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Liar kiss*永遠の片想い*(第六話)

第五話はこちら。

6.すれ違う想い

明け方に切れたエアコンのタイマーのせいで、暑くていつもより一時間も早く目覚めた朝。
ぐっと大きく背伸びをして、ベッドから起き上がる。

あれから数日。
Twitterを開く気持ちにはなれなくて、スマホやパソコンをいじっては、何もせずに寝てしまう毎日の繰り返しだった。

まだ完全に梅雨明け宣言もしていないのに、空梅雨なのか真夏のような雲が広がる空。
夏はまだまだこれからが本番だというのに、うんざりだ。
カーテンを開けると、差し込む朝日が眩しくて目を細める。

今日から七月。
たっちゃんが、本社に異動してくる日だ。

人事発令が発表された昨日の夕方。
亜弥さんは、たっちゃんから何も聞かされていなかったみたいで、大騒ぎだった。
どこまでたっちゃんのことを本気なのかわからないだけに、喜ぶ亜弥さんを見ているのがちょっと辛い。

キッチンでコーヒーを準備してからソファーに座ると、少しの間ニュースなどをチェックしてから、数日ぶりにTwitterを呼び出した。

逃げてたら、ダメだよね。
皆実が背中を押してくれた大切なチャンス。
誰にもとがめられることなく、たっちゃんのことを想っていられる場所は、もう此処しかないんだ。

あの体育館でも、会社でも、私はこの想いをさらけ出したらいけない。

フォローしてるのも、当然たっちゃんだけだから、数日のブランクがあっても、そんなにツイートはない。
一分足らずで、たっちゃんのツイートをすべて読むことができた。


“ひだまり、もちろん知ってるよ。桜子ちゃんは行ったことないのかな? 俺はちょうど今日、友達とひだまりでコーヒーを飲んできたところです。”


たっちゃん、私のツイートのあとに、すぐ返事をくれてたんだ。

些細なことが嬉しかったのと同時に、たっちゃんにとって、“桜井美紀”はどこまでいっても、友達という存在でしかないんだと思い知らされるツイートだった。

じゃあ、あのキスはなんだったんだろう。
何度考えても、その答えは導きだされることがなかった。

余計なことを考えるとはやめよう。
考え出したら、会社で会っても普通にふるまえなくなる。
頬を自らピシャリと叩く。

私たちは、ただの友達。
それは誰よりも、たっちゃんが望んだことなんだから。

もうそろそろ、準備しなくちゃ。
ぬるくなったコーヒーを一気に飲み干して、ソファーから立ち上がる。

この間買ったばかりの、真新しいスーツに袖を通すと、まだ出社まで時間はあったけれど、何となく気持ちが落ち着かなくて、いつもより少し早く家を出た。

容赦なく肌に突き刺す太陽の光。

階段から道路を見下ろすと、ちょうど反対側のマンションのエントランスから、たっちゃんが出てくる姿が飛び込んできた。

……嘘。

信じられなくて、思わず擦った目。
次の瞬間には、考えるよりも早く、足が動き出していた。

「……たっちゃん!」

少し先を歩き始めた背中に声をかけると、たっちゃんはゆっくりと後ろを振り返った。

「……え? 美紀?」

少しだけ、驚いた表情をしたたっちゃんは、すぐに私の住むマンションを指さした。

「まさか、美紀、そこに住んでる?」

「うん……その、まさか」

誰が、こんな偶然を予想しただろう。

「そうだったんだ」

「……たっちゃん、もしかして、引っ越してきたの?」

「あぁ、前住んでた部屋だと、本社まで時間かかるからな」

「……そう、なんだ」

たっちゃんの隣に並んで、私も歩き始めた。

「美紀がこの辺りに住んでるのは、蓮佑さんからちらっと聞いてたけど、まさか目の前だったなんてな」

「うん、私もびっくりした」

最近は、こんな小さな偶然に驚かされてばかりだ。
高校を卒業してから、この間の飲み会まで、偶然に会うことすらなかったのに。

他愛もない話をしながら、すぐにたどり着いた駅。
いつもより、三本くらい早い電車に乗れそうとはいえ、満員電車を避けるサラリーマンで、それなりに混み合うプラットホーム。
滑り込んできた電車に、もみくちゃにされながら乗り込むと、反対側のドアまで押し込まれた。

