にじゅうまる
やらなきゃいけないことはわんさかあるのに、死にたいに支配されて何もできない
だからもう眠らせて欲しい、ずっと
こんな人生早く終わって欲しい
生きていることがどうにも苦しい
だけど臆病なわたしはどーせ死ねないから自分を励ましてみる
わたしが生きている場所は、死にたくない、生きたいことが当たり前という前提で作られすぎている
耐え難い、死にたいほどの苦しいという言葉自体が、耐えられる限りの苦痛は全部耐えるのが前提になっていると思う
ただの深読みだと思うけど。
じゃあ生きているよりも、目の前にある苦痛に耐える方が嫌だと思ったら死んだ方がいいのか
そんなことはないと思う、今までのわたしは違うって信じてきた
会いたい人にも全員あったか、行きたい場所には行ったか、食べたいものは食べたか、、、、
もしも楽しみなことがあったらそれを待ってもいい
「「楽しみな未来があるから、それまでなんとかももちこたえさせてほしい」」
余命を宣告された人でも、医者との共通の目標を持つことがある、まさにそれと同じ
未来をどんなに見てもどうしても今が辛い時はまた変わってくるかもしれない
死にたいと思ったまま気持ちに任せて死ねば多分わたしは後悔する、落ち着いている時のわたしはそう分かっている
苦痛をなるべく軽減して、安らかな死を迎えたい
わたし1人の知恵では叶えられそうにない
他人とコミュニケーションを重ねて色々決めなければならない、それが割と現実
そのための脚本は、たぶん、独りでは難しい
しんどいけれどその道を通らないといけないっぽい
他人に相談するって書いたけど他人に私の痛みがわかるわけないとも思う
私の苦しいを否定されたくない、悪いって言われたくない、そう思うと誰にも相談はできない
わたしにしかわからない、あなたのことはあなたにしかわからない
だからせめてわたしは、わたしだけはわたしを大切に労わってあげたい
自分自身のことを、どうか否定しないでいたいのに。
何度もなんとかしようとしてきたんだから今死んじゃったら勿体無いよきっと
死ぬこと以外は、かすり傷なんて言うけれど
死ぬことよりも苦しいのにかすり傷なんて言わないで
死んじゃえば、苦しさもなんにも感じないから
鼓舞するためじゃなくて首を絞めるために言葉は使わないで
あなたと同じ苦しいはわたしにはわからない、逆もそう
でも少しなら共感できるところはある、手は繋いであげられる、手を繋いでくれる人はいる
死にたいは生きたいの裏返しってわたしに教えてくれた保健室の先生がいる
励ましなのは分かっているけれど
死にたい、死ぬべき、生きているのが辛いという気持ちをそんな言葉1つぽっちで打ち消すのはやめて。
結局わたしは死にたいに支配されて生きていくんだと思う
多分そのままでいい
わたしの心を体を脳を支配してるこの気持ちを、生きたい!に変えることは無理だから
変えようとするんじゃなくてどう向き合うかを考えた方がたぶん得策
少しのほかほかした気持ちを見つけて誰かにしゃべって、誰かのいいことを教えてもらってちょっとだけにっこりしてみたり
明日はどうか午前中に起きて朝日を浴びてみようと思う
本を開こうと思う
晴れた空を見て口角が上がるといいな
毎日暑すぎるけど
どんだけ毎日やれるかわからないけど、何にもできなくてもいいや
もうすこしだけがんばってみよう
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