感情は風化する

当たり前だけど、感情って風化するんだ。
忘れたくない感情を丁寧にラップに包んで冷凍庫でそのまま眠らしておく、なんてそんなことはできなくて、多分、よくて日陰にそっと置いておけるくらい。
ゆっくりゆっくり溶け出して、気づいたら元々の形は残っていないんだ。


何か大きな感情を経験した時、「この気持ちは絶対忘れない」ってきっと思う。
幾度となく思ってきた。運動会で優勝してとても嬉しかったあの日。信じられないほど怒ったあの日。チームメイトにいじめられて泣いたあの日。海の向こうで忘れられない体験をしたあの日。

でも月日の流れって残酷だし、結局わたしは馬鹿だから、どんなに強い感情もちゃんとは思い出せなくなっちゃうんだ。


はじめてそれが分かったのは2年前、塾のバイトで受験生の子をみていたときだった。ある日いきなりその子は「なんの為に勉強するのか分からなくなった」と泣きながら私に縋り付いてきた。
その時の私は受験を乗り越えてまだ半年しか経っていなかったから、当然のように共感を持ちつつ親身なアドバイスができると思っていた。
けれどそれが出来なかった。自分もそのような感情を経験したのは確かなのに、共感すら出来ずにいる。

どうやら私の受験期の思い出は、一番最後に上書きされた「成功」というステータスと、それに伴う大きな喜びや達成感でなんとなく包まれ蓋をされてしまっているようだった。


昔だって同じことはあったのだ。中学の頃に部活のチームメイトからいじめを受けていた。辛くて辛くてたくさん泣いたけど、総体前にチームの雰囲気が良くなってなんとなく良い終わり方ができたから、気がつけばいじめられていた時の自分なんてつぶさに思い出せなくなっていた。

逆の例もある。長らく幸せだったはずなのに相手の酷い浮気で終わった恋愛は、最後の「最悪な終わり方」というブルーなステータスと感情に強く支配されている。幸せの欠片は本来あった数より随分減っていて、よろよろと拾い歩かなきゃ思い出せない。


感情や記憶なんてそんなもんだ。



昔大好きだった学園もののドラマを見返した。あの時は共感がメインだったのに、今では彼らの間に流れる空気感や思春期特有の感情が自分とはかけ離れたものに感じた。
もう自分にはないそれらをただ眩しく、そしていとおしく思う感情があった。初めての経験だった。


大人になったんだと思う。


自分の土台が成長によって変化するのはいい事だ。けど、自分が経験してきたはずの感情を忘れて子供特有の感性を羨ましがるような大人にはなりたくないって思ってたし、自分はそうはならないって思ってた。思ってたんだけどなぁ。


時が流れるとか、成長するとか、大人になるとかのプロセスは全部、感情を風化させてしまうのが必然なのかなぁ。


今現在私が考えてることも感じてることも、何年後かには溶けて無くなっているのかもしれない。



どうにかその風化に抗う術を考えるなら、私の場合は文章表現をするのがいちばん効果的なんだと思う。

文章を書き出したのは3年前くらいだけど、その時残した感情は今でも割と鮮度を保ってる。
既に文章を書く理由は何個かあるけど、感情を風化させないためってのも大事な理由になるな。


ただ気づくのが遅かった。


勉強机に参考書を広げ、俯いている彼女のことも。
バレーボールを抱え、泣いている彼女のことも。
恋人の何気ない言葉に頬を染め、笑っている彼女のことも。

二度とあの日のような鮮やかさで思い出してやることはできない。



少なくとも、これからの私が彼女らのように朧気な存在になってしまわないように

未来のどこかでも、私が今日と同じく息をしていられるように

私は文章を書かなくちゃいけない。





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