背中がドアの手摺り部分にあたる。
たっちゃんは、私の目の前で、必死に私との空間を保とうと踏ん張っていた。

それでも、最後に乗り込んできた集団のせいで、呆気なく近づいた二人の距離。

「……美紀、大丈夫か?」

「うん、大丈夫」

首を小さく縦に動かすと、カーブに差し掛かった電車が大きく揺れる。
その瞬間、私とたっちゃんの身体が完全に密着した。

口紅やファンデーションがつかないように、何とか離れようと試みていると、たっちゃんの手が、私の頭に回される。

「……このままで大丈夫だから。力抜いていいよ?」

「え? でも……」

「もちろん、美紀が嫌じゃなかったらだけどな?」

たっちゃんの一言で、私は身体の力を抜くと、たっちゃんに支えられているだけになった。

たっちゃん、ずるいよ。
こんな風にされたら、もっと好きになっちゃう。

最初は頭を支えていたたっちゃんの手が、ゆっくりと下に下りてきて、背中に回されると、ここが電車の中だってことを忘れてしまいそうになった。

身体中の全部が、心臓になってしまったんじゃないかと思うほど、全身がドキドキして。
このまま、電車が止まってしまえばいいのにと、そんな不謹慎なことが頭の中を過ぎった。

「……美紀、蓮佑さんと付き合うのか?」

たっちゃんのことを見上げると、吸い込まれてしまいそうなほど、真っすぐに見据えられる。

さらにドキンと脈打つ心臓の鼓動。

「……私は、」

蓮佑さんには、たっちゃんを好きなままでいいからって言われたけど、蓮佑さんとだから、そんな気持ちで付き合うことだけは、どうしてもできそうになかった。

たっちゃんに再会する前の私なら、きっと、それもできたのかもしれないけど。

「……多分、付き合わないと思う」

「そっか」

たっちゃんの顔が、ちょっとだけ安心したかのように見えた。

「……たっちゃんは?」

「え? 俺?」

「うん……唯とか、その、亜弥さんとか……」

付き合う気持ちはあるの?
どちらかの想いに、応えるつもりはあるの?

たっちゃんの答えを聞くのが怖いのに。

「……唯ともう一度、やり直すつもりはない。
伊東さんのことは、俺もまだよくわからないからな」

「そっか」

唯とは、付き合うつもりないんだ。
その答えに、安心している自分が、すごく嫌な女に思えてしかたなかった。

「……それに、」

「え?」

「今ちょっと、気になる女の子がいるんだ」

「そう、なんだ」

気になる女の子?
それって、誰のこと?
私の知ってる人?
支店の女の子?

