愚痴と、推しと、労働の対価

愚痴パート、いっそ飛ばしてくれ


参った。参りまくってしまった。
前回書いたヤバい客…の続きがどうも長くなってしまい完成しきらない間にまた新たなヤバい客に見舞われ心が折れそうである。
まさに下書きの続きをリアルタイムで書き綴るかのような客だった。
そんなタイムリーは嬉しくもない。
いやな方向にネガティブがはたらきそうなので続きはもう少し冷静な時に書きたい。
なんなんだ。本当に
俺、気が利く客だよな、というスタンスの客が本当に嫌いである。
大切な本指名様をNGにするなんて最後がいつだったか覚えてもいないくらいだ。
距離感をはき違えているのにいい気分になる人は早めに損切りしようとあの時決めたのだから。そうだな、その話はまた今度するとしようか。
まだ腹が立っているが愚痴はこの辺にしておいて。

推しという存在について話してみる。


推しと自分の世界、近くて遠い。

キャラクターやアイドル、ときには職場・学校の先輩やいきつけの店員。
今の時代、誰しも「推し」がいてもおかしくない、というような風潮。
まさに日本における信仰の自由があらわれている点ではないだろうか。

同じことの繰り返しになってしまいがちな日常に、非日常の景色をもたらすことさえある「推し活」。
わたしにもこの頃推しという存在ができ、仕事のモチベーションを失いかけていたわたしに一歩踏み出す勇気をくれた。
実際、店舗移籍による大幅な単価アップへと繋がった。
それはめでたいことであるし、今でも推しへの還元を欠かせない。(なんかちょっとキモい言い回しだと自覚しているが敢えてこのように書いておこう)

なのだが…、わたしは数年も風俗業をしておきながら、未だに金銭感覚がまだまともなようで。
ホストや推しのアイドルに月の稼ぎをほぼ使うような風俗嬢の話を直接聞いたこともあるが、未だにその次元まで達したこともなければ、気持ちが分かるはずもなく。
それはむしろいいことである。お金を計画的に使えるに越したことはない。
でもその人たちが、苦しい日こそあるだろうが、熱中して日々労働に勤しむ姿は実にカッコイイ。
最後に何かに熱中した日はいつだろうか。わたしは冷めちゃったんだろうか、元々冷え気味なのか。

時折推しの世界と自分の世界が近いようですごく遠いように感じるときがある。それはそうである。その為のお金だと思っている。
多くのお金を推し活へ使う人がよく共通して言っていることがある。
「自分じゃ見れない世界を見せてくれるし、これからもっと見せて欲しい」
この頃のわたしもまさにこれに当てはまる。
だからといって闇雲にお金を使い果たしたとて目の前に待っているのは推しではなく破産だ。

このあたりで、自分の仕事と繋がってくるような気がしてくる。
いつだって労働の対価はお金である。
労働から得られるお金を持って推しに会いに行く。
金払いに渋るお客さんに(わたしという存在はこうも安いものか、、、)と自信喪失してしまうことがあるが、それはあくまで相手の感じる対価とわたしの対価にギャップがあるからじゃないだろうか。
だから落ち込むことはない。推される立場であれど、推す立場であれど、自分の物差しは大切にしたい。

そして、推しにとって嫌なお客さんじゃないように気をつけよう、と自戒に落ち着いた。

………落ち着かない。落ち着くわけあるか。
ついこの前、調子に乗って写真撮影時に「壁ドンしてください」とお願いしたことを後悔して今夜もまともに眠れそうにない。自己嫌悪である。

仕事のモチベーションがまた下がっていたが、推しにお詫びの気持ちを、労働の対価で伝えられるように明日も頑張ろうと思う。
ある意味オチはついたか。うるせえ とっととクソして寝ろ おやすみわたし。



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