人生についてたまに考えてしまう

私は何がやりたいのだろうか。
一体何の為に生きているのだろうか。
 
ふとした瞬間に、頭に浮かんでくる。
そして、思うのだ。
私はなんてつまらない人間なのだろうかと。
 
こんな私でも「なりたい人間像」というものは存在する。
周りの人を笑顔にできる人。
誰にでも分け隔てなく優しくでき、思いやりをもてる人。
周りの人間を大切にできる人。
 
安直だ。
 
「周りの人を笑顔にしたいなら、まずは自分が楽しんで笑顔になる」
小学生の時にこの言葉を聞いてから、ずっと心掛けてきたことだ。
おかげさまで、笑顔を褒められることは多かった。
チャームポイントは笑顔だといってもいい。
 
その反面、こう言われたこともある。
「笑ってれば何とかなると思ってんじゃねえぞ」
ただふざけあってる時に言われた一言で、
きっと相手にとって深い意味はない言葉だっただろう。
しかし、5年という月日が経った今でもこの言葉は私の胸に突き刺さる。
相手の顔も、情景も、言われた時の感情も、全て思い出せる。
 
それでも私は笑い続けた。
だってその方が気分も上がるし、周りの人も笑顔になるから。
誰かと笑ってる瞬間はとても楽しい。その時間は大好きだ。
 
私は笑えなくなった。
 
「笑えなくなった」というのはそう感じているだけであって、
「笑うのが下手になった」という言葉が正解である。
社会人になって、仕事をして、仕事をして、仕事をして。
不透明な人間関係が漂っている小さな世界の中にいるうちに、
私は笑えなくなってしまった。
 
怖かった。
なんでこんなに笑えないの。笑顔が固い。口角が上がらない。
 
私は変わってしまったのだろか。
私から笑顔という武器が無くなってしまったら、何も残らない。
笑いたい。笑いたい。笑いたい。
心から、楽しい!おもしろい!と笑いたい。
 
そんな時に、久しぶりに大学の同級生とご飯に行った。
たくさん笑った。
私笑えるじゃん、と嬉しくなった。
 
しかし、その時だけだ。
 
日常に戻れば笑うことが下手な自分に戻る。
よく、楽しみがあるから頑張れる、楽しいことがあったから頑張れる、という人がいる。
羨ましい。
私の場合、楽しいことはその時だけ。その時間が終われば楽しい気持ちも終わる。
もちろん余韻というものは感じる。思い出としても残る。
しかし、それが今を頑張る糧にはならない。
逆に、楽しかった事とのギャップに絶望する。
 
堕落している。
楽しいことだけをして生きていきたい。
私はつくづく甘ったれた人間だと思う。
だからこそ私は、私の生き方を見つけなくてはならない。
 
どうやって生きていく?
何をして生きていく?
何を考え、思い、生きていく?
 
私と私の周りにいる人が笑顔になる為に、これからをどう生きていく?
 
楽しいと思える人生でありたい。

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