結局、あの頃に立ち止まったままなのは、私だけ。
聞きたいのに、それ以上聞くことができなかった。


電車を降りると、やっとたっちゃんの腕の中から解放される。

満員電車だったとはいえ、それなりに冷房の効いていた車内。
降りた途端のむっとするような空気に、思わず立ち眩んでしまう。

「……おい、大丈夫か?」

「あ、大丈夫。ごめんごめん」

ハンカチで風を送って、笑顔を作ってみせる。

あんな風に抱きしめられていたから、緊張しちゃったのかもしれない。
まだ、いつもより早く脈打つ心臓の鼓動は、収まりそうにはなかった。

差し出されたたっちゃんの手には触れずに、一歩先を歩き始める。
たっちゃんは手を引っ込めると、急ぎ足で私の隣に並んだ。

「……美紀がいて、よかったよ」

「え?」

「……いや、本社ってさ、支店にいると何て言うか……敷居の高い感じ? 心細いからさ」

あどけない表情は、出会ったころと全然変わらなく、さらに私をドキドキさせるには十分すぎるほどだった。

「普通よ、別に本社ってだけで。お偉いさんたちも、会議のとき以外は、自室にいることが多いし」

「……だよな。でも、やっぱり美紀がいるってだけで、かなり心強い」

「……ありがとう」

別に褒められてるわけでも、好きだと告白されたわけでもないけど、たっちゃんに少しでも頼りにされているというだけで、嬉しくて頬が緩んだ。


いつもより早く到着した会社は、当然のごとく静まり返っていた。

たっちゃんの配属される業務部に案内するものの、デスクが用意されているだけで、まだ誰も出社していなかった。

「……じゃ、もう少ししたら誰かくると思うし、私、今週お茶当番だから行くね?」

たっちゃんに手を振って、そのフロアーを出ようとしたとき、入れ代わるようにエレベーターから亜弥さんが降りてきた。

「……おはよう。美紀ちゃん、今日は早くない?」

「あ……うん、お茶当番だし。朝一番でチェックしたい請求書もあって……。亜弥さんも、いつもより早いんじゃない?」

たいてい、駅で会うことが多い亜弥さん。
少し頬を赤らめながら、たっちゃんのいる方を一瞥した。

「……達矢くん、初日だし、早めに出社するって言ってたから、私も早くきちゃった」

「あ……そう、なんだ。もしかして、連絡取り合ってるの?」

「うん。実はね……美紀ちゃんにだから言うけど、この間の飲み会のとき、連絡先、教えてもらって……時々ね」

亜弥さんのあまりにも幸せそうな笑顔に、ズキンと胸が痛んだ。
たっちゃんの方をちらっと見ると、身の回りの荷物を整理している。

「……そうなんだ」

やだ。私ってば……。
ひょっこりと姿を現した、黒いモヤモヤとする感情。

亜弥さんのこと、よくわからないとか言いながら、知らないうちに仲良くやってるんじゃない。

「……じゃ、頑張ってね!」

そんなこと、これっぽっちだって思えないのに。

「うん! ありがとう」

笑顔が引き攣らないうちに慌ててエレベーターに乗り込むと、急いで“閉”ボタンを押した。

閉まったエレベーターのドア。
そこにうつった自分の姿を見て、さらに落ち込む。

亜弥さんの表情は、昔の唯と同じだった。
私に、たっちゃんを好きだと打ち明けてきたときの唯と。

たっちゃんは……?

唯とは……、やり直すつもりはないって、はっきり言ってたけど、亜弥さんとなら、まんざらでもない感じなの?

亜弥さんと、付き合う気持ちはあるの?
よくわからないって言ってたけど、気になる女の子って、亜弥さんのことじゃないの?

