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BEASTARSという物語の引力について

今月ついに最終巻が発売されたBEASTARS漫画好きなら(恐らくそうでなくとも)一度は耳にしたことがある作品ではないだろうか。

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以前から気になっていたけど、完結してからようやく全巻手に入れたところ、息をつく間もなくあっという間に読み終わってしまった(その後アニメも追い始めて一瞬で最新話に追いついた)。読了後、ずっとこの物語が頭の中をぐるぐる渦巻いていて、その魅力は何だろうと自分の中で反芻している。


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物語は、動物たちが二足歩行で学園生活を送る世界で、ある一匹のアルパカが食殺(食べられて殺されること)される場面から始まる。被害者の「アルパカのテム」は主人公「灰色オオカミのレゴシ」の演劇部仲間。翌日の演劇部は騒然となり…。

といった感じで冒頭はサスペンス要素満載。動物を擬人化していることもあり、一筋縄の学園物ではない雰囲気がガンガン伝わってくる。


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一方「友人の死」「犯人は肉食動物?」と、不穏なムードを残しながら、学園ドラマとして友情や恋をとても丁寧に描いているのがこの漫画の大きな魅力でもある。特に、動物たちの一挙一動がリアルで、不思議と人間味を感じられるのが面白い。中でも、オオカミも属するイヌ科の面々が、どんなにクールに決めたい場面でも、嬉しいと尻尾を自然と揺らしてしまうところが愛おしかった(アニメはこの尻尾の描写がピカイチ)。いつも取り繕ってしまう私たち人間にも尻尾があればいいのに、と思わずにはいられない。


そして、物語の中で一貫して語られるのが「肉食と草食」という対比。あくまで動物の世界の出来事として描きながら、この構図は自ずと「男性と女性」「大人と子供」「人間と動物」など、表向きは共存しながらどこかで対立する関係性を連想させ、これが読者を惹きつけているのだと思う。

ただ、この物語は弱者が強者に立ち向かう勧善懲悪の話ではない。なぜなら主人公は、動物ヒエラルキー上位に君臨する灰色オオカミなのだ。そして彼は、誰よりも強い力を持ちながら、それを後ろめたく感じ、隠し、身を潜めて暮らしている。物語は単純な対立構造に甘んじることなく、草食、肉食、その中にいる個人の痛みや葛藤を描き、誰一人として完全な悪者と切り捨てない。


物語の中で印象的だったのが、レゴシの親友「ラブラドールレトリバーのジャック」のセリフ。

肉食も草食ももがいてるじゃん。みんな生まれた瞬間に種族が決められてるんだから、納得いく意味をみんな見つけたいんじゃないかな。


いつだって世間は判官贔屓だ(私自身もそういう節がある)。あらゆる物語で、弱者は強敵を打ち砕く。いつだって強者は得体の知れない悪者にされる。カテゴライズして、線を引くの簡単だ。でもレゴシを通して、一括りの悪なんてどこにもないことに気付かされる。

生まれ持った時点で手持ちのカードが決められているこの不条理の中で、どう戦うか?どうあるべきか?どう生きるべきか?どうすればみんなが前を向けるのか?好きな女の子のため、自分のため、世の中のため、泥にまみれながら、必死に戦うレゴシの姿は美しい。

自分の境遇を嘆いたり、悪者を見つけて標的にすることは楽で簡単だけれど、それでは前には進んでいけない(自戒を込めて)。生まれ持って配られたカードで、どう生きるのか、どう戦うのか、を考えさせてくれる、全ての人に向けた物語だと思う。

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などと長々と書いてしまいましたが、本当に!!!!誰が読んでも!!!後悔はしないと思うので読んで欲しいです。私はゴウワンさんとレグワンさんが好きです。


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