見出し画像

Liar kiss*永遠の片想い*(第十一話)

第十話はこちら。

11.悪戯な運命

夕飯までみんなで食べて、小野さんに送り届けてもらったときは、もう九時を少し過ぎたころだった。

仕事あるからと、一番最初に車をおりた蓮佑さん。
道順的にその後皆実を下ろすと、次は私とたっちゃんだった。

二人で小野さんの車が見えなくなるまで見送ったけれど、どちらからも、“おやすみ”も“バイバイ”も言い出せなくて、ぼーっと空を見つめる。

「……美紀、あの、さ」

沈黙を破ったのは、たっちゃんだった。

一瞬、世界中の時間が止まってしまったんじゃないかと思うほどの静寂に包まれる。
ドキン、と高鳴り出した心臓の鼓動は、愛しさと切なさを連れてくる。

見つめあった刹那、自然と閉じた瞳と、重なり合った唇は、ほぼ同時だった。

「……たっちゃん?」

唇が離れると、切なげな目で見据えられる。

「蓮佑さんと、幸せにな」

そう言ったたっちゃんは、観覧車をおりたときのように、一度も振り返ることなく、マンションの中に入っていってしまった。

たっちゃんの残した言葉が、何度もリフレインする。

今のキスは、どうして……?
少しでも、好きでいてくれるから、キスしたんじゃないの?

もうとっくに見えなくなってしまったたっちゃんの背中。
涙が溢れ出して、止まらなかった。

どうやって歩いてきたのかもわからないほど、おぼつかない足。
真っ暗な部屋の中に入ると、電気をつける気力もなくて、ベッドへとダイブする。

観覧車をおりた後、蓮佑さんはまるで観覧車に乗らなかったかのように、そのことには触れなかった。
望んだことではなく、不可抗力だったとしても、二人で乗らない選択肢はあったはず。
たっちゃんが、私の手を引いてくれたから乗ったわけじゃない。
そこには確実に私自身の意思も存在していた。

触れたばかりの唇。
聞きたかったのは、他の誰かと幸せになれよ、なんて残酷な言葉じゃない。
欲しかったのは、ごまかしのキスなんかでもない。

ベッドに俯せになったまま、ぼーっとしていると、バッグの中のスマホが鳴り出す。
メロディーだけでわかるその相手は、今一番話したくない蓮佑さんだった。

それでも、出ないなんてできない。
出なければ、また蓮佑さんのことを不安にさせてしまうだけだ。
すぐにバッグから取り出して、通話ボタンをタップした。

『……美紀?』

躊躇いがちな蓮佑さんの声。

「うん、」

『もう、着いたの?』

「……うん、ちょっと前に着いたところ。これからシャワーでも浴びようかなって思ってた」

蓮佑さんが知りたいのは、私が一人かどうかってこと。
私に、たっちゃんへの気持ちが残ってる限りはずっと、蓮佑さんに付き纏うであろう不安。

まだシャワーを浴びるつもりなんてなかったけれど、早くこの電話を切り上げたかった。

『そっか、ごめんな。ちゃんと帰ったならいいんだ。本当は俺が送ってやりたかったけど』

「……気にしなくて大丈夫よ。蓮佑さん、仕事があったんだもん。私なら、大丈夫だから」

『……うん、』

申し訳なさそうなテンションの蓮佑さんの声。

「ほら、仕事中でしょ? しっかり働いてよね、蓮佑さん!」

『……あぁ、サンキューな。美紀も、早く寝るんだぞ?』

「うん、おやすみなさい」

『……おやすみ』

努めて明るく言ってから、電話を切った。

そのままもう、誰とも喋る気にはなれなくて、スマホの電源を落とすと、ベッドサイドに放り出す。

もう一度ベッドに横になると、ずっと気を遣っていたせいか、重くなる瞼。
何も考えたくなくて、逆らうことなく閉じた。


目覚めたのは、何度もしつこいくらいに鳴らされたインターフォンの音でだった。
一瞬、収まったその音に、自分の部屋じゃなかったのか、安心していると、またしつこいくらいに鳴り始める。

ちらっと見た時計は、既に日付も変わるころ。
あのまま、すっかり眠っちゃったんだ。
目を擦りながら、ベッドから降り立つ。

……え? たっちゃん?

確認したモニターに、映し出されていたのは、ジャージ姿のたっちゃんだった。

「……ごめん、ちょっと待ってて。今開けるから」

こんな真夜中に、一体何があったんだろう。
慌てて玄関のドアを開けると、

「……よかった、美紀」

たっちゃんにきつく抱きしめられた。

「え? たっちゃん? どうかしたの?」

何が起こったのかよくわからなくて、ただきつく抱きしめられたまま。

「……皆実ちゃんが、何度美紀に電話しても出ないって、心配して俺に電話くれたんだ」

「あ、ごめん。電源、切っちゃってただけなんだ」

「……そう、だったんだ。いや、ごめん。皆実ちゃん、美紀にひどいこと言っちゃったって、だから、」

何かあったんじゃないかって、心配してわざわざ来てくれたの?

たっちゃんが解放してくれた腕を、不意打ちに引っ張って手繰りよせた。

「……美紀? どうしたんだ?」

耳元で聞こえてきた、たっちゃんの声。

「……友達、でしょ?」

“友達、だろ?”

あの頃のたっちゃんの言葉を思い出す。

突然、ゴロゴロと大きな稲光を放った空。
バタンとドアが閉まると、二人の唇が重なりあった。

「……あれが、全ての間違いだったよね」

「美紀?」

あの日は、どうかしてたんだ。
ただ、たっちゃんのことを、放っておけなかった。
バスケ選手としては、致命的な怪我を負ってしまったたっちゃんを、一人にしておけなかった。

「……“友達”だって言ったのは、たっちゃんだよ? “友達でいたいから忘れろ”って言ったのは、たっちゃんだよ?」

「美紀、俺は、」

今度は、背伸びをして私から唇を重ねる。

“友達”だなんて、そんな都合よい言葉を、もう二度とたっちゃんから聞きたくはない。

「……蓮佑さんと、幸せになるから」

それは、たっちゃんへの決意表明でもあり、私自身に言い聞かせた言葉でもあった。

友達以上に想えないなら、中途半端に優しくしないでよ。

精一杯の力を込めて、たっちゃんをドアの外に追い出した。

ガチャリと鍵を掛けたドア。
少しして、たっちゃんの足音が遠ざかるのが聞こえてきた。
その場に座り込みたいほどの頭痛に襲われる。
やっとの想いで踏み出した足。
カーテンから外を覗くけれど、たっちゃんの姿は見えなかった。

どんどんと強くなるばかりの雨音。
窓に激しく打ち付けるような横殴りの雨。
ベッドサイドに放り出したままのスマホに電源を入れると、皆実のメモリーを呼び出す。

皆実が昼間言っていたことは、もちろん正しいと思う。
私が唯に、きちんと意思表示できていればよかったんだ。
親友の彼氏を好きになっちゃっただなんて、ひどいって言われたとしても。

傷つくのが怖かっただけなんだ。
唯を傷つけたくないだなんて言っておきながら、私自身が、誰よりも怖かっただけ。

『……もしもし、美紀! どうかしたの? 心配してたんだよ』

「あ、ごめんね。さっき、たっちゃんから聞いて……。電源、切ってただけなんだ」

『もう、私、昼間美紀の気持ちも考えずに、ひどいこと言っちゃったから……』

よほど心配してくれていたのか、半分涙声の皆実。
申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「……ねぇ、今から皆実のところ、行ってもいい?」

『もちろん! ちょっとコンビニ行きたかったから、すぐに迎えに行くよ。ゆっくり話そう?』

「うん、ありがとう。待ってるね」

皆実との電話を切ると、私は大急ぎで支度を始めた。

皆実が迎えに来てくれた時は、一番雨がピークの時だった。
マンションのエントランスまで下りると、ちょうど到着した皆実が、入口まで横付けにしてくれる。
濡れないように、皆実の車に乗り込んだ。

「……ごめんね、こんな夜中に迎えにきてもらっちゃって」

「何言ってるのよ。そんなこと、今さら気にする関係じゃないでしょ?」

シートベルトを締めると、静かに走り出した車。
一瞬だけ、たっちゃんの部屋の方を仰ぐけれど、もう眠ってしまったのか、電気はついていない。
もっとも、私の思ってる部屋が、たっちゃんの部屋であれば、だけど。

「……昼間は、美紀の気持ちも考えずに、ひどいこと言っちゃってごめん」

一番最初に停まった信号のところで、皆実に頭を下げられる。

「皆実が謝ることじゃない。それに、本当のことだから」

誰がどうみたって、私が悪い。
誰も傷つけたくないなんて、綺麗事言うなら、最初からきちんと友達のままでいるべきだった。

私の気持ちがしっかりとしていれば、あの時のたっちゃんと、友達以上の領域に踏み込むことはなかったはず。

「……蓮佑さんとは、このまま、」

「もちろん、付き合うよ」

その意思は変わらない。
蓮佑さんの手を取った瞬間から。


◇◇◇◇◇

皆実と二人でいる時間は、自然体の自分でいられる。
突然泣き出しても、突然笑い出しても、皆実だけはずっと受け入れてくれると信じているから。

コンビニで、たくさんのビールとワインを買っておいてくれた、皆実の優しい嘘に気づく。
コンビニに用事があるなんて、私に気を遣わせないための口実。
さりげない優しさでも、今夜はとことん泣けてしまいそうだ。

「そっか、蓮佑さん、そんな風に言ってくれたんだ」

「うん……」

蓮佑さんと付き合うことになったいきさつを、皆実にも話す。

本当だったら、蓮佑さんの、その優しさに縋るべきじゃなかったのかもしれない。
その優しさに、甘えるべきじゃなかったのかもしれない。

「……どうして、恋愛ってこんなにも苦しいんだろうね」

「うん、」

「大人になれば、もっと上手に恋ができると思ってたんだけどな」

「でもさ、恋なんて上手になる必要ないんじゃない?」

何かを思い出したように、顔をあげた皆実。
空になったグラスに、スパークリングワインを注ぐ。

「上手くなる必要ないの?」

「うん。恋なんて、いくつ重ねても全然上手くならない。上手くなってたら、きっとこんなに苦しい恋を選ばないでしょ?」

古賀さんのことを思い出しているのか、皆実の横顔はやけに淋しげだった。

皆実の言う通りだ。
いくつ歳を重ねても、恋だけは上手くなれない。

思い通りにならなくて。
素直に伝えられなくて。
苦しくても、切なくても、一度好きになった人を、簡単には忘れられない。
だけど、恋する気持ちを止めることなんて、誰にもできないから。

「……皆実、古賀さんとはどうするの?」

「まだ、決められないや。別れなきゃ、終わりにしなきゃって思うたびに、優しくされる。だけど、ダメだよね……」

「皆実」

今にも泣き出してしまいそうな皆実の頭を、あやすように撫でる。
ぽろりと、皆実の頬を伝ってテーブルを濡らす涙。
つられて、私も涙が零れてしまう。

「……もう、なんで美紀まで泣いてるのよ、」

「だって、」

少し呆れたように泣き笑いの皆実。
グラスのワインを飲み干すと、小さくため息を吐いた。

何を話していたのか、いつの間にか眠ってしまっていた私たち。
目を開けると、眩しいばかりの光がカーテンの隙間から覗いている。

大きく伸びをして、ベッドから起き上がると、コーヒーと、オムレツのおいしそうな香りが漂ってきた。

「皆実ってば、本当に私のお嫁さんにしちゃいたい!」

「はいはい、いつでも美紀の元へ嫁がせてもらいますよー」

いつもの台詞を皆実はさらっと流して、私に座るよう勧める。
どんなに飲んだって、皆実が手を抜くことはない。
まるで“昨日”なんて存在しなかったかのように、落ち込みも悲しみも引きずらない。

私も、皆実のような強さを見習わなきゃ。
一口コーヒーを啜ると、昨日の夜中とは打って変わったような青空を仰いだ。

ガールズトークに終わりなんてなくて、お昼近くなって、突然思いついて向かったのは、パスタ屋さん。

そこは、高校時代の私たちご用達だった雑貨屋さんの跡地に建った、まだ新しいお店だった。

学校帰りは、“ひだまり”で飽きもせずガールズトークを繰り返すか、その雑貨屋さんだったこの場所で、かわいいものを物色するのが大好きだった。

バレンタインの時期になると、店内の装飾はバレンタイン一色で、皆実や唯と、チョコレートを買いにきたことが、すごく昔に思える。

もう、あの頃の私たちには戻れないように、思い出の場所が、これからもこんな風に、ひとつずつなくなっていくのかもしれない。
そう思うと、それだけで少しセンチメンタルだ。

元々が雑貨屋だった店内は、“ひだまり”よりもだいぶこじんまりとしている。
数席しかないテーブル席はすでにいっぱいで、案内されたカウンターに腰を下ろそうと椅子を引いたとき、カツカツと近づいてきた女性が、ぽんと私の肩を叩いた。

「こんにちは、たしか、美紀さんよね?」

小さな女の子の手を引いて、微笑みかけられる。

思わず手の平に掻いた汗。

「忘れちゃったかな? 古賀恭子です。蓮佑の店で会った……」

「あ、いえ……、覚えてます」

緊張を隠すように、ギュッと手を握りしめた。

「美紀さん、蓮佑と付き合うことにしたんでしょう? 古賀から聞いたわ。そうだ、今度の連休、みんなでキャンプなんてどう? 去年も、蓮佑や達矢くんも一緒に行ったのよ。よかったら、あなたもご一緒に」

私の隣にいた皆実にも話し掛ける。
一瞬面食らった様子の皆実。

「……え? 私、ですか?」

「そう。確か一度、体育館でお会いしたことあったわよね? 古賀雄司の妻で恭子です。こっちは娘の真実子」

ニッコリと笑った恭子さんは、白い手をスッと皆実に向かって差し出した。

困ったように、私を一瞥した皆実だったけれど。

「……川崎皆実です」

そう言いながら、恭子さんの手を握った。

「じゃ、約束よ? キャンプなら大勢の方が楽しいし、詳しくは蓮佑に話しておくわ」

「あ、はい」

嬉しそうに笑った恭子さんは、私たちに手を振りながら、まだ小さな真実子ちゃんと一緒に出て行った。

「……皆実、大丈夫?」

「あ……うん、ちょっと驚いただけ」

苦笑いをして、皆実は椅子に腰を下ろす。

「……さっきの、多分ただの社交辞令だと思うし、気にしなくていいんだから、ね?」

「あぁ、キャンプのこと?」

「うん」

「……でも、もし本当に行くなら、誘ってもらっても、いいかな?」

え?

皆実の顔を見つめると、何かを決意したような、そんな清々しさを感じた。

「……ちょっ、そんなに心配しなくたって大丈夫よ、美紀。ただ、彼が家族を大切にしてるところを見たら、きっとこの関係にピリオド打てるような気がする」

「皆実」

「ほらほら、美紀はそんな顔しなくて大丈夫だから。それより、何食べる? 二つ取って、半分ずつにしようか?」

「……うん、そうだね。半分ずつにしよう」

そう言って、小さなメニューに視線を移す。

努めて明るく振る舞おうとする皆実を、直視するのが辛かった。


第十二話へ続く。


いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。