見出し画像

『ケーキの切れない非行少年たち』を読んで。

『ケーキの切れない非行少年たち』を読みました。
犯罪を犯した非行少年たちの中には、
反省以前に、何が悪いかわからないとか、自己内省や自己評価ができず葛藤できないとか、認知機能が低い発達の子たちが多くいるとのことでした。

彼らは、小学校低学年を過ぎる頃から勉強についていけず、
知能検査などを受けても数値によっては問題がないとされ、
「怠けている」「サボっている」などと叱られたり、周りの子の空気が読めずうまく溶け込めなかったりもして、困った子として扱われます。
そのまま、小学校、中学校と学級が上がり、フォローもないまま、
勉強についていけず楽しくないから学校に行かなくなり、
悪い友だちができて非行少年になったりします。

筆者は、
彼らの生きづらさを減らすためには、また本来は支援されるべき人が加害者となるのを防ぐためには、ほめるだけではなく、
認知を向上させる学習が必要だと言っています。
見る、聞く、想像するなど、学習のベースとなる認知機能です。
また、人間関係を構築する力も、学科とは別に教えなければ分からないと指摘しています。

認知の歪んだ世界というのが、どういう世界なのか分からないし、
認知機能を向上させるとは、どうすればいいのか、非常に根気が要りそうで大変そうに思いました。
将来を想像し、計画する力がなく、きのうと今日と明日しかいない子もいるといいます。
今日教えたことは、明日には忘れることもあるといいます。
非常に単純な世界に生きており、自分を客観的に理解したり、葛藤したりがなく、もっと向上したいと思わなかったりします。
集中力もなかったりします。

そうは言っても、筆者が施設の少年たちに学習するワークショップの機会を設けたところ、学習に飢えていた彼らは、
意外なことに集中力をもって楽しんでワークに取り組んだといいます。

少年たちが変わろうと思ったきっかけの共通点として、二つを挙げています。
「自己への気づきがあること」
「自己評価が向上すること」

(変わろうと思ったきっかけ)
・家族へのありがたみ、苦しみを知ったとき
・被害者の視点に立てたとき
・将来の目標が決まったとき
・信用できる人に出会えたとき
・人と話す自信がついたとき
・勉強が分かったとき
・大切な役割を与えられたとき
・物事に集中できるようになったとき
・最後まで諦めずにやろうと思ったとき
・集団生活の中で自分の姿に気づいたとき

この二つのきっかけは、
もしかしたらどのような人においても、言えるのかもしれません。

わたしは割と、自分のことをダメだな、嫌いだな、と思うことが多いです。
もっと向上したい気持ちの表れでもあるし、また出来たな、よかったな、うれしかったな、と自分のことを認められる気持ちもそれなりにあります。

でこぼこ、嫌いな自分もたくさん居ながらも、
落ち込むことも沢山ありながらも、
励まされたり、認められたり、勇気を出したりしてここまで来られたのは、
結構人のおかげが大きいな、と思います。

自分のことをダメだな、嫌いだな、と思っても、
周りには認めてくれる人がいて。
「居てくれてありがとう」って伝えてくれる人がいて。
役割を与えてくれたりして。
これは長所かも、と気づかせてくれるから、
短所はありつつ長所を伸ばせるような進路を選ぼうか、とか生意気にも思ったりして。
なんだかんだ、そういう好循環があって、その循環の中にたまたま居られて。

そういうので、人が変わるのだとしたら、
発達障がいに限らずだけど、誰かの側にいて、認めて、
人に関わって、そうやっていくうちに誰かの人生が変わるって、やっぱりあるかもしれないな~と思ったのでした。
すっごい、何ができるってわけではないけれど。
でも、人生でいろんな人と関わっているはずなのに、犯罪を犯したり、被害者が生まれたり、生きづらさを抱えたり、孤立したり、
そういうことってやっぱりいっぱいあって。
すごい、悲しいことだな~と、思うのでした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?