あの飲み会のとき、連絡先を交換してたなんて。
そんなこと、たっちゃん、一言も言ってなかった……。

これ以上考えたくなくて、首を横に振ると、エレベーターを降りた。


◇◇◇◇◇

朝から伝票と請求書のチェックに追われ、やっと一息ついたのは、午後一時半を過ぎた頃。
売れ残りのサンドイッチを買って、社員食堂の窓際の席に腰を下ろした。

お昼時間をとっくに過ぎた食堂は、閑散としている。
静かな空間。
サンドイッチを広げて窓の外を眺めていると、テーブルの上に、コトンとひとつ、缶コーヒーが置かれた。

「……今から休憩なんて、ずいぶん遅いんだね」

そう言って、私の目の前に腰を下ろしたのは、この前の飲み会で会った、銀座中央支店の小野さんだった。

「……あ、……お疲れ様です」

この間は、お互い多少飲んでいたとはいえ、何も言わずに逃げ出してしまったことを思い出す。

なんか、ちょっと気まずい雰囲気。

「……そんな困った顔しないでよ? 傷ついちゃうからさ」

「べ、別に、困った顔なんてしてないですから」

「そーお? ならいいけど」

小野さんはニッコリと笑うと、ほお杖をついて私を見据えた。

「あーあ。俺も、異動願い出せばよかったな」

「……え?」

「本社勤務なら、毎日美紀ちゃんのこと、口説けるのに」

どこまでが冗談なのか、本気なのか、小野さんはクスッと肩をすぼめてみせる。

「……もう、何言ってるんですか」

「いや、結構本気なんだけどな」

小野さんは缶コーヒーに口をつけると、私の手から食べかけのサンドイッチを奪って口に放り込んだ。

「ちょっ、小野さん!」

「……うまい! うまいな、美紀ちゃんの食べかけのサンドイッチ」

「もう、信じられない!」

「いや、悪い悪い。実は俺もまだ昼メシ食べてなかったんだよね」

残りの一切れを、奪われる前に食べようとすると、物欲しそうにそれを見つめられた。

「……まだ、あとひとつ売れ残ってましたよ」

売り場に視線を向けると、ちょうど他の人がその最後のひとつを手に取ったところだった。

「あーあ、売れちゃった。俺、餓死しちゃうかもしれないな」

悪戯っ子のような笑顔で、私の手にあるサンドイッチを見つめられる。

ふーっとため息を吐いて、それを半分に割ると、大きな片割れを小野さんに差し出した。

「……マジ? いいの?」

「だって、食べてないんでしょう? 私のせいで、餓死されたなんて言われたら困るし」

パーッと笑顔になった小野さんは、すぐにそれを口に放り込む。

「いや、やっぱり本社に来てよかったな。達矢に届け物にきたんだけど、あいつの顔見るより、美紀ちゃんの顔を見る方が何倍も幸せだ」

饒舌な小野さんの言葉を、適当に聞き流しながら、私もサンドイッチを口にすると、

「……悪かったな。もう二度と呼び出さねーよ」

いつからそこにいたのか、私の後ろには不機嫌そうな顔をしたたっちゃんが立っていた。

「……ちっ、なんだよ、せっかく困ってると思って、届けてやったのに」

小野さんが封筒を差し出すと、それを受け取ったたっちゃんは、私の方を見向きもせずに、食堂を出て行ってしまった。

「……なんだよなー、あの態度。せっかく届けてやったっていうのに」

「あ……うん」

見えなくなってしまったたっちゃんの背中。
すぐに追いかけたい衝動に駆られる。

いつから近くにいたんだろう?
どう思った……?

なんて、なんとも思ってくれるわけ、ないよね。
この間はたまたま、友達として助けてくれただけ。

「それよりさ……美紀ちゃん、スマホ、持ってる?」

「え? あ、はい……」

何の疑いもせずにバッグの中からスマホを取り出すと、ひょいっと小野さんに取り上げられた。

それをササッと操作したかと思うと、すぐに返される。

「俺の連絡先入れておいたから、いつでも連絡ちょうだいね! 連絡くれなかったら、毎日本社の前で待ち伏せしちゃうから」

そう言った小野さんは、残りの缶コーヒーを飲み干すと、手を振って食堂を出ていった。

「……ちょっ、小野さん!」

急いでいたのか、小走りで出ていった小野さんの背中はすぐに見えなくなる。

もう、強引なんだから……。

戻されたスマホを確認すると、小野さんの番号どころか、住所やプロフィールまで埋まっていた。

……あれ、もうすぐじゃない?

入力されていた小野さんの誕生日。
食堂の端っこに掛けられていたカレンダーを見ると、今週の土曜日だった。

小野さんのプロフィールには気づかなかったふりをしてスマホをバッグの中に戻すと、私も食堂を後にした。


第七話へ続く。


いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。