光色の約束
大好きで大好きでたまらなかった、ひかり。
今年もまたやってきた夏。
容赦ない太陽の光が、肌を突き刺す。
別れてから、一年経ったというのに、夏の暑さが、ひかりを思い出させるのだろうか?
「……シュウト?」
照り返しの厳しいアスファルト。
聞こえないはずの、ひかりの声が聞こえてくるなんて。
重症だな、俺は。
滲み出る汗を拭って、空を見上げたとき……。
「柊人(しゅうと)ってば、無視するなんて、あんまりじゃない?」
そこには一年前と変わらない、ひかりの笑顔があった。
「……ひかり、か?」
「何言ってるのよ、柊人ってば。私が幽霊にでも見えるわけ?」
笑ってみせるその顔も、真夏の太陽に似つかわない真っ白な肌も。
全てがひかりそのもの。
「……いや、久しぶりだな。一年ぶりか?」
「ううん、一年と15日ぶりよ」
皮肉混じりな答えも、やっぱりひかりそのものだった。
「……ひかり、少し時間あるか?」
「ごめんなさい。今はちょっと仕事中で。夜になら、時間取れるけれど……」
「いつでも構わない。ひかりの都合に合わせるよ」
「……それなら、今夜9時に家にきて? いいワインが手に入ったの」
ひかりは、そう言うとひらひらと手を振りながら街中へと消えていった。
◇◇◇◇◇
「いらっしゃい、柊人」
夜の9時。
出迎えてくれたひかりは、黒いノースリーブの、シンプルなワンピースを着ていた。
アップにしているせいか、あまりの色っぽさに胸の鼓動が一段と早くなるのがよくわかる。
オレンジ色のカーテン以外は、何一つ変わることのないひかりの部屋。
「……柊人、適当に座ってて」
ひかりにそう言われて、俺は一年前までの、俺の定位置に腰を下ろした。
「……ひかり、カーテン、変えたのか?」
「あ……うん」
歯切れの悪い言葉で頷くひかり。
ひかりに、オレンジ色のカーテンが似合わないわけではない。
むしろ、その逆だ。
ひかりの名前に、ひかりの白い肌にも、よく似合っている色なのに、どんなものにも、頑なとしてオレンジ色を選ばなかったひかり。
「……柊人と別れたら、オレンジ色が欲しくなっちゃったみたい」
そう言って、ひかりは俺の隣に腰を下ろした。その場所も、ひかりの定位置だった。
ひかりまでの距離は、僅か数センチ。
あの頃は、すぐにゼロにしていた距離。
手渡されたワインを開けて、グラスに注ぐ。
「……再会に」
「再会に……」
カチンとグラスが重なり合った後、口にしたのは、深紅色のワインではなく、ひかりの唇だった。
その感触は、決して忘れることのできなかった、痛みを思い出させる。
幸せにできなかった。
守ってやることができなかった。
信じてあげることのできなかった、二人の痛み。
「……シュウ、お願い」
あの頃と何一つ変わらない声で、俺の名前を呼ばないでくれ。
めちゃくちゃにしたくなるから……。
オレンジ色のカーテンが、夜風に揺れる。
厚い雲に覆われた、見えない月。
一年前の二人には、見えなかった未来。
その中に、たった一つだけ、わずかに光る星を見つけた。
◇◇◇◇◇
ネクタイを締めながら、シーツに包まったまま眠るひかりの頬に、キスを落とす。
無防備な寝顔。
スヤスヤと聞こえてくる寝息。
「……ひかり、もう俺たち、やり直せないのか?」
例えば答えがNOであっても、
嘘でいいから頷いてほしいと思ってしまう。
返事のない唇に、そっと人差し指を這わせる。
伝わらない想い。
膨らみすぎて、苦しいんだよ。
ひかりの目から、一筋の涙が頬を伝ってシーツに落ちる。
「……ひかり?」
「……柊人」
「なんだ?どうして泣いてる?」
目を開けたひかりは、俺の手首を掴んだ。
フルフルと首を横に振るひかりに、そっと口づける。
触れたばかりなのに、また欲しくなる温もり。
ひかりの熱。
「……柊人、また会えるかな?」
ひかりが望むなら……。
望んでくれるなら。
「また明日も来るよ。明後日も、その次の日も……」
「……違うの。またいつか、今日みたいに。こんな風に偶然に、また会えるかな?」
「ひかり?ひかりが望むなら俺は……」
ひかりは俺の手を離すと、シーツに包まって俺に背を向けた。
「……柊人。やっぱりまだダメみたい。一年前の夏には戻れないように、あなたを許せてないみたい」
“許せないみたい”
ひかりの背中には、はっきりとした拒絶の意思。
ばれないだろうと、たった一度の浮気が起こした二人の結末。
浮気相手が本気になって、俺の知らないところでひかりを傷つけていたなんて。
もう一度ひかりを抱きしめたくなる衝動を押し殺して、俺はひかりの部屋を出た。
◇◇◇◇◇
信じることは決して簡単なことではない。
裏切った事実を、
傷つけた事実を、
なかったことにはできないから。
俺に対する積み重なった不信感が、今もひかりを苦しめているのなら……。
明るくなりかけた空を見上げる。
ひかりの笑顔が好きだった。
オレンジ色の、太陽みたいなひかりの笑顔が。
君が望むなら、君にまた会いに行く。
君が望むなら、もう君を忘れよう。
君が望むなら……
消えるのもまた、君への愛のカタチだというなら。
「……柊人!」
やっぱり、重症だな。
またひかりの声が聞こえるなんて。
それでも何かにすがるような想いで、後ろを振り向いた。
「……ひかり?」
「もし……もしもまた、こんな風に偶然に会えたなら……きっと二人はまた、」
息を切らすひかりを、ギュッと抱きしめた。
また偶然に会えたなら、きっと二人はまた、恋をする。
fin
いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。