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目を閉じるまで、この想いはずっと抱えたままで
生まれた瞬間から、生命の火が消える瞬間まで、時間は早くなったり遅くなったりすることなく、一定のリズムで過ぎていく。
それなのに、楽しいことは時間が経つのが早く感じるし、辛いことは反対に遅く感じてしまうから不思議だ。
そんな生きていく日々の中で、起こる事柄について意味を考えたことはあっただろうか?
たとえば、マラソン大会。
きっと誰もが学生時代に経験してきたこと。
あまり好きではなかった人から見たら、なんでこんなことしなきゃいけないの? と考えることはあっても、その答えを学校の行事のひとつだからということ以外に、考えた人はあまりいないんじゃないだろうか?
出会うこと、出会う人、いろいろなものにきっとそれなりに意味があるとは思っている。
だけど、その意味について日頃あまり深く考えることなんてなかった。それが自分の通る道だと信じて疑わなかったし、それを回避することなんてできず、受け入れるしか選択がなかったからかもしれない。
書くことをずっと続けてきた。
それは私にとってはもうライフスタイルだ。
日々更新を続けていることも、そのことについて今、書き続ける意味を考えて書くことはあまりない。
だけど、書き始めた意味を考えてみるとやっぱり違って。
「たったひとりの君に」伝えたい言葉があったからだった。
君に出会うことができて、私たちが歩いてきた道があって、私たちが離れる運命にあったから、私は書き始めた。
君に出会うことができなかったら、こうやって書いていたかもわからない。
君に伝えたい言葉を、ちゃんとそのときに伝えられていたら、書いていたかもわからない。
こうやって、日々更新を続けていくこと。
そこに今は意味を感じなくても、5年後、10年後に私が続けてきたことの意味を感じるときがくるかもしれない。
そんなときがやってくるのかどうかなんて、わからないけれど、それでもいいんだよ。
伝えたい想いは、心にずっと残っているから。
生命の火が消えるまではずっと、そこに意味があったかどうかなんて、わからないんだ。
あのとき伝えたい言葉があった君に、私はいつだって直接メッセージを送ることはできる。
だけどそれをしないのは、もう私たちが歩く道が交わらないとわかっているからだ。
だから私は、今日も言葉を綴る。
届かない想いを。
suzucoさんのこちらのnoteを私なりにリライトしてみました。
参加しています。
#100日間連続投稿マラソン に参加しています。
現在、95/100
2020.10.9
いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。