない画面を見つめる。
グラスのワインが空になって、諦めて立ち上がろうとしたとき。


《よかった、今夜は桜子ちゃんと話せないかと諦めてた。》


画面が変わるのが視界の片隅に入ってきた。

慌てて、私もパソコンの前に腰を下ろし、キーボードに指を置く。


《私も、なんとなく達矢先輩と話したい気分でした。》

《桜子ちゃんも? よかった。この間強引に終了しちゃったから、もう話してくれないかと思ってた。》


ずっと、気にしていてくれたの?
胸の奥が、キュンと疼く。


《この間、何かあったんですか?》

《うん、ちょっと昔の彼女が来ていてね。》


偽りない事実を話してくれるのは、私が顔も知らない後輩の“桜子”だから。

躊躇ったのはほんの一瞬。
“桜子”じゃなきゃできない質問を投げ掛けた。


《達矢先輩の忘れられない人って、その彼女さんですか?》


はっきりと、唯には“もう付き合えない”って言ったんでしょう?
だったら……誰なの?

瞬きすることさえ忘れて、じっと画面を凝視する。


《彼女じゃない。》

《そうなんだ?》

《うん……彼女の、友達なんだ。》


唯の、友達?
それって、誰のこと?
キーボードの上で、僅かに震えた指。

ソファーの蓮佑さんを見つめると、小さなうめき声をあげながら、伸びをして起きたところだった。


《ごめん、また》


それだけ打って、すぐに震える指でログアウトをクリックする。

「……ネットでもしてたの?」

ゆっくりと近づいてきた蓮佑さんが画面を覗き込もうとした瞬間、パソコンの電源が落ちた。

「うん、ちょっと眠れなくて。買い物しようかなっていろいろ見てたの。ごめんね、うるさかった?」

「……いや、うるさくはなかったけど……」

真っ暗に変わった画面をチラッと見た蓮佑さんは、不思議そうな顔をしながら、私を抱き寄せた。

「一緒に、寝ようか?」

「え?」

思わず蓮佑さんのことを見上げてしまう。

「……ごめん、嘘うそ。冗談だから、忘れて? ごめんな」

蓮佑さんは困ったように笑って私から離れると、そのまま元いたソファーに横たわって、タオルケットを掛けてしまった。

「蓮佑さん?」

その場から蓮佑さんの名前を呼んでみるけれど、起きているはずなのに、戻ってこない返事。

仕方なくベッドに腰を下ろすと、静かな部屋にギシッとベッドのスプリング音が響く。
さっきのように、蓮佑さんの寝息は聞こえてこなくて、急な不安に襲われた。

もしかして、嘘を吐いてしまったこと、気づかれた?

その背中に、確認する勇気も持てなくて、リモコンで部屋の明かりを消す。

私ってば、最低だ。
すぐ近くに蓮佑さんがいるのに。

たっちゃんが何て言ったって、蓮佑さんと付き合うことを決めたのは、最終的には私自身だ。

カーテンから僅かに差し込む街頭。
少し開いたカーテンは、さっきまで私が窓の外を見ていた事実を隠すことなんてできなかった。

それは、何よりたっちゃんを想ってゆえの行為だってこと、蓮佑さんなら、誰よりも強く感じてしまうだろう。

ベッドの上に横になると、もう一度スプリング音がギシッと軋む。
蓮佑さんのいるソファーに背を向けると、そっと目を閉じた。

たっちゃんの忘れられない人って?

中断してしまったチャットが気になって、目を閉じてもとても眠れそうになんてなかった。

唯の友達……?

もちろん、それがイコール私ということにはならないけれど、期待せずにはいられない。

思い出す、たっちゃんの唇の熱。
少しでも、好きでいてくれるからキスしたの?

それとも、あのときと同じように。

“美紀を友達以上には想えない”

そう、言うの……?

過去の胸の痛みが、再びくすぶり始める。

「……美紀、もう寝ちゃった?」

不意に背後から聞こえてきた蓮佑さんの声。
ビクンと、心臓の鼓動が跳ね上がるのがわかった。

心の中が、たっちゃんのことでいっぱいになっているのに、蓮佑さんの方を振り返ることなんてできなくて、ただギュッと目を閉じる。

背中越しでも、蓮佑さんがこちらに近づいてくるのがわかった。

「……美紀、」

私の名前を呼んだかと思うと、ベッドサイドに座り込んだ蓮佑さん。

答えることができなくて、背中に蓮佑さんの視線を感じながら、心を無にした。

「……美紀」

もう一度私の名前を呼ぶ蓮佑さんの声が、胸に痛いほど入り込んでくる。

「達矢のことなんて、早く忘れろよ?」

切なげな蓮佑さんの言葉が耳に響いて、静かな涙が枕を濡らした。

それは蓮佑さんの本音だから……。
たっちゃんのことを好きなままでいいって言ってくれたけれど、いつまでもその言葉には甘えていられない。
甘えてちゃ、いけないんだ。

静かに寝返りを打つと、傍にあった蓮佑さんの手をそっと握りしめる。

「……好きよ、蓮佑さん」

目を閉じたまま告げると、繋がれた手に、力がこもるのがわかった。

蓮佑さんのことを好きな気持ちに嘘なんてない。
たっちゃんのことは、その愛しさも痛みも、いつか想い出に変わってくれる。


第十話へ続く。


いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。