![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/84547411/rectangle_large_type_2_3044967b176246a42057f9fdd4710521.jpeg?width=800)
岡山新報デジタル【シベリア抑留】
【戦後ソ連によるシベリア抑留】
●収容所生活【ウズベキスタン】
![](https://assets.st-note.com/img/1660276617321-3eLGAEqt0H.jpg)
ソビエト連邦構成共和国の一つであったウズベク・ソビエト社会主義共和国では、約23000人もの日本人捕虜が現在のウズベキスタンの地に強制連行され、そこで強制労働させられた。
公式データによると、3000人から5000人もの日本人捕虜はダムや水力発電所、ベカバードからタシュケント迄の運河の建設を命じられたという。
![](https://assets.st-note.com/img/1660276631329-0QTxwoYVSN.jpg?width=800)
彼らは掘削機が無い中、ウズベク人、ロシア人、ドイツ人と共に厳しい肉体労働を強いられ、土壌は手で整備しなければなかった。
実際に配給を行ったボキ神父によれば「彼らは毎日3食たった600グラムのパン一つしか与えられなかった中、懸命に働いた。」と彼らの勤勉さを大いに評価した。
#シベリア抑留8
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?