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聖母と聖女:聖ベルナデッタの生涯~ルルド巡礼の記

ある事実が異常に見え、科学がそれを説明できないというだけで、その事実を排斥してしまうことは控えるのが科学の義務である。
       - アレクシー・カレル(ノーベル生理・医学賞)

【はじめに】

2000年2月11日、カトリックの聖地であるフランスのルルド(またはルールド)に、思いがけずに行けることになりました。
その10日ほど前に、突然に機会が訪れて実現した旅でした。
イスラエル出張の帰りにフランスに寄ることになったのですが、2月になるまでは、フランスへ行くことさえも定かではなかったのです。
そして、いくつもの偶然が重なって、この旅となりました。

奇跡のルルドの泉については、その名称くらいは聞いたことがあるという方が多いでしょう。
19世紀のフランスの片田舎に住んでいたベルナデッタという貧しい少女の身に起きた、聖母マリア出現と、多くの人々の病気が癒された奇跡のルルドの泉の話です。
そして、ベルナデッタが送った短く哀しい人生についての物語です。

加えて、私がフランスのルルドを訪れた紀行文もあり、いつものように、これらを綴れ織りのように織り込んで進行するという独自の手法で書かれています。
もちろん、すべてはノンフィクションであり、創作部分はありません。

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【画像】カトリック聖人ベルナデッタ

私は、「ルルドの奇跡」は以前から知っていて大いに関心がありましたが、その聖地へ今生で行けることになるとは、まったく思っていませんでした。

神の使いとしてこの世に生まれてきたベルナデッタが体験した感動的な生涯と奇跡を、多くの方々に知っていただくために、この作品が少しでも役だってくれることを願っています。

※聖ベルナデッタの名前は、フランス語の本来の発音では「ベルナデット」が近いそうですが、日本のカトリック教会の慣例に倣って「ベルナデッタ」の表記に統一しました。

2000年3月27日  百瀬直也


【note版改訂にあたって】

この作品は長い間未公開のままでしたが、自分のPCの中でだけ眠らせていては勿体ないと、noteで公開することにしました。

私はプロの物書きですが、この作品の執筆にあたっては、日本で入手困難な資料や、現在はすでに絶版などで入手できない書籍や資料も参考にしています。
実際にルルドを訪れたいと、そのためだけに好き好んでフランスを訪れた人間ですから、自分で撮影した写真や、現地へ行かないと知り得ないようなことも書いてあります。

ルルドの泉の奇跡は、正真正銘の奇跡です。
そのことは、ノーベル生理学・医学賞を受賞したフランスの医師・生物学者だったアレクシス・カレル博士も認めているほどです。

後述するように、カレル博士は結核性腹膜炎をわずらって死は時間の問題と自ら診断した若い女性マリー・バイイーに同行してルルドを訪れました。
そこでカレル博士は、死は時間の問題と自ら診断した彼女に「奇跡」が起きて快癒したことを、目の当たりにしました。

その後の著書で、この著名な科学者は「奇跡が起こったことには意義の唱えようがなかった。なんといっても、あれが奇跡であり、それも大奇跡であることは確かだったからだ」と書き、その後に敬虔なカトリック信者となりました。

このノートは、カトリック信者などイエス様を信じている方々にはもちろん読んでいただきたいものです。
また、「奇跡などあるわけがない」と思っている方も、これを読めば考え方が変わるかもしれません。
あの偉大なノーベル賞科学者もそうであったように。

2020年5月12日  百瀬直也


■■■ 1.発端 ■■■

【パリへ】

2000年2月10日、木曜日。
テル・アヴィヴ発のエールフランス便AF1993は、予定の17時30分を15分ほど遅れて出発。
エアバスは、狭くてひんしゅくものだ。

座席は5Cの通路側。
片側3列ある座席の真ん中の席の背もたれを倒して使えないようにして、これがビジネスクラスです、というわけだ。
これでは、エコノミークラスでたまたま真ん中の席が空いていたら、同じではないか。
なんだか騙されたような気分だ。
成田-フランクフルト-テルアヴィヴと、テルアヴィヴ-パリ-成田で、JALとルフトハンザとエールフランスを乗り継いで、719,200円も払っているのに。
まあ、私の財布から出ているわけではないのだから良いのだが。

イスラエルでのN社での4日間の研修を終えた後、これから2日間、帰国前にフランスで休暇を過ごすことになる。
現在、大手町にある某大商社に業務委託のSE(システムエンジニア)という形で派遣されている。
そこでは、イスラエルの企業N社のあるシステムを輸入している。
そこで技術者として仕事をしているのだ。
研修を受けるのは、去年の4月と10月に続いて、これで3回目。

これからパリへの5時間の旅。
イスラエルは成田からの直行便がないので、フランクフルト、ロンドン、パリなどのヨーロッパの都市経由で飛ぶことになる。
今回、行きの時はドイツのフランクフルトに一泊したが、帰国便ではフランスのパリに一泊する予定だった。
両方とも、一泊するのは航空会社の都合ということになって、ホテル代を負担してくれるのだ。

今回は、当初研修を5日間だと勘違いして日程を立ててしまった。
じつは4日間だと知ってから、テルアヴィヴ-パリの便を1日早めるように変更したのだ。
1日早めることによって、2月11日という特別な日にフランスで過ごすことができるようになるからだ。
その「特別な日」とは…。

【聖少女ベルナデッタ】

1844年1月7日、月曜日。
ベルナデッタ・スビルーは、フランスのピレネー山脈の麓、スペインとの国境近くの寒村ルルドに生まれた。
ルルドはスペインの聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼街道上にあり、昔から人々の信仰が厚いことで知られていた。

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【写真】ルルドの洞窟の前で(百瀬撮影)

父親のフランソワは、水車小屋で粉挽きをやっていた。
彼は人が好すぎて、代金をすぐに払うことができない人間には後回しでいいと言っていた。
そのため、一家はいつも貧乏だった。

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【写真】ベルナデッタの父フランソワ

ベルナデッタが10歳のとき、フランソワと妻ルイズは、四児を抱えて、むかし牢獄として使われていた薄汚い空き家に移らざるを得なくなった。

ベルナデッタには男の兄弟6人と女の姉妹2人がいたが、10歳まで生き延びたのは、そのうちの3人だけだった。
両親が喧嘩をするところを見たことがなく、家族は貧しいながらも幸せに暮らしていた。
家族揃って毎日のお祈りをするのが日課だった。

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【写真】ベルナデッタ

ベルナデッタは10歳のときにコレラにかかり、それがきっかけで喘息を患い、その後死ぬまでこの病に苦しんだ。
13歳のとき、家計を助けるために、ルルドから5キロ離れたバルトレのマリー・ラグエの元へ行かされ、羊番とおもりとして働いた。
だが14歳の誕生日を迎える頃に一人でルルドへ戻り、二度とそこへ戻ることはなかった。
彼女は長女で小さい弟たちの面倒を見なければならないため学校へ行けなかった。
そのため、14歳になっても読み書きができなかった。

この貧しい家庭に育った少女の身の上に奇跡が起きるとは、本人も含めて、誰も想像できなかっただろう。

【ヌヴェールかルルドか】

エールフランスの飛行機は、地中海上空を飛行する。
いまだに風邪が治らない。
1月下旬、イスラエル出張の1週間ほど前に風邪をひいてしまい、イスラエル滞在中もずっと風邪をひきっぱなしだったのだ。
気管支に炎症があって、喘息の発作のように、咳が胸からこみ上げてくる。
体を冷やす性質があるワインは飲まないことにする。

『地球の歩き方』を見て、ヌヴェールへ行けるかどうか調べる。
結局はルルドへ行くことになるのだが、最初からそうするつもりだったのではない。
テル・アヴィヴからパリへの移動を11日から10日に変更した時点では、パリから200キロほどのヌヴェールならば、列車で日帰りで往復できるのではないかと思っていたのだ。
ヌヴェールの聖ギルダード聖堂には、聖ベルナデッタの遺体が安置されている。

ヌヴェールならば、パリから列車で2~3時間で行けそうだ。
だが、列車の時刻がわからないので、日帰りできるかどうか定かではない。
また、『歩き方』にもヌヴェールの情報はないので、一人でヌヴェールへたどり着けるかどうかもわからない。

ベルナデッタ生家

【写真】ベルナデッタの生家。時間切れで行けなかった。

私は旅行に関してはかなり用意周到で、家族との旅行では分刻みで予定を立てる。
もっとも、それは今この原稿を改訂している2020年時点のことで、フランスへ行こうとしていた2000年には、まだ独身だった。
この時は本当に思い付きレベルで、行き当たりばったりの旅だった。
何だか、何者かに操られて動いているような感じだった。

ルルドならば、パリから飛行機で1時間だ。
飛行機で往復すれば、日帰りでも十分時間はあるだろう。
TGVというフランスの新幹線もあるが、これだと片道5~6時間かかりそうなので、列車で往復して日帰りというのは無理だ。
どうしようかと、なかなか決断できない。

【1回目の出現】

1858年2月11日、木曜日。
ベルナデッタが14歳のときのことだった。
この日が彼女の人生を大きく変える日になるとは、この時はまだ夢にも思っていなかっただろう。
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