長距離走者の孤独
昔、中学生の頃読んだアランシリトーの長距離走者の孤独、という本が大好きだった。
当時、愛聴していた大江千里さんの曲で、その本を読むようになった。
医者に行ったとき、言われた。
あなたは心臓が人より大きいから、駆けっこ苦手でしょう、と。
瞬発力は誰よりもあった。
でも、引き離される。
私はいつも体育の100メートル走を半ば適当に走った。
「ちゃんと走れよ!!」
とクラスの女の子が怒鳴った。
見ると、心臓病を患い、いつも体育の授業を見学することしかできないNさんだった。
私は、胸がギュッとなり、自分を恥じた。
ある日、体育は持久走だった。
最初は少し苦しかったが、走っているうちに、次々と皆んなリタイアし出した。
先生がみんなに言った。
無理せずつらかったら走るのをやめるように、と。
ちっともつらくなかった。
運動部所属の猛者女の子(うちは女子校である)たちが、苦しそうに走っていたが、私は楽しささえ感じていた。
次々とみんながリタイアして、結局、私はクラスで2、3番目のタイムだった。
男の先生が、走り終わって元気でヘラヘラしている私にタイムを見ながら言った。
「国体出れるよ。でもどうせやらないんでしょ。」
と。
私はぶっきらぼうに、
「はい。嫌ですから。」
と答えてバンド友達の方へ向かい、キャッキャと騒いでいた。
思えば、恵まれた資質を、その頃、有難いと思ったことがなかった。
一生懸命になったことが、無かった。
なぜ、私はあの心臓病のクラスメイトの気持ちをもっと考えなかったのだろう。
ギターも最初からスラスラとコードがみんな弾けた。
「アルペジオを弾くのに、私がどんだけ練習したか。あんた最初からスラスラ弾けるんでしょ。」
とバンド友達の女の子からも言われた。
高校生で初めてのライブが横浜のシェルガーデンの対バンだった。
さして興味もなく、私はバンドをやめた。
今、50歳になり、もうあとちょっとで51歳だ。
努力という言葉が世界一嫌いだった少女は、努力と謙虚という言葉が世界一好きな老婆になった。
障がい者になり、人よりもずっと劣るようになり、思う。
父がかつて私に言った言葉を自分に言う。
何歳になっても、一生懸命になってごらん。
とっても素敵な思い出になるから